第二十五話 野外演習⑪

 フォル密林・南方地帯『岩塊林』。

 崖と岩と木が乱立するその場所で、ルエナは未だに戦闘を続けていた。

 周囲一帯を見渡せば、胴体から捻じ切られている鷲のような魔物や、頭を握り潰された猿のような魔物、内臓を引き出された鹿の魔物――死んで間もない魔物たちが散らばっており、内臓や血痕があらゆる樹木や岩、地面にこべりつく惨状と化していた。


「……ったく、多すぎんだろうがよォ!」


 その惨劇の渦中にルエナはいる。

 次々と襲い来る魔物を殺しては投げ、殺しては投げ――それを繰り返していく内に、魔物たちは確かにその数を減らしていく。


「なにが……! どうなってやがんだよ! これじゃあまるで状況がわからねぇじゃねえか!」


 ルエナの全身はすでに血みどろになっている。

 これは傷を負ったという訳ではなく、全て魔物の返り血によるものだ。

 残る魔物は上半身が鷲、下半身が獅子の魔物――『グリフォン』が三匹のみ。


「ようやっと終わりが見えてきたか……」


 血潮で濡れた手で桃色の髪をかき上げながら、ルエナは微笑を浮かべる。


「さぁて……あと三匹くらいパパッと片付けて、生徒たちを探しに行くかァ!」


 叫びながら、ルエナはグリフォンの一匹へと飛び掛かった。

 ルエナの戦い方は至ってシンプル。


 特大威力の魔法を扱うでも、小規模の魔法を速射しながら近接戦闘をするでもない。ただ、魔力で自身の身体能力を最大限まで引き上げてから、ぶん殴る。

 ルエナの華奢な腕からは想像の付かないような、剛力がグリフォンの胸を穿つ。


『――ギュア!?』

『――キュアァァァァァ!!!』


 まず、一匹目。

 二匹目のグリフォンは仲間の絶命を確認するや、憤激の咆哮を上げながらルエナへ向けて突撃を敢行した。

 構えるはグリフォンの代名詞である、万物を引き裂くとも言われる鋭利な爪。


 ルエナはそれを一瞥することもなく胸を穿ち抜いた腕を引き抜きながら、振り下ろされた爪に勢いそのままに裏拳を叩き込んだ。

 ――べキャッ!

 肉と骨がひしゃげた音が木霊する。


『――ギ……ッ!?』


 身体を反転させ、絶叫を上げさせる間も与えずに、二匹目のグリフォンの頭部に延髄蹴りを決め、粉砕した。

 続く三匹目は他の二匹とは異なり、飢えていながらも冷静なのか空中から降りてこようとはしない。


「なるほど……そこがって言うのは知ってるのか」


 最後のグリフォンを見ながら、ルエナは感嘆を漏らした。

 他の二匹と違い、それなりの知性を持ち合わせている事に感動しているのだ。


「――だが、それはならって言う前提だ」


 ルエナは大きく膝を曲げる。

 そして、地面に大きな罅を入れるほどの膂力を以て、最大限の跳躍をした。


『――ギュッ!?』


 突如として眼前に現れたルエナに、グリフォンは体を強張らせた。

 だが、それも一瞬。

 グリフォンは旋回して、ルエナの背後へ回ろうと羽を動かした。

 だが、そんな行為すら虚しく。

 ルエナはグリフォンの前足をガッチリと掴んだ。


「それが……私に当て嵌まると思うなァ!」


 グリフォンが暴れるよりも早く、ルエナは大きく振りかぶって、グリフォンの身体を地面へと投げつけた。

 グリフォンはその速度を殺す暇すらなく、地面に衝突。――グチャッ……という、肉の潰れる音と共に地面に血の染みとして残った。


「……ふぅ。ようやっと終わったぁ!」


 ルエナは地面にふんわりと着地してから、大きく背伸びをして筋肉を伸ばし始めた。

 ルエナが倒した魔物の総数はおよそ二十五匹。

 彼女の一方的な蹂躙であり、緊迫した戦いではなかったがそれでも数が多ければそれだけ疲労も蓄積されるというものだ。


「さぁて……これで、漸く――」


 ルエナは伸びを止めて、視線を右上――樹木の葉が埋め尽くす枝の隙間を見て、


「――お前の相手をしてやれるな」


 ただ一言、そう呟いた。


「……ほら、出てこいよ。もう居るのは分かってんだ。なんの大義名分があって、こんな所に居るのかは知らないが話は聞かせてもらうぜ?」


 ルエナの呼び掛けに誰も応えない。

 だが、ルエナは確かにそこに居る誰かの気配を感じていた。


「もし、出てこないなら――」

「――なんだ、バレていたのか……」


 ――出てこないなら、こっちから行く。

 そう言いかけたルエナの言葉を遮るようにして、黒装束の男がその姿を現した。顔の左半分を黒い布で隠した男が。


「お前、だれだ?」

「…………」


 ルエナの問い掛けに返ってきたのは沈黙。

 男はルエナと問答をする気が無いという事なのか。

 幾ら待っても、男からの返答はない。

 痺れを切らしたルエナは舌打ちを打ちながら、次の質問へと移った。


「チッ、目的はなんだ?」

「…………」

「おい、何か答えやがれ!」

「…………。……俺の名前は、顔無しフェイスレスだ」

「…………はぁ?」


 一体、何を言っているのかルエナはほんの少しの間理解が追いつかなかった。

 どうやら、最初のルエナからの質問の回答らしいが、一体なぜこのタイミングで急に答え始めたというのか。


「…………俺の目的は、貴様に言うほどの事でもない。ただ、欲しいものがあったので、奪いに来た次第だ」

「……欲しいもの? それは一体――」

「答えただろう? 名前も、目的も」

「…………なに、言って」


 ルエナは目の前の男の言動がまるで理解できず、頭を捻ることしかできなかった。


「……欲しいものについては言えない。ただ、それを手に入れるためにはお前たち教師が邪魔だ」

「まぁ……つまり、敵って事でいいんだな?」

「特に、この場所には懐かしい気配もある。それも忌々しいアイツの気配が……! あまり、俺たちも時間は掛けていられないんだ」


 顔無しフェイスレスとの会話が噛み合わない。ルエナの言葉に対して、ワンテンポ遅れて返答が返ってくるのだ。まともな問答ができる敵では無いという事だけはルエナも理解した。


「そう、俺はお前たちの敵だ……」


 その言葉を聞いた瞬間、ルエナは何を言うでもなく、顔無しフェイスレスに肉薄しようと、地面を強く踏みしめた。


「――ガッ!?」


 その刹那、唐突にルエナの肩にナイフが突き刺さった。

 ルエナは刺さった事に気付くと、ナイフを即座に抜き地面に投げ捨てた。


「いつ……投げた……?」


 ルエナの目はナイフが飛んでくる瞬間を捉えることができていなかった。

 攻撃しようと構えて、その瞬間にはすでにナイフが肩に深々と刺さっていた。にも関わらず、顔無しフェイスレスがナイフを投擲する瞬間すらも見えなかった。

 そんなことが果たしてあり得るだろうか。


「なんなんだ……今のは…………」

「だからこそ、お前たちを殺さなくてはならない。初対面ながら恐縮ではあるが、今からお前を殺す」

「――ぐあっ!?」


 その言葉が発された次の瞬間、ルエナの右腿に同じナイフが突き刺さった。

 またも、そのナイフが当たるまで、そこにナイフがあった事にすら気付けなかった。


 一度ならず二度までも。

 同じ手でルエナは傷を付けられた。


(コイツ……一体、なにをした!?)


 とにかく今は動き回って、ナイフを当てられないようにするしか無い。

 そう判断して、ルエナは右腿のナイフを抜いて疾走を開始した。


「早くしなくては、な。俺たちがまだ有利な内に……」

「…………ッ、ガァ!?」


 顔無しフェイスレスがそう呟いたすぐ後、走り回っていたルエナの前の空間が火を吹いた。

 燃え盛る爆炎がルエナの身体を包み込み、荒れ狂いながら彼女の命すらも焼き尽くさんと暴発する。

 されど、ルエナは止まらない。纏わりつく爆炎の奔流を振り解きながら驀進する。


「――【火爆ガル・イース】……」


 顔無しフェイスレスは魔法が発動し終えてから、その魔法の名前を呟いた。

 ナイフだけでなく、魔法すらも発動を知覚できない。

 ルエナ自身、自分が置かれている状況がわかってはいなかった。

 だが、唯一その状況を説明できる言葉がある。


(これは……『固有魔法』か……。コイツ、私と戦う前から『固有魔法』を発動していやがったんだ!)


 ――『固有魔法』。

 属性魔法とは異なり、特異的な効果を齎すその魔法によって、今ルエナは追い込まれている。

 その種を明かすことはできないだろうが、それに対抗する手段をルエナも持ち合わせている。


「はぁ……やんなるよなぁ……。私、この魔法があんま好きじゃねぇのに…………。それでも、使わなくちゃならないんだからさぁ!」


 ルエナは理解した。どんなに激しく動き回ろうと、攻撃を知覚できなければ躱すことなど出来ない、と。

 だからこそ、無駄な体力を消耗する前に足を止めて、その場に仁王立ちする。

 だが、これは降伏する為ではない。

 寧ろ、勝利を掴むために敢えて停止してみせたのだ。


「《万象無に帰す――》」


 その時だった。

 空に突如として、目が眩むほどの極光を放つ球体が出現した。

 それは、フォル密林全土を照らしている。だが、問題なのはそこではない。問題なのは、それに内包されている魔力。


「…………なんだ、あれ」


 ルエナは『固有魔法』の詠唱を止め、その光に呆気を取られてしまっていた。

 それは顔無しフェイスレスも同様で、空に燦然と輝く光球を見て瞠目している。


「まさか、アレは――」


 顔無しフェイスレスがそう呟いた。次の瞬間――光球は割れ、幾重の光粒となり結界の中のありとあらゆる場所へ降り注いだ。

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