第二十四話 野外演習⑩

 フォル密林・北方地帯『群生の森プラント』。

 ジエルは目の前で倒れる頸と胴の離れた靄のかかった男を一瞥すると、踵を返してその場から離れようと歩を進めた。


「……それにしても、今の状況はどうなっているんだ? なぜ急に敵が…………。結界に穴は無かった筈……。それに事前に地面に潜んでいる魔物についても、探知はしていたはずだ…………」


 ジエルは疑念を抱いていた。

 突如として起こった大量の魔物の急襲。

 まるで瞬間移動でもしたかのように出現したその魔物達はその全てが『狂乱獣インサニア』だという話だ。


「それに……この男はなんだったんだ? 狂乱獣インサニアの出現に合わせたかのように、僕の前に現れたが…………」


 名無しネームレス――そう名乗った男は今は物言わぬ屍と成り果てている。

 開口一番、ジエルがその頸を切り落としたからだ。


「……しまったな。こんな事なら、腕と足を切り落として尋問するべきだったか…………。……いや、今更後悔しても遅いか。一先ず、生徒たちの救出を急がなくては……」


 ジエルが体勢を低くして、走り出し――


「――ソノ後悔は必要ノナいモノだよ」


 背後から聞こえた声に、ジエルは跳ねるように振り返った。


「…………どういうことだ?」


 ジエルは冷や汗が流れるのを感じた。

 彼の視線の先。生物として、本来なら有り得ない光景を目の当たりにして、本能が警鐘を鳴らし始める。


「見てワカラなイ? 俺はマダ死んデイなかっタッて話ダヨ? 至極単純ナ話ジャナイか!」

「そういう事じゃない。なんで、頸を落とされたのに生きているのかっていう事を聞きたかったんだ」

「アぁ、ソウいウことね」


 名無しネームレスは落ちた頭を拾い上げながら、酷く納得したように体全体で頷いてみせた。

 そして、拾い上げた頭を頸の切断面に充てがう。

 すると、黒いモヤは首元を中心に肥大化し、気付けば落とした筈の頭は完全にくっついてしまった。


「俺サぁ……切ラれてモ、モヤされてモ、凍らサレてモ、砕カレテも、ツぶサれても、貫カレテモ死ななイ。まァ、ツマるところ俺ハ不死身ダ――」


 ――不死身。

 絶対に死ぬことのない身体。

 目の前の男は生物としてあってはならない矛盾を、その身に内包している。


「不死身、か……。なるほど、確かにそれなら目の前で起こっている異常にも説明が付く…………」

「デしょぉオオ? どう? コわクナってきタ? 逃ゲ出しタクナッてきたァァああ!?」

「いや、どちらかと言うと怖いというより『不気味』が勝つかなぁ?」


 ジエルは冷静にそう返した。

 混沌とした場に静寂が訪れる。

 場を混沌とさせた張本人である名無しネームレスが硬直してしまっているのだ。


「――――っ……」


 そして、その静寂を破ったのもまた名無しネームレスだった。


「――ぶっハハはッ!!!」


 彼は腹を抱えながら、笑い転げ始めた。

 ジエルはそんな名無しネームレスの様子に、唖然としてしまう。


「クッふふフ……! お前ェ、『不死身』と『不気味』デ掛けタノカ! イイなァ! センスノあるギャぐダゼ!」

「…………いやいや、別に掛けてないし。てか、センスも面白みにも欠ける駄作だろう」

「ソウかァ? オれハ好きダッタケどなァ?」

「だとしたら、君の笑いのツボがおかしいんだよ。ほら、君は人間らしい見た目してないし」


 ジエルは名無しネームレスとの雑談に興じながらも、その態度や動きから目を離すことはせずに、ひたすらに観察し続ける。

 目的やその正体、仲間の人数などは不明だが、一つだけ言えるのは、ジエルとの雑談に花を咲かせる事ができるほどの余裕があるということ。


 いつ敵の増援が来るとも知れない戦場で、ここまで呑気に会話できるという事はそれだけ自分の実力に自信があるということの証左に他ならない。


「マァ……ソロそロ、会話も飽きてキタ頃合イジャないか?」


 名無しネームレスは猟奇的な歪んだ笑みを浮かべながら、ジエルに問い掛ける。

 その身から溢れんばかりの魔力の奔流を滲ませながら、一歩、また一歩とジエルの近くまで歩を進めてくる。


 場の空気が一気に張り詰める。

 ジエルもその問いに答えるように、自身の魔力を解き放つ。

 巨大な二つの魔力の衝突。

 大気が震動し、大地が騒めき立つ。


「いイネェ! やっぱリ、ソウこナクっチャ!」

『――【闇絶槌ザニス・ノーラ】』


 その瞬間、ジエル立っていた場所に闇の柱が堕ちた。耳を劈くような轟音が周囲一帯に響き渡る。

 【闇絶槌ザニス・ノーラ】――相手の頭上に大質量の闇を生み出し、それを堕とすだけの魔法。実にシンプルだが、その殺傷能力の高さから『闇魔法』の中でも上級魔法に分類される。


 あれを真面に喰らえば、ジエルも無傷では済まない。

 名無しネームレスは土煙が立ち込める先――ジエルが立っていた場所を見ながら、を狂気に歪める。


「――【風刃フォル・ラーズ】」


 土煙を上下に別つ風の刃が、再び名無しネームレスの頸を捉える。

 しかし、今度は首を落とさず即座に修復して、土煙の中から姿を現したジエルを見据える。


『「無傷かァ……」』

「残念だけど、君もダメージを受けてないみたいだね」

『「まぁネェ。デも、意外ダッタなァ……。完全ニ不意を衝イタと思っタんダケド」』

「相手は何をしでかすかわからない敵だよ? 僕だって多少警戒はするさ。それにしたって、まさか二つ目の口があるなんて思わなかったけどね」


 ジエルは異形の姿――左頬に出現したもう一つの口をを見て笑苦笑いを浮かべる。


『「アァ……コレかァ。勘違イしないで欲シインダけど、これハ俺が今作ッタ口だ」』

「…………作った?」

『「ソウだ。俺はコンナ見た目ダかラナノか、身体の形がアッてナイようなもノなんだ。だかラ、オレは自由に自分ノ身体のパーツを生み出セルノサ!」』

「……なるほど。不死身の理由はそれという訳か」


 つまりは、そういう事だ。

 名無しネームレスには肉体の区別が存在しない。いや、正確に言うならばその肉体全てが頭であり、腕であり、足であり、胴であり、目であり、口なのだ。


 そして、これが名無しネームレスが生物の断りに反した『不死身』の理由。

 肉体の区別がない名無しネームレスには、本来生物の急所とされる頸や心臓が有って無いのだ。

 だからこそ、モヤの断片が少しでも残っていれば、その他すべてが消されたところで再生してしまう。これが不死身のカラクリだ。


『「と、マァ……色々教えテヤった事だしィ? 時間モ余り掛ケテいられなイカラ、ソロそろ本気デ殺しニ行クヨ?」』


 刹那――濃密な殺気が周囲へと放たれた。

 今まで、名無しネームレスは遊びのつもりだった。教師たちの実力を侮っていたのだ。

 だが、彼の前に立つジエルという教師は非常に強い。その事実に胸の高揚が抑えられなくなっていた。


「なるほど……ここからが本番、か…………」


 冷や汗が止まらない。

 名無しネームレスの放つ殺気に怖気付いたわけでも、屈したわけでもない。

 ただ、本能が、直感が、心が最大級の警報を鳴らす。


「《失名ノ愚者に捧ぐ歌》――【奪名の輪唱スィーネ・ノームトス】」


 溢れ出した魔力の激流が名無しネームレスの肉体を覆い隠していく。

 そして、その瞬間剥き出しの肉と無数の鱗、鋭い鉤爪に鳥の羽が入り混じった歪な集合体が、ジエル目掛けて放たれた。


「――――っ!?」


 咄嗟のことにジエルは反応が遅れ、左の二の腕の肉が抉り取られた。

 噴き出す血流に顔を歪ませながらも、ジエルは名無しネームレスの変化から目を離す事はしない。


「サァサァ! 俺ヲもっと、楽しマセてくれェェ!! もっと、もっとモッと遊ぼウゼェ、先生ッ!!!」

「フフッ、醜い姿になってしまって…………可哀想に。同情くらいはしてあげますよ」


 魔力の奔流から姿を現した名無しネームレスの姿は――醜悪。その一言に尽きた。

 黒のモヤがところどころ掛かり、身体中あちこちから肉片が飛び出しながら、爬虫類や鳥類や魚類や両生類などの生物の特徴全てを織り交ぜたかのような悍ましい姿。


 異なる生物同士が融和せず、反発し合っているのが見て取れる。

 脈動する血肉の合成体。生物界の禁忌にして、人が触れてはならないとされる神への侵犯行為。

 その姿はまさしく禁断の生物――『合成獣キメラ』のなれの果て。


「オラァァァ!!!」

「…………ぐっ!?」


 肉塊と化した腕のようなものがジエル目掛けて振り下ろされる。

 ジエルは薄皮一枚ギリギリでその攻撃を回避するが、完全には躱せず額から血が流れ出る。

 ジエルはなんとか距離を取ろうと、後ろに跳んだ。


「マダ、壊れルナヨォォ!?」


 地面を破砕し、めり込んだ腕を名無しネームレスは思い切り振り上げた。

 腕は射程を伸ばしながら、ジエルへと迫る。


「――【風刃フォル・ラーズ】ッ!!!」


 ジエルは風の刃で肉塊を左右に分断。

 辛うじて、自分の身体を入れ込めるだけのスペースを確保する。


(まともに……喰らえない! この攻撃は、受けたら確実に死ぬ!)


 ジエルは奥歯を強く擦り潰しながら、焦燥の表情を浮かべる。

 三度に渡る攻撃。その破壊力を目の当たりにしたからこそ、彼は理解してしまった。

 名無しネームレスの攻撃は、純然たる死を齎すことを。


「ハハハッ!!! 楽シィナァ!!!」


 名無しネームレスは獰猛に笑う。ただひたすらに戦闘を楽しんでいる。そこに恐怖の色など見えもしない。

 反対に、ジエルは明瞭になった死のイメージに、心臓の鼓動が速くなっていた。恐怖はない。絶望もしていない。ただ、焦っていた。


(コイツ……後先考えずに…………! 無茶苦茶すぎる……!!!)


 名無しネームレスの繰り出す『固有魔法』の威力は凄まじい。

 もし、これが生徒たちに向けられたなら――そう考えるだけで、身の毛がよだつ。


「オラ、次ィ!!!」

「…………ッ、しまっ――!?」


 分断された肉塊が、ジエルを挟み込まんとするように衝突した。

 ジエルはそれをなんとか体勢を低くする事で回避したが、彼は現在名無しネームレスの腕の下に入り込んだ状態になってしまっている。


「このマま、擦リ潰しテヤるヨッ!!!」

「――【風穿牙フォル・ラウド】!」


 頭上から振り下ろされる腕を、逆巻く突風の牙が穿ち抉り取っていく。しかし、されど上から掛かる重圧は減ることはなく、それどころか増していく。

 このままでは、先にジエルが消耗の末に殺される。


「…………ッ、使うしか、ないか!」


 だからこそ、覚悟を決める。

 魔法戦の基本。相手が『固有魔法』を使用した時、それに対するならば自身も『固有魔法』をぶつけるしか無いということ。


「《罪禍の刃が咎を断つ》――【真理の断頭台シェルス・プエナ】!」


 気付くと、名無しネームレスの肉塊と化した腕が粉微塵に切断されていた。


「…………はァ?」


 名無しネームレスは一瞬何が起きたのか理解ができなかった。

 だが、すぐにその理由に気づく。


「……なンダ? その剣ハ? まサか、ソレで俺ヲ切ッたのか?」


 ジエルの体の周りに十字架を模したような十本の光の剣が浮かんでいた。


「イヤ、試しテミレバわかルか!」


 名無しネームレスは何が起こったのかを確かめるべく、三本の腕をジエル目掛けて放った。一本目は頭上から、二本目は左から、三本目は後ろから。

 三本別々の方角から繰り出される攻撃。


 先程までのジエルならば、確実に防ぎきれないほどの質量攻撃。

 ジエルはそれを認識した上で、動かない。

 いや、動く必要など無かった。


「見てわかるなら、ね」


 ジエルがそう言った刹那、三本の光剣が砕けた。

 次の瞬間、三本の触腕が先程と同じように空中で粉微塵に霧散した。

 砕けた三本の光剣はと言えば、気付かぬ内に再生し再び剣の隊列の中に戻っている。


「成程、ナ。大体ワカッた。ソイツらが砕ケたのは、俺の腕ヲ切リ刻ムたメカ。加エテ、その斬撃ハ正しク光ノ速サヲ体現してルワケか」

「まぁ、正解では無いけど八十点をあげるよ」


 ジエルは拍手をしながら、そう告げた。

 ジエルの『固有魔法』――【真理の断頭台シェルス・プエナ】は名無しネームレスの予想通り、光の速さで対象を切り付ける魔法だ。光剣が砕けたのは、より細かく切り刻むため。


 本来は光剣を砕かずに威力重視で一本そのままを使用することのほうが多いが、敵の数が多い時や手数の多い――名無しネームレスのような相手には光剣を砕いて使うこともある。

 だが、それをしてしまうと光剣本来の能力を発揮できないのだ。


「じゃあ、次は僕の番だ」


 光剣を一本だけ自身の前に付かせる。

 それを握り、天高く掲げてみせた。


「ナニを……」


 言いかけて、止まる。

 名無しネームレスはその瞬間、肉塊を大きく肥大化させ己の身を守った。絶対に切ることができないと思えるほどに大きく。堅牢な城塞のように。


「シ――――ッ……」


 ジエルは光の刃を振り下ろした。

 その瞬間、眩い閃光と共に名無しネームレスの作った巨大な肉の盾に光の線が刻まれる。


「…………ハァ?」


 絶対に切れぬはずの肉の壁。

 それを斬り裂き、進撃を止めぬ光の斬線は遂に名無しネームレスの体へと到達し、その肉体を左右に分断してみせた。


 ――絶対切断。


 それが、ジエルの『固有魔法』である【真理の断頭台シェルス・プエナ】の能力。

 切ると決めた対象に対してのみ発動する、どんな防御すらも貫通する最強の刃である。


「――ハハハハハッ! 面白ェ! 不死身ノはずナノについつい防御シチマッタ! 良い、イイナ、トテモ良イ!!!」


 名無しネームレスは興奮を抑え切れないと言った様子で高らかに笑う。

 それに対して、ジエルは酷く冷めた様子で笑っている名無しネームレスを見つめる。


「アァ、楽シクなっテキタ……。思ッタより、長く楽シメソウダ……」

「僕としては……不死身の君を相手にするのは、ほんとに疲れるんだけどね…………。どうせ殺せないだろうし、こうなったら拘束するから覚悟してくれ」


 そうして、ジエルと名無しネームレスの戦いは激化していくのだった。

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