第二章 六魔大祭編

第三十三話 鉄塊の乙女

 闇夜を美しく照らす月光を背に、その少女は美しく舞っていた。

 街灯や家の灯りがない薄暗い森の中。されど淡く世界を照らし続ける満月を舞台の照明にして、乱れ咲く深紅の花弁が鮮やかに空へと散っていく。


 その様はまるで美しい小説の一頁のようで。天女が舞い降りたのではと錯覚させるほどの美麗な光景を生み出している。

 その光景を生み出しているのは淡青のショートボブの少女だ。琥珀色の大きな垂れ目、小ぶりな唇に慎ましやかな胸。どこか気怠げな表情。その全てが彼女の可憐さを引き立たせている。


「た、たずげ――」


 そして、また花弁が夜空に舞う。

 少女の手に握られているのは、可憐な彼女には到底釣り合わないような無骨な大剣。いや、大剣とすら呼べるか怪しいような鉄塊だ。

 少女の握る大剣の刃はガタガタでとてもじゃないが、切れ味のない鈍にしか見えない。


 だが、その鈍を以てして大柄な男の体を両断して見せたのは、大剣の自重により圧し切ったからなのか。それとも少女の腕力によるものなのかは定かではない。

 ただ一言だけ言えるのは、少女の戦闘はあまりにも残酷なものだという事だ。


「…………ふっ!」


 一閃された鉄塊の刃。

 それに触れたもの全てが襤褸屑と化していく。圧倒的な蹂躙劇を繰り広げる少女を見て、その場にいた他の男たちは恐怖でその場から動けなくなってしまっている。


 事の発端はなんだったろうか。

 それすら思い出せないほどに一瞬で、多数の仲間が死んでいった。

 抵抗することすら許されない圧倒的な力の蹂躙によって、辺りには肉塊が飛び散っている。


「な、なんで……こんな…………」


 一人の男が震える声でそう溢した。

 その言葉が少女の小さな耳朶を震わせたのか、視線を其方へと向ける。

 その男は自身に向けられた無感動な視線に、心の底から冷えて固まるような錯覚を覚えてしまう。


「……心当たりが無いとは言わせない。貴方達、盗賊集団狼虎を潰しに来た」

「…………ッ!?」


 《狼虎》――最近、マディステラの西部都市を中心に勢力を強めている盗賊集団だ。その被害は既に何百件にも及び、被害総額は三千万アルム以上。

 何より、この盗賊集団はその手口があまりにも狡猾で残忍だった。


 老人や女性、子供を盗賊団全員で囲んで、その命を集団で奪い金品を漁っていく。その過程で自身の悦楽のためにゲームと称した残酷な遊びを開催する事もある。

 尊厳を踏み躙られ、金品を簒奪され、挙句に命まで刈り取る《狼虎》に痺れを切らした国がついに壊滅に乗り出したのだ。


 だが、国自体も盗賊たちのアジトや人数を把握してはいなかった。

 そこで女性や子供を狙うという性質に付け込んで、白羽の矢が立ったのが彼女――リエル・ディーリッヒであった。


 リエルは連日連夜一人でこの薄暗い森の中を彷徨いながら、《狼虎》が網にかかるのを待ち続けた。

 そして、今日ついに網にかかったのだ。

 手始めに一人を見せしめの如く、鉄塊でその頭を叩き潰してみせた。次は首を刎ね、次は胴を両断し、次は左右に断つ。


 それを無機質に繰り返しながら、次第に男たちは少女に対して底知れぬ恐怖を覚えるに至った。

 まさに、『鬼』と呼ぶに相応しい力を持った少女に男たちは阿鼻叫喚しながら、逃走しようと足を動かした。だがそれが許される訳もなく。

 逃げ出した傍から殺され、逃げ出さなくとも殺され、戦っても殺される。

 圧倒的な実力差を前に男たちは遂に絶望に屈してしまったのだ。


「……貴方たちが犯した罪は、決して許される事なんかじゃない。冥府であなた達の死を望む人たちが多くいるの。だから、私はその人達に報いるためにあなた達を惨たらしく殺す」


 彼女の大剣はただ殺すためだけの武器ではない。

 切れ味の失った刃。それを研がずに鈍の状態で使い続けるのは、吐き気を催すほどの邪悪さを内包した悪により重い罰を与えるためのもの。

 犯した罪禍に類する多大な罰を与える。

 その為だけに、彼女の持つ大剣――《パニッシャー》は存在している。


「地獄の悪魔に代わって、貴方たちを裁く。死して尚、自身の罪を悔いるほどの誅罰を与える。その罰の名は――『恐怖』。魂に刻んで死ね」


 その言葉を最後にリエルは大剣を薙ぎ払った。

 瞬間、罪人たちの頭が砕かれ周囲に脳漿を撒き散らしながら絶命した。

 この日を以て、《狼虎》は壊滅したのだった。


「……ふう。仕事お終い」


 リエルは《パニッシャー》についていた血をズボンのポケットから取り出した布で丁寧に拭っていく。

 血が付着したまま刃を鞘に格納すると、血液と人の脂などによって鉄が腐食してガラクタに成り下がってしまう。

 この武器を常日頃から愛用しているリエルにとって、それは断じて許せない事なのだ。


「…………これじゃあ、足りない」


 リエルは不満げな表情をしながら、一言だけそう溢した。

 その時だった。

 不意にリエルの近くにあった草からかさりと葉の擦れるような音が響いた。


「…………だれ?」


 リエルは目線だけ音の鳴った草むらの方を見る。

 リエルの問い掛けに誰も答える事はなく、辺りを静寂が包み込む。


「……出てこないなら――」


 《パニッシャー》を構えて、横薙ぎの姿勢に入る。

 無言を貫き通すつもりなら、敵意ありと見做して即座に攻撃する。

 その意思の表明として。

 しかし、返ってきたのは意外な返事だった。


『ニャア――』

「…………猫?」


 草むらの中から出てきたのは全身真っ黒な一匹の子猫だった。草むらから出てきた黒猫は大きな丸い目でリエルを見ながら、彼女の足元へと擦り寄ってくる。

 リエルは猫の接近に合わせて《パニッシャー》を地面に置き、その身を屈ませ猫へと手を伸ばした。


「一体何しにきたのかニャア? ここは君みたいな可愛い子が来ていいような場所じゃないよ?」


 リエルは顔を綻ばせながら、優しい声色で猫を撫ではじめた。

 黒猫の毛並みは野良猫とは思えないほど整えられており、毛艶もとても良い。撫で心地で言えば、百二十点満点をあげたいくらいだ。

 黒猫もリエルに撫でられるのが気持ちいいのか喉をコロコロと鳴らし、自身の頭を擦り付けている。


「…………ん? これは……?」


 暫く猫の撫で心地を堪能していると、リエルの手に何かが触れた。

 その手に触れた感触は猫の首に付いていた。一瞬、首輪かと思ったがどうにも首輪の感触っぽくはない。これは首輪というより――。


「…………紙?」


 猫の首には一枚の紙が猫が苦しまぬ程度にしっかりと巻きつけられていた。

 リエルがその紙を手に取り、猫の首から外した。瞬間、猫はまるで蜃気楼だったかのようにその姿を眩ませた。


「…………これは」


 リエルは猫が持ってきた紙を開いて、その中身に目を通し始めた。

 その内容を読んでいく内、次第にリエルの表情はいつもの気怠げな様子から一変して、パァっと明るくしていく。


「隊長からの指名……!」


 リエルは紙を再び丁寧に折り畳み、ズボンのポケットの中に仕舞うと《パニッシャー》を急いで鞘に納めて、その場を後にした。

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