第三十二話 野外演習を終えて

「…………そうか。ジオが裏切り者だったのか」


 神妙な面持ちでフローリアは項垂れていた。煌びやかな校長室で、机に両肘をついて寄りかかり、両手を額に当てながら、大きく溜め息を漏らしている。

 落胆している様子のフローリアを見ながら、リオンは目の前に置かれたコーヒーを一口含む。


 すると、コーヒーの香りを殺してしまうほどの甘みが口の中を襲い、リオンは目を見開いた。

 あまりの甘さに、コーヒーを吹き出しそうになりながらもなんとか飲み込み、コーヒーを凝視する。見た目はミルクの入った普通のコーヒーだ。


「…………これ、甘すぎないか?」

「えぇ……そうかぁ? というか、今そんな話をしてる場合じゃないだろう?」

「いやいや、流石に甘すぎるって。話云々の前にこのコーヒーにどれだけ砂糖を入れたのか気になるんだけど?」


 今日はフローリアが珍しくリオンに対して、コーヒーを淹れてくれるとの事でそれに甘えてコーヒーを貰ったのだ。

 リオン自身コーヒーにはそこまで精通している訳ではないし、こだわりだって存在しない。おまけに自分の淹れるコーヒーも大して美味しくはない。故に、どんなに不味いコーヒーでも特に口出しする事はなかった。


 なかったのだが。流石にこれは幾らなんでも甘すぎるのだ。口の中が砂糖の甘ったるさに支配されている。それどころか、砂糖が溶け切っていないのか口の中がザリザリする始末だ。

 これでは到底話に集中する事などできない。


「まぁ、大体角砂糖を二十個くらい……かな?」

「…………二十? お前、いつもそんなに砂糖加えてるのか?」

「え? だって、コーヒーそのまま飲んだら苦いじゃん。だから、砂糖を入れて飲みやすくしてるんだよ。今回はリオンも飲むから少し苦めにしたんだ」

「…………嘘だろ。お前いつもこんなの飲んでたら、いつか体調崩すぞ」


 リオンは呆れた表情を浮かべながら、手に持っていたコーヒーカップを机の上に置いて、フローリアへと視線を向ける。

 リオンとは違い、フローリアは甘すぎるコーヒーを何事でもないように飲んでいる。いや、少し顔を歪めているので多少苦く感じているのだろう。


「とりあえず、昨日の野外演習についての話をしよう。他の二人からも報告は上がっててね。謎の黒装束を纏った連中と交戦したらしいんだ」

「……《魔導結社ユニオン》の連中か」

「そう。交戦した二人はどちらも重傷とまではいかないけど、決して軽くはない傷を負わされている。特に、ジエルに関しては入院を余儀なくされてしまってね。三日間ほど療養に入る事になってしまったよ」


 ジエルは敵との交戦時に負った怪我によって、現在入院を余儀なくされていた。

 負傷の状況から言えば、左肩の脱臼、左足首の挫傷、肋骨にヒビが入るなどの軽微とは言えない怪我をしていた。

 命にこそ別状は無かったようだが、本人曰く、


『あと少し敵の撤退が遅かったら、僕は死んでいただろうね』


 と、苦笑いを浮かべていた。

 レウゼンでも指折りの実力者であろうジエルの発言に、他の教師たちも凍り付いていたのは記憶に新しい。


「それに、まだまだ混乱は大きくなるだろうね。レウゼンの襲撃事件は学生だけでなく、国民にとっても大事件だ。これからが大変になる」

「でも、ジオの裏切りは新聞記事にしなかったんだな。こういう事は早く伝えた方がいいと思うけど」

「それに関しては、国の判断だから私がどうする事もできないよ。まぁ、教師の裏切りというのは少なからず、この国に対する不信感を高めてしまうだろうしね。それに学生たちにも余計な不安をさせてしまう」

「だとしても、早いうちに発表した方が良いだろ。この事は隠匿し続けられないぞ」


 野外演習を終えてからまだ一日。

 《魔導結社ユニオン》によるフォル密林で行われた野外演習への強襲という事件は、その日のうちにレウゼン内だけでなくマディステラに大々的に広まってしまった。


 表向きにはテロリストによる襲撃という事で報道されているが、レウゼンの教師が《魔導結社ユニオン》を手引きして起こした事件だという事は報道されていない。

 レウゼンの信用問題にも関わる事であり、生徒たちにも今回の事件の顛末についてはその部分だけ省いて説明されている。

 真相を知っている学生――シャルル、グレン、そして気絶していたとは言え、その場にいたアイリスには緘口令を敷くこととなった。


 だが、どれだけ緘口令を敷いたとしても、必ずその情報はいつか漏れてしまう。

 ならば、早い段階で発表に移ってしまった方が良い。

 後の事を考えるならば、それが正しい行動のはずだ。


「まぁ……一応、ジオと《魔導結社ユニオン》との関係性がはっきりするまでって言う条件なんだよね。とは言え、多分調査の結果として三日後くらいには発表されると思うよ」

「…………。……セリアがそう言ってたのか?」

「勘が鋭いね? あの人としてはリオンがジオを殺したという事実を、どうにかして伏せたいみたいだよ?」


 セリアの考えはリオンにも分かる。

 リオンはレウゼンの教師という立場ではあるが、マディステラが保有する最高戦力としての価値の方が高い。

 零番隊隊長としての立場を考えれば、リオンの実力に関しては表出させない事が望ましいだろう。零番隊というのはそれだけ、この国にとって重要な組織なのだ。


 セリアもその事実を理解しているからこそ、リオンという名前を世に出す事を躊躇っているのだ。

 要は、この三日間の猶予は如何にしてリオンの名前を出さずに、ジオという裏切り者を殺したという事実を伝えるかという事を考える期間なのだ。


「それに、生徒たち…………特に、Bクラスの子たちが今回の事を知ってしまったら……ね?」

「…………なるほどな」


 確かに、ジオの死は学校内外問わず大きな波紋を齎した。

 特に戦技科一年Bクラスの生徒たちからすれば一週間ほどという短い時間ではあっても、自分たちを導いてくれた恩師の一人という印象が強い。

 そんな人間が亡くなったという事実に、動揺を隠せない生徒たちの方が多い。

 そんな状況で、今回の件について発表するのは酷というものだろう。


「まぁ、一先ず落ち着くまでは私が対処するさ」

「是非そうしてくれ。お前の名前の影響は大きいからな」

「だねぇ……。まぁ、それは良いんだけどさ。リオンは今後どうするつもり?」


 フローリアは話を切り替えて、リオンの今後の動向について質問した。


「……俺としては《魔導結社ユニオン》の関与が分かった以上、ここで下りる事はないよ」

「それは…………《魔導結社ユニオン》を潰すためにってこと? それとも、シャルルを見捨てられないから?」

「…………どっちもだよ」


 フローリアはリオンの返答に目を丸く見開いた。

 リオンの事だから誤魔化して後者を選ぶか、ストレートに前者のためと答えると考えていた。だが、リオンは両方とそう答えた。


「……今回の件、自分と重なったの?」

「…………。……まさか。ただ、それが俺が与えられた任務仕事だからな」

「そっか……」


 フローリアはリオンの返答を聞いて苦笑する。


「とりあえず、俺もセリアに直談判しなきゃならない事ができた」

「直談判? 珍しいね? 一体、なにを話すつもり?」


 そう言って立ち上がったリオンを目で追いながら、フローリアはそう問いかけた。

 それに対して、リオンは苦い顔をしながら頬を掻いた。


「…………もう一人」

「え……?」

「零番隊からもう一人……今回の任務に見繕って貰えないかなぁ……って」


 ――あのリオンが?


 フローリアは人員の増員を求めに行くというリオンに驚愕した。

 今まで、散々自分一人でどうにかしようとしていたリオンが、誰かを頼るつもりらしい。


「ど、どうして……急に?」

「いや、今後どこでなにがあるか分からないだろ? 俺は零番隊としての仕事だけじゃなく、教師としての仕事もある。だから、もう一人……学生として、協力してくれる奴を寄越してくれないか、と」

「そ、それって……つまり…………」

「ま、まぁ……学生寮で何かあっても、俺の対応が間に合わないかもしれないし……。そもそも、女子寮に入るのもアレだしな……」


 この時、フローリアの脳内には一人だけ、リオンの言っている状況に当てはまる人物が思い起こされていた。


「…………リエルを、呼んでもらう」


 その言葉にフローリアは頭を抱えたのだった。

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