第二十九話 野外演習⑮

 向けられる殺意には慣れている。

 リオンの人生を語るならば、その悪感情はどうしても切り離せないものだから。

 だからこそ、この場を満たすジオのドス黒い殺意に対してリオンが何かを感じることはない。

 だが、それはこの場にいる他の人間――シャルルには当て嵌まりようの無い話だ。


「…………ッッ?!」


 ジオを挟んで向かい合うシャルルは手で口元を押さえている。恐らく、ジオの殺意のせいで気分があまり良くないのだろう。


「……殺意を漏らすのは未熟者の証ですよ?」

「知ったような口を聞くなよ。私は今まで何人も騎士を葬ってきたんだぞ? お前のように、自信だけはあるバカな奴らをな!」

「そうですか……」


 リオンは静かに目を閉じた。

 これ以上の問答は無駄だろう。

 ジオは既に『早くお前を殺したい』と、その破壊的衝動を抑えきれないでいる。


 ならば、ここから先は単純な殺し合いだ。

 純粋な殺意のみが存在する事を許される神聖な穢れた戦い。

 そして、そんな戦いをシャルル達に見せるべきではないだろう。これからどちらかが確実に死ぬ戦いなど、まだ学生である彼女達に見せるのは早い。


(…………幸い、シャルルとあの二人の位置は近い。あそこの位置なら、丁度囲える)


 リオンはシャルルと倒れるグレン達の位置を見て、そう判断した。


「――【闇曇天蓋ザニス・グラン・リーグス】」


 リオンがそう唱えると、シャルル達を囲うように闇の球体が包み込んだ。


「…………っ!? リオン先生!?」

「大丈夫だから、その中で少しだけ待っていてくれ。すぐ終わらせるから」


 シャルルは突然現れた闇の障壁に驚愕の表情を浮かべながら、リオンの元へと駆け寄ろうとしてくる。

 だが、闇の壁がシャルルの行く手を遮った。リオンはそんなシャルルに対して静かに微笑みながらそう促した。


「……なるほど。生徒達を守るための結界か。それも外の様子を見せるつもりはない、と。中々、生徒思いじゃないかリオン・エイルス」


 【闇曇天蓋ザニス・グラン・リーグス】は闇の障壁魔法としては最高位に位置する『上級魔法』だ。この球体はあらゆる攻撃を通さず、全て呑み込む窮極の障壁だ。唯一の欠点を挙げるとするなら、この魔法は光や音すらも吸収するため外界の情報を得ることができない。


 だが、今回ばかりはその欠点デメリット利点メリットとして働いてくれる。

 なにせ、ここからの戦いの顛末を見せずに済むのに加えて、リオン自身の素を出せるからだ。教師としての取り繕った自分を崩せる。


「――別に、そんなんじゃ無いさ」

「…………は?」

「ただ、この先の戦いはアイツらには関係のない事だからな。人の死ぬ光景なんて、まだ未熟なアイツらに見せるものでもないってだけさ」


 リオンはきっちりと着込んでいたワイシャツの第一ボタンを外し、ローブを脱ぎ捨てて草むらの中へと放り投げた。

 口調も教師として振る舞っていた時の物腰の柔らかいものから、いつもの粗暴な口調へ。人当たりの良い笑顔は鳴りを潜め、冷ややかな赤い瞳がジオを射抜く。


「その変化は……。…………いや、それよりもだ。お前、人を殺し慣れているな? どういう事だ? お前は騎士団の出身と言っていたなはずだ。なのに、なぜ殺しに慣れている?」

「なんでだろうな? それをわざわざ俺から語ることは無いぞ?」

「……なるほど。答える気は更々無いというわけか。だが、私は俄然お前に興味が湧いた。なぜ人殺しに慣れた男が教師になったのか」

「別にそんな大それた理由なんてないさ」


 そう。大それた理由なんてない。

 ただ上からの命令で嫌々教師という職に就いて、シャルルを守ることになっただけ。

 そして、それを今更ジオに喋る気は無い。いや、喋る必要がないと言った方が正しいだろう。


「早く終わらせよう。アンタには色々聞きたいこともあるんでな」

「私は元からそのつもりさ。だが、リオン先生。貴方に私の攻撃が見切れるのか? 先の攻撃は手加減したものだったにも関わらず、躱しきれていなかったようだが?」

「……まぁ、どうにかなるだろ。もうお話には飽きてるんだ。良いから早く来い」


 リオンは左手の人差し指を二度自身の方へと折り曲げる。

 その瞬間、ジオの身体は再び消えた。

 瞬きすること数度。リオンの背後へと現れたジオは、リオンの頸に刃を突き立てんとナイフを振り下ろした。


「…………ふっ」


 リオンは反射的に体を捻り、ジオへと裏拳を撃ち込む。

 ――ハズレ。

 ジオは体勢を低くして、リオンの足元へと潜り込む。

 ジオの狙いは初めから一点。

 リオンの動きを封じることにある。つまるところ、狙うはリオンの動きを支える足だ。


「まず、一本!」


 ジオの振るったナイフがリオンの足首へと吸い込まれていく。

 足首へと到達したナイフは皮膚を裂き、骨を断ちながらリオンの体から、ただの残骸として乖離させる。


「《我が名を以て扉を開く》――【封魔の霊廟クラウゾレム】」


 だが、そんな結果は起こり得ない。

 ナイフと足首。その隙間を通すようにして、一本の鎖が地面へと突き刺さった。

 ――ガアァァァン……!

 金属同士の衝突音が甲高く響き渡る。


「――な!?」


 ナイフの侵攻が鎖によって阻まれた。

 その事実を認識したジオは相貌を余裕綽々といった笑みから、驚愕へと歪めた。

 だが、それは一瞬。

 ジオは動きを止めることなく、空間転移の利点を最大限に利用してリオンとの距離を離した。


「…………驚いたよ。まさか、あの隙間を通して私の攻撃を防ぐとはね」


 冷や汗を流しながらも、ジオは笑みを浮かべて平静を取り繕う。

 そうして、リオンの動きをよく観察し始める。


 常人と比べても大差ない魔力の量。殺気どころか闘志すら感じられない雰囲気。まるで戦い慣れしている様には見えない。見えないのに、纏う覇気はあのフローリアを彷彿とさせる。

 そして、何より脅威的なのは魔法の練度。先程、魔物を殲滅した光魔法然り、ジオの攻撃を防いだ鎖の動きも常軌を逸している。


 自分の放った魔法が、自分に危害を加えることはない。などという事はあり得ない。

 扱いを間違えれば、自分の放った炎で身を焼くし、自分の振るった冷気で身を凍てつかせる事もある。要は武器と同じで、自分にだって怪我を負わせる事はある。


 だが、先の鎖での防御。

 自分の皮膚を掠める事なく、刃と足の隙間に鎖を通すその技量。

 明らかに異常なのだ。


「…………それに、気になる事もある。私はね……この国の闇も知っているんだ。有力な貴族が起こした事件や、裏で揉み消されている罪を……。だから、私の耳にも情報は入るんだよ……」


 闇を生きる者であれば、誰しもが一度は聞いた事のある噂。

 国では対応することができない、裁けない罪を自分たちで下し、あらゆる罪人を裁く権利を有する戦闘にのみ特化した精鋭部隊の噂。


 その中でも、一番新しく起こった事件と聞かれれば、グロウス・シレッドの暗殺だろう。

 表向きには有力貴族の死という事で、各メディアがそのニュースをこぞって記事にしていたが、悪い噂が後を絶たなかった彼の死を悼む者はいなかった。


 だが、その記事が人目に止まったのは、シレッド邸の惨状についてだった。

 その場に転がっていた死体――シレッドとその護衛達は皆一様に心臓を潰されて即死していた、と。何より恐れるべきは、それ以外に一切の傷が無かったこと。

 裏の世界で流れた噂。それをしたのが、一人の男だったと。


「零番隊……その隊長である【禁じ手ヴェティタム】は、リオン・エイルス――貴方と同じの魔法を使うという噂がある。ともすれば、聞きたい事は一つ。貴方が零番隊の隊長なのか?」


 これは一応の確認だ。

 これで素直に自分で認めるならそれで良し。

 だが、否定したとしてもリオンが零番隊隊長だと、ジオはほぼ確信している。


「答える義理はない。それにお前との話は飽きたって、さっき言っただろ?」

「そうか。それならそれで良し。零番隊の隊長を倒したとなれば、私の功績も少しは上がるだろう」


 否定も肯定もなし。それはつまり、無言の肯定。

 ジオは浮き足立つ感情を抑えながら、再びナイフを構えた。

 ジオはナイフを大きく振りかぶり――転移。


 次は防御する猶予すら与えない。

 すでに振るったナイフの軌道の延長線上に、丁度リオンの首元が来る様に転移先を調整する。


「…………ふっ!」


 しかし、その絶殺を歌った攻撃はリオンが咄嗟に後ろに飛び退く事で空振る。

 反射神経などと一口に語ることの出来ない反応の速さ。そして、そこから放たれる蹴りがジオの顔面を捉えそうなところで再び転移。


 現れるのはリオンの左手側。

 蹴りを放ったことによって、無防備となった横っ腹を刺すようにナイフを突き出す。

 その瞬間、ナイフの軌道上にまたも鎖が降ってくる。


「クソが……! どんな反応速度をして……!?」


 一瞬にして理解させられる。リオン・エイルスの強さは魔法の強さではなく、それ以外の基礎的な能力の異常なまでの高さなのだと。

 なにより、終始リオンから感じられる魔力の高まり。常軌を逸した魔力の量に、ジオは足が竦みそうになる。


「フフッ、フッハハハ……! 流石だよ、リオン先生! 貴方は私の相手として、不足ない!」


 身を支配する高揚感に、ジオは嬉々として突き動かされる。これが自分の存在意義だと言わんばかりに。


(…………速度が、上がった)


 リオンはそんなジオとは対照的に、努めて冷静に、努めて落ち着いて戦いを進める。

 防戦一方。

 この戦いを見ている者が居たとすれば、そう形容しているだろうと確信できるほどにジオの攻撃に、リオンが押されているようにさえ見える。


「――ハアァァァァアアアア!!!」

「………………」


 吠えるジオと、静かなリオン。

 二人の中での戦いの熱量は明らかに食い違っている。

 鎖による防御を何度繰り返したか。一度や二度ではない。再三、何度も何度も繰り返した防御の果て、周囲には計十六本の鎖が残存している。

 そして、十七本目の鎖が地面に打ち込まれた。


「…………ようやく完成した」

「完成……?」


 ジオはその言葉の意味がわからず、頭を傾げた。

 戦いの最中で、リオンは一体何をしていたのか。防御に徹する中で、別の魔法でも練り上げていたというのか。

 そう考えて、理解する。


「こ、これは……まさか…………」

「そうだ。お前を閉じ込める檻…………いや、お前の動きを絡めとる『蜘蛛の巣』とでも言っておくか?」


 リオンの固有魔法――【封魔の霊廟クラウゾレム】によって出現した鎖は、リオン自身が消そうとしない限りその場に残り続ける。

 リオンは今に至るまで、鎖を一本たりとも消してはいなかった。


 防御に使用していた鎖の全てが、四方八方に広がりながらも障害物のように乱立している。

 これがリオンの準備。

 空間転移で好き勝手に動き回るジオを封殺する為だけに用意した、特別な戦場。


「…………いや、無駄だ。こんな物を張り巡らせたところで、私の空間転移を破る事はできない!」


 ジオは再び、リオンの背後へと転移した。

 だが、ジオは考えなければならなかった。

 どうして、今までリオンがジオの攻撃を回避できていたのか。

 どうして、リオンがこんな『蜘蛛の巣』を作っていたのか。


「ッ、貰っ――」


 ジオの鳩尾に拳がめり込む。


「がァッ、はあっ!?」


 肺から全ての空気が抜けたと錯覚するほどの衝撃。

 鳩尾を中心に広がる痛みに目を白黒させながら、ジオは後方へと吹き飛んだ。


 いや、正確に言うなら吹き飛んだような錯覚を得たが正しいだろう。

 ジオが後方に吹き飛ぶすぐ先には、リオンが張り巡らせていた『蜘蛛の巣』がそこにはあった。


 背中を『蜘蛛の巣』に押されて、ジオの身体は再びリオンの前へ。

 大きく振りかぶられたリオンの右ストレートがジオの鼻骨を打ち抜き、骨の折れる鈍い音を響かせながら空中へとジオの体を浮き上がらせる。


「ガァっ!? …………ッ、グゥッ!?」


 ジオは苦痛に喘ぎながら、リオンを見る。

 そこには、ただ無感動に此方へと歩み寄る『悪魔』が居た。

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