第三十話 野外演習⑯
熟達した者同士の魔法戦闘に於いて、最も重要なのはなんなのか。
魔法の練度なのか。魔法の出力なのか。魔力の多さなのか。はたまた、魔法のみに頼らないで体術を織り交ぜる事なのか。
答えは全て、否である。
魔法戦闘に於いて、最も重要視されるのは見ること。相手の動き、使用する魔法、攻撃の癖……その他諸々を分析し、自身の動きに反映する柔軟性こそが最も重要である。
それを知っているからこそ、リオンは最初ひたすらに見ることに徹していた。
ジオの動きの癖や、魔法の出力、それに付随する練度や攻撃方法。その全てに至るまで、リオンは分析し尽くした。それは無論、ジオの固有魔法――【
「な、なぜ……動きが、読まれて…………」
だが、ジオはそれを知らない。
憶測の域を出ないとはいえ、リオンが既に自身の固有魔法の能力について粗方わかっていることを。
「…………っ、クソがァ!?」
ジオは動揺を怒りに変質させ、衝動に身を任せるがままに転移を発動する。
転移先はリオンの右手側。懲りもせずに接近戦を持ち掛ける。
リオンは転移に合わせるようにして、裏拳をジオの顔面へと放つ。頬を正確に捉えた手の甲は、生々しい肉の感触を捉える。
「――ぐぶっ!?」
噴き出す血流。
口の中を切ったのか、口の端から止めどなく溢れる血を無視して、ジオは転移で後ろへと下がった。
「ハァハァ…………ど、どうなって…………」
ジオは地面に這いつくばりながら、リオンを見上げている。
距離を離した事で少し冷静になったのか、ジオは無謀な突撃をせずにリオンを見る。
ジオの中でつっかえている疑問。それを叫んだ。
「ど、どうして……私の転移先が、お前にはわかっているというのか!?」
あそこまで正確に合わせられれば、そう考えるのが妥当だろう。
ジオの空間転移は確かに脅威的だ。
油断すれば、一気に不利な状況にまで持っていかれてしまうほどに。背後を取り続けられる魔法。それをブラフにしての高速戦闘を可能にする魔法。近接戦闘に於いては無類の強さを誇るだろう。
だが、一度距離を離してしまえば嫌でも目に付く弱点が確かに存在していた。
そして、ともすればそれは最強に近しい固有魔法の致命的なまでの欠点。
「アンタの固有魔法……転移する先は、自分の視線の先じゃなきゃ飛べないんだろ?」
「…………ッ!?」
そもそも、ジオの勝利条件とはなんなのか。
リオンを殺すことではない。
この場合の勝利条件はシャルル・ローグベルトを連れ去ることだ。空間転移という便利な魔法があるのにも関わらず、それをしない理由はなんなのか。
魔法の発動条件を満たしていないからというのが、最も考えられる有力な理由だった。
リオンが発動した【
だが、この場合干渉されないのは壁であって中の空間ではない。ジオの空間転移を以てすれば、障壁内に転移してからシャルルを連れて脱出。そのまま逃走が一番の好手だ。
だからこそ、最初からリオンは空間転移の条件を探っていたのだ。
そうして、得られた結論が視線だった。
「正確に言うなら、座標の指定を目視で行っているんだよな? 予め用意しておいた物ならいざ知らず、咄嗟に状況を判断しての転移となれば、一番正確なのは自分の目だ」
リオンの予想は大方正しい。
ジオの固有魔法【
その中でも一番正確なのは自分が立っている場所に転移のための扉を作ること。次点で、正確なのが目視での座標指定である。
例えば、今回の襲撃で発動した転移に関しては、予め設定しておいた入り口と出口を使用して出現させる事で魔物を各地にばら撒くことに成功した。
そのため、ジオが転移する際に魔法を制御する必要はなく、魔法の発動を気取られないまま奇襲することに成功したというわけだ。
「なら、あとはお前の視線を追ってやれば良い。お前は必ずその先に現れるのだから」
「ッ……! まさか、そこまで……!」
自身の魔法のタネが明かされたことがショックだったのか、ジオは下唇を噛み締めて苦い顔をしている。
現在ジオに残されている手段は逃走の一択のみ。
転移によって、リオンから距離をなるべく離す以外にジオが生存する方法はない。
(仕方ない……今は、ここから――)
「――逃げるなら、逃げてみれば良い。ただ、お前はもうここから逃げられないぞ」
「…………はぁ?」
だが、それすらもリオンは潰していた。それこそが鎖で形成された『蜘蛛の巣』だ。
この『蜘蛛の巣』の意味。それはジオの動きを絡め取る――いや、正確に言うならば、ジオの座標指定を狂わせるための障害。
目視で座標を定めるという都合上、ジオは必ず座標を指定する際には分かりやすいマークを指定する。それは例えば、リオンの右横の地面や、左斜め上の空中、リオンの背後などなど。
だが、この『蜘蛛の巣』の中では、四方に張り巡らせられた鎖によって視界を塞がれている。その為、座標を指定しやすいのが鎖のみになってしまう。
そうなれば、ジオの視線を追ったリオンが、とある鎖に座標を指定したジオの所まで迫り、攻撃を当てることが可能となる。
ジオの動きを徹底的に封じ込めるための鎖の配置。リオンがジオという獲物を仕留めるための狩場。だからこそ、リオンはこれを『蜘蛛の巣』と形容した。
「さぁ、来い。もうお前には俺を殺す以外、生き延びる手立てはないぞ」
リオンは地面に這い蹲るジオを見下ろしながら、軽い挑発をしてみせる。
ジオの性格上、煽られる事に著しく弱い。
煽られれば逃げようともせず、怒りのままにリオンへと切り掛かってくる。いや、そもそも逃げる事すらできない現状では、リオンを殺す以外生き残る手はない。
「…………はははっ! 私とて、甘んじて死を享受することはない! 嘗めるなよ、リオン・エイルス!」
ジオは狂気的に笑い、再び立ち上がった。
もうリオンに自身の固有魔法が通じないと理解した上で尚、ジオは戦いに興じることを選んだ。
「死ねぇぇぇぇ!!!」
疾走――。
縦横無尽にジオは転移を続ける。一度の転移では、リオンの動きを引き剥がす事はできない。
ならば、一度ではなく二度。二度ではなく三度。三度ではなく、幾度も――。
繰り返し、繰り返し、繰り返し。
リオンに視線を気取られる前に、リオンが自身を捉えるより早く、自分ですら制御できないほどの挙動で転移を続ける。
『蜘蛛の巣』によって、捕縛されて尚足掻く羽虫のように、ジオは転移を続ける。
しかし、
「…………ぐふっ!?」
リオンはそれよりも速く。
ジオの転移する先を読みながら、鎖を伸ばし、鎖を足場にして駆け上がる。
炸裂する拳。空振る剣閃。
もはや、戦いと呼ぶことすら躊躇われる一方的な蹂躙が行われる。
「…………ッ、ァァァアア゙ア゙ア゙!!!」
「…………!」
吠えるジオは攻撃を受けながら、リオンにナイフを振るった。
拳とは違い、ナイフは急所さえ切れば即死させることができる。
一発逆転を狙った頸への攻撃。
リオンは捨て身の覚悟で攻撃に転じたジオに大きく目を見開いた。
「ッッ、届い――」
――鎖が刃を弾く。
高い金属音を響かせ、主人の首の皮一枚を剥いで現れる一条の銀線。
精密な魔力操作が無くてはなし得ない、自身の命をも脅かすだろう防御をしてみせたリオンに、ジオは瞠目した。
「……があっ!?」
間髪入れず、ジオの顔面に拳がめり込む。
ジオは鼻からも口からも血飛沫を噴き上げながら、地面に叩き落とされた。
背面を強打し、意識が飛びそうになる。
「――ッ、まだだぁ!!!」
それでも、ジオは吠えながらリオンへと突撃を敢行。
直線上の転移。反撃を喰らうなど承知の特攻。
振り上げられたジオの右腕を押さえるように、鎖が一本右腕に絡みつく。
再び転移。
背後へ飛び、リオンを強襲する。
だが、鎖がジオの頸を絡め取り、とぐろを巻く。
「――ッッッ!? ガッ、ァァあ!」
ジオは再度転移して、拘束を抜け出す。
しかし、その先に待つのはリオンの蹴撃。
脇腹を捉えたリオンの横回転蹴りが、肋骨を砕きながら吹き飛ばす。
「……ぁ、ま、まだ……私、は」
満身創痍。
既に半分意識を飛ばしながらも、ジオは立ち上がる。
彼を立ち上がらせるのは生への執念か、はたまた別の何かなのか。
リオンにはそれを測ることはできない。
だが、その立ち上がり続ける精神力だけは認めねばならないだろう。
リオンは鎖をジオの四肢に巻き付かせる。
ジオにはそれを躱す体力も、拘束から抜け出すだけの魔力ももう残ってはいなかった。
「最後に……一つだけ質問する」
「…………ぁ」
「……お前たち『
リオンはずっと疑問だった事を投げかけた。
その質問にジオは力無く笑いながら、一言。
「…………答える、わけがない」
「そうか……。残念だよ……」
ジオの言葉は予想通りだった。
こんな事で目的を話すのなら、始めから苦労はしていない。
リオンは淡々と、ジオの心臓へと鎖の先を向ける。
「……私、からも…………質問だ」
ジオは自身の死を悟り、諦観の微笑みを浮かべている。
リオンはそんなジオの様子を訝しげに見つめる。
「…………なんだ?」
「……私の、最期の顔はどうだ?」
それはジオの最期の興味。
自分の死に顔はどうなっているのか。
「……絶望で、歪んでいるか? 敗北の屈辱で、悔恨を滲ませているか? はたまた、憎悪の表情なのか? 今、俺はどんな顔をしている……?」
それはジオの単純な興味だ。
ジオには恐怖というものがわからなかった。
生まれた時から、家族が居なかったジオにはそれを教えられる人間がいなかった。
みんなが怖いというお化けに、ジオは全く恐怖する事は無かった。
みんなが恐ろしいという魔物に、ジオはなにも感じる事は無かった。
死という生物の根源的な恐怖でさえ、ジオには到底理解することができなかったのだ。
自分は――おかしい。
そう気付いた時には、ジオは孤立していた。
何事にも恐怖しない、感性の狂った子供。
人々は彼を恐れ、悪魔と呼び迫害し続けた。暴力を振るわれ、魔法を打ち込まれ、泥水を啜り、腐った食料を漁る毎日の中で、次第に考えは歪んでいった。
――おかしいのは、世界だ。
そもそも、恐怖なんて存在しない。
恐怖できる人間がおかしいのだ。
そう考え付いた時、ジオはただ一つの事にのみ興味を惹かれたのだ。
――なぜ、彼らは恐怖するのだろう。
知りたかった。
恐怖するまでの感情のメカニズムを。
最初は人を怖がらせる為に闇に潜み、お化けに扮して人を驚かせる事にのみ尽力した。人々は彼が扮したお化けに腰を抜かし、情けない悲鳴を上げて逃げ出した。
これが恐怖させるという事か、と納得した。
――だが、満たされない。
それは恐怖ではなく驚きである。
賢かったジオはそう気付いてしまったのだ。
ならば、人の根源的な恐怖を引き出すにはどうすれば良いのだろうか。
ジオは考えに考えた。子供ながらの長考の末、ジオには理解できなかったもう一つの恐怖があった事を思い出した。
――そうだ。『死』があるじゃないか。
生物の根源的な恐怖。
人だけに留まらず、全ての生物は死ぬ事を恐れる。
ならば、恐怖という感情を理解するならば、人を殺した方が合理的ではないか。
ジオはその思考に辿り着き、そしてその日初めて人を殺した。ナイフを腹に突き立てて、出血で死んでいく女性を見て、ジオは笑っていた。
――これが、恐怖。
その時、ジオは理解した。
恐怖とは絶望が高まれば高まるほど、より鮮明に、より美しく見ることができると。
以来、ジオはより過激に殺しを行っていった。
最初は足の腱を断ち、動けなくしてから命に関わることのない場所を刺して、痛みによる絶望を引き出していく。
そうして、高まりに高まった絶望の表情を見ながら、最後には首をナイフで一撫で。
――もっと、知りたい。もっと、学びたい。もっと、もっともっと!
歪んだ欲望は収まるところを知らず。
暴走し、暴発した衝動に突き動かされるまま人を殺していった。
その過程で『
「…………あぁ、知りたい。見たい。私の恐怖を」
そんなジオの最期の興味こそがこれだ。
果たして、自分に恐怖はあったのか。
おかしいのは自分だと。そう理解し、歪んでいった一人の少年は恐怖できるのか。
「教えてくれ……リオン先生」
ジオはリオンに尋ねた。
虚な瞳を輝かせながら、期待に満ちた目で。
そして、リオンは目を伏せながら答えた。
「…………お前は、笑ってるよ。死の間際に立たされても尚、お前は…………」
「…………そうですか。やはり、そうなのですね」
ジオは虚な瞳を更に暗くし、項垂れた。
ずっと知りたかった興味。その果ての答えは、自分には恐怖はなかったという事。
「やはり、私は――」
――歪んでいる。
その言葉を紡ぐ前に、リオンの鎖がジオの心臓を貫いた。
ジオの身体は脱力し、生命活動を停止した。
「…………泣けたんだな、アンタも」
滴り落ちる水滴を見ながら、リオンはそう溢した。
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