第二十三話 野外演習⑨
オルトロスの体は現在、氷に包まれ身動きを封じられている。
とはいえ、これはあくまでもその場凌ぎに過ぎない。オルトロスの力を持ってすれば、自身を捕える氷の檻を壊すことなど造作もないことだ。
だが、その短い時間が二人の不安や焦りを緩和する。
鈍っていた思考力も、曇っていた判断力も、余裕が少しできた事で取り戻しつつある。
「さて……問題はここから、か」
「……えぇ、二人でなんとかしてオルトロスを倒さないといけない」
アイリスが欠けた現状を鑑みれば、シャルル達は劣勢に立たされている。
三人だったから、なんとか互いに援護し合って戦えていたのだ。それが無くなったという事は、シャルルもグレンももうミスは許されなくなったという事。
その事実に二人は冷や汗が止まらない。
「遠くからの魔法の連続使用はアイツには大したダメージが入っていない……。…………となると」
「…………近付くしかない」
――遠距離が駄目ならば近距離で。
シャルルもグレンも、近接戦闘に特化した魔法を扱う。二人が真価を発揮するのは、本来ならば刃の届く範囲での戦闘だ。
無論、それをしなかったのはオルトロスの膂力と拮抗する事なく、簡単に押し切られてしまうからだ。
しかし、このまま二人で魔法を遠距離から撃ち込み続けたとしても、オルトロスにとっては羽虫がぶつかってくるようなものに過ぎない。
ならば死を覚悟してでも、肉薄して得意な間合いで戦うのが吉だ。
(それに……アイリスのあの怪我…………早く終わらせないと死んでしまう…………!)
アイリスは辛うじて生き繋いでいる。
けれど、時間が経てば経つほど、アイリスの命の灯火は弱くなっていってしまう。
アイリスが息をしている内に、彼女に治癒魔法を掛けなくてはならない。
手遅れになる前に。
『…………グッ、オ゙オ゙オ゙ォォ!!!』
そして、オルトロスが氷の檻を破った。
死の権化が、再起動する。
「…………行くぞ!」
「言われなくても!」
それと同時、シャルルとグレンも弾かれたように動き出した。
刹那、オルトロスの爪刃が二人の立っていた所へと振り下ろされた。
爆ぜる地面、轟く破砕音。身を打つ風の衝撃に背を押され、更なる加速をする。
「はあァアアアア!!!!」
先陣を切ったのは、グレン。
その身を一条の閃光へと変え、人理を超えた速度へと到達する。
魔法騎士になる際、人は二つの系統に分類される。近接戦闘特化の『魔剣士』と、遠距離特化の『魔導士』に。
そして、グレンが今使っているのは『魔剣士』として戦う上での必須技能。
――魔力による身体の強化だ。
「…………ッ、ダァアァァァ!!!」
『グガァッッッ!?』
オルトロスは急迫するグレンに驚愕し、反応に遅れた。
意識の間隙を縫うようにして、グレンが刃を一閃。
胴体部分に一筋の裂傷を刻んだ。
「次、――っ!?」
続け様にもう一太刀叩き込まんと、体を転身。
しかし、そこでオルトロスが跳び、二撃目は空振りに終わる。オルトロスは空中で体勢を整え、グレン目掛けて落下しようとしている。
「――【
されど、それをシャルルの氷の戟が捉え、上からオルトロスを地面へと叩きつける。
「…………シッ!」
地へと落ちたオルトロス目掛けて、シャルルが追撃を仕掛ける。
間髪入れずに繰り出された刺突が右頭の片目を抉る。
『――ガァァッ!?』
一撃離脱。
シャルルはそこで連撃へ出る事はなく、後ろへと飛んで一度距離を取る。
憤激に駆られたオルトロスの視線はシャルルに固定された。
「……一人に注目していて良いのか?」
死角からグレンがオルトロスの右前足に斬撃を叩きつける。
噴き上げる鮮血。切り落とす事はできなかったが、グレンの付けた斬傷は深い。
『――――ッッッ! ァ゙、ォオ゙オ゙ォォォォ!!!』
足元を動き回るグレンに向けて、オルトロスが深手を負った前右足を振り下ろす。
グレンはそれを既のところで回避する。
だが、爆散した地面の破片がグレンの額を撃ち抜いた。
「ガッ!? …………ッ、――【
体勢を崩した状態で、額から血を流しながらもグレンはオルトロスの振り下ろされた前腕を狙って、火球を放つ。
火球は着弾と同時に爆ぜ、オルトロスの前腕を爆炎に飲み込んだ。
「…………ッッ、だああぁぁぁぁ!!!」
蹌踉めくオルトロス目掛けて、シャルルが突撃する。
オルトロスの左頭がシャルルを確認する。だが、重心を崩したオルトロスにシャルルを止める術はない。
シャルルが狙うのはオルトロスの後ろ脚。
オルトロスの圧倒的な機動力と膂力を支えるその一角。
氷刃が一閃される。
「…………ちっ! やっぱ、固い!」
筋肉に阻まれ、刃は薄皮一枚を削ぐに留まった。
グレンと違って、シャルルにはオルトロスの肉を断つ力はない。
これでは大したダメージにもならないだろう。
「でも…………邪魔にはなる」
氷刃が駆けた刃傷から、氷晶が出現した。
出現した氷晶はオルトロスの後左脚を包みながら地面に根を張る。それによりオルトロスはさらに体勢を崩す。
元より、オルトロスの肉を断てるなどシャルルは考えていなかった。目的はオルトロスの足を縫い止めること。これも直ぐに、その力で強引に引き剥がすだろうが、それだけの時間があれば充分だ。
「――【
グレンが持つ最高火力の爆炎が猛りを上げる。
迫り、狂う業火の奔流にオルトロスはその身を呑まれる。
激しい閃光と周囲の音を奪う轟音が世界を飽和する。
「お願い……これで…………!」
「……死んでいろ!」
通常の生物なら、一溜まりもない火力で炎は猛り狂う。
グレンとシャルルは神妙な面持ちで炎を――その中心でその身を焼かれているであろうオルトロスを見る。
その胸中はただ一つ。
――斃れろ!
その願いを叶えんがために、炎はより火力を上げて燃え上がる。
周囲を包む熱気に充てられて、額から汗が一筋。
渇いた喉を潤すために唾を飲み込む。
『――――ゥゥゥ……』
炎は徐々に勢いを小さくしていく。
炎の中心、本来オルトロスがいた場所には何も残ってはいなかった。
無理もない。あれだけの火力に焼かれ続けたのだ。その肉体が灰になっていてもおかしくない。
事実、オルトロスがいた場所には炭化して崩れた灰が舞っている。
「…………やったの?」
「…………いや、おかしい」
それは僅かな違和感。
魔法を放った当人だから感じることができた違和感。
オルトロスのあの巨体。果たして、本当に全て炭化する事が可能なのか。
――いや、不可能だ。
少なくともあの巨体を形も無くなるほどに燃やすとなれば、もっと長時間焼く必要がある。
仮にオルトロスを殺せていたとしたら、そこには焦げた体躯が転がっているはず。
「…………まさか」
そして、気付く。
「ローグベルト! 後ろだ!」
「――ハァッ!?」
二人の後方に、ソレはいた。
その身を熱に焼かれたのか所々毛が焦げ、後左脚を失い血を垂れ流すオルトロスが。
『フウゥゥゥゥ…………』
憎悪と殺意が二人の体に纏わりつく。
それは粘りつくヘドロの様に体の動きを止め、脳に最大限の警鐘を打ち鳴らせる。
オルトロスは憤慨している。自身の足を失わせ、自身の身を焼いた二人に対して。
「相手は手負いだ! もうアイツに機動力は無い! 二人で囲んで叩けば――」
――勝てる。
グレンはそう確信していた。シャルルも同様だ。
だが、彼らは失念していた。
『――――ッッッ!!!』
手負いの魔物の恐ろしさを。
自身の命を顧みない『
そして、彼らは知らなかった。
オルトロスという魔物の
「…………ッ!? 消え――」
オルトロスはどうやってあの爆炎の中を脱出したのか。
その身を熱に焼かれながら、二人に勘付かれずにどうやって逃れたのか。
それは至極単純明快。
――目で追えないほど速く移動する。
「ローグベルト! 後ろだァァ!!!」
「――――ッ!?」
気付けば、オルトロスはシャルルの背後へと移動していた。
シャルルの肉体を引き裂き、噛み千切らんと獰猛に向かれた牙が迫る。
――回避、不可能。防御、不可能
迫り来る死にシャルルは対応する手段を持ち合わせていない。
「…………ッ! 間に合え――【
グレンは即座に火球を構えて、放つ。
それはオルトロスから外れて、
「――――ぐッ!?」
シャルルへと直撃した。
そこから巻き起こる爆発。その衝撃によって、シャルルの体は押し出され、間一髪のところでオルトロスの攻撃を回避することに成功した。
だが、それはあくまで一時的なもの。
初撃を回避しても、二撃目が。二撃目を凌いでも、三撃目が。
オルトロスの動きを止めない限り、無限にそれを繰り返される。
「――【
グレンは自身の左足の裏で小規模の爆発を起こした。
爆発の勢いを利用した無理矢理の高機動。
それによるリスクを何も考慮しない無理な特攻をグレンは敢行した。
「だあ゙あ゙あ゙ァ゙ァ゙ッ゙!!!」
オルトロスの左頭頸部目掛けて、炎熱を纏った斬撃を叩き込まんと剣を振り上げる。
だが、再び目の前からオルトロスが消えた。
「…………っ! またか!?」
「グレン君! 上ぇっ!」
シャルルの叫びによって、グレンは頭上に出現したオルトロスへ向けて、振り上げた刃を一閃する。
「――なっ!?」
またもや、空振り。
オルトロスはグレンの背後へと回る。
グレンは呆けている間もなく、自身の背に【
「……どうなってんのよ、アイツ!?」
「わからん……。あの怪物……どうやって空中で移動したんだ……」
オルトロスのあり得ない空中機動にシャルルとグレンは顔を歪ませている。
「……! 来るっ!」
考えている暇はない。
シャルルの掛け声と共に、オルトロスの姿が消える。
(マズイ! 今、この現状、私にはオルトロスの速度についていく手段がない! 狙われれば、無防備にやららるだけ! どうすれば…………!)
グレンは爆風を利用して、無理に機動力を確保している。
その代償として、爆発の衝撃に身を打ち、その熱で身を焼いてはいるが、喰らい付いている。
だが、シャルルはどうだ。
グレンとは異なり、シャルルは『炎魔法』に適正がない。シャルルが得意としているのは『氷魔法』だ。
『氷魔法』には、グレンの様に爆発する魔法など存在していない。
つまり、オルトロスの位置が分かっても対応する事ができない。
「…………っ!? 考えた側から私の方に来るのか!」
オルトロスもそれを理解しているのか。
その眼光はシャルルを捉え、そして疾走。
初見では捉えきれなかったその速度も、魔力で目を強化することでなんとか追える。
『グオ゙オ゙ォォ――――ッ!!!』
「……くっそ!」
――遅い。遅すぎる。
目で追えても、体が追いつかない。
反応ができても、対処ができない。
突撃してくるオルトロスに剣での迎撃は間に合わないと判断し、今から体を翻そうにも、それをする速さが、身体能力がシャルルには足りない。
(どうする……! どうすれば……! なにか、手は――!)
思考をフル回転させる。
死の気配が近付くなかで、今まで経験した事のない程の速度で。
――跳ぶ、駆ける、屈む、離れる、近付く……。
脳が処理できないほどの速度。
赤熱し始める思考の中で、その全てが『無理』と否定される。
(…………ダメだ。なにも、ない――)
シャルルは迫る死に、ついに思考を放棄しようとした。
『――【
思い起こされたのは、グロブスとの戦い。
アイリスがグロブスに止めを刺した時の情景。
あの時、アイリスは突撃の勢いを利用して、土壁の中にグロブスを拘束。そのまま押し潰した。
「――――」
景色が、重なる。
オルトロスとグロブス。
自分より遥かに速い魔物。
それによって、追い込まれる自分。
「――【
気付けば、その魔法の名を呟いていた。
瞬間、棘の返しがある氷壁がオルトロスの眼前に出現した。
『――――ガァッ!?』
速ければ速いほど、自分の体を急に止める事はできない。必ず、その速度を殺すための距離がある程度必要になる。
オルトロスは疾走による勢いを殺しきれず、その身を氷壁に打ち付けた。
棘の返しが体の至る所を貫く。
そして、双頭の一角――オルトロスの右頭が棘に突き刺さり、意識を消失させた。
『――――ッ!?』
左頭は驚愕に目を見開き、痛みと動揺で反応に遅れてしまった。
「――トドメだァ゙!」
業火の斬撃が、一度は捉えられなかった頸部へと叩きつけられた。
爆発の勢いを利用した斬撃は、オルトロスの皮を裂き、筋肉を断ち、骨を砕く。
『――――――』
左頭が落ちた。
悲鳴を上げる間もなく、意識は一瞬で暗転。
氷壁に血の濁流を吹き付けながら、その身を灰へと変えたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます