第二十二話 野外演習⑧
「――【
開戦を彩ったのはグレンの放つ熱線。
一直線にオルトロスへと放たれた熱線を、オルトロスはその身を翻して回避。
そのまま、グレンへ向けて肉薄した。
『グォォオ゙オ゙オ゙オ゙ォ!!!』
オルトロスの豪腕が薙ぎ払われる。
防御不可。絶死を覚悟させる一撃は、グレンを狙って放たれた。
「――ッ! このッ、バカ野郎がッ!?」
グレンはオルトロスの攻撃を薄皮一枚で回避した。
だが、空を薙いだオルトロスの豪腕によって発生した衝撃波がグレンの体を打ち、その身を空中へと弾き飛ばす。
そのあまりの馬鹿力に、グレンも冷静を取り繕う余裕などあるはずもなく。
オルトロスは双頭であるメリットを活かし、片頭の目はグレンを見ながら、もう片方の頭部でシャルルとアイリスを警戒している。
「ちっ! 大人しくしろ! ――【
シャルルが氷の戟を放つ。
それに対して、オルトロスは前足で踏み潰してみせた。それによって、オルトロスの足は凍りついてしまっているが、まるでそれを気にする素振りを見せない。
「――【
土の手が二本出現した。
それはオルトロスを挟み潰すように、合掌をしようとする。
だが、それは叶うことはない。
『グゥオ゙オ゙オ゙ォォオ゙ン゙!』
オルトロスの咆哮。
両手で耳を抑えて尚、鼓膜を酷く打ち鳴らすその声が、土の手をただの土塊へと変貌させてしまう。
「嘘…………」
攻撃が――通用しない。
アイリスの【
そのどれもがオルトロスの
「アイリスッ! 呆けてる暇なんて無い! 止まってたら速攻で落とされるわよ!」
「…………ッ、ごめん!」
動きを止めてしまったアイリスに対して、シャルルは焦燥に駆られた表情で叫んだ。
アイリスはハッとしながら、走り始めた。
少しでも、足を止めてしまえば終わる。
オルトロスという怪物の攻撃を喰らえば即死する。
(このまま遠距離で魔法を使っても、オルトロスにはなんの効果もない。時間稼ぎにだってなってない。なら、近付いて攻撃するしか…………)
このままでは、シャルル達は殺される。
オルトロスに接近できない今、唯一取れる手段は距離を離しての魔法での攻撃。
だが、それでは致命傷を与えることは叶わない。
その行く末は、削りに削られての敗北だ。
(…………ッ、そんなのわかってる! わかってるけど近付けない! わかってしまう……! 近付いたら、死ぬと……!)
オルトロスに超近接戦闘を挑むのは無謀すぎる。
ただでさえ体格差やパワー差がある中で、倒せるという確証も無しに肉薄すれば、真っ先に殺されてしまう。
三人で意識を分散させている現状で、誰か一人が欠ければその瞬間に全員が殺されてしまう。
だからこそ、近付けない。
「――【
「――【
アイリスはもともと近接を得意としていないからオルトロスには近づかないが、それを得意とするグレンでさえも距離を離して戦っているのはそういう事だ。
オルトロスの脅威と、仲間を死なせられない事へのプレッシャーが三人を押し潰している。
「…………ッ、――【
だからこそ、焦りは強まる。
三人が絶えず魔法を撃ち続けることで、なんとかオルトロスの足をその場に縫い止めている中で、この魔法の雨が途絶えた時、盤面を覆されるという可能性。
ただでさえ、即興で組んだチーム。
連携なんてまともに取れたものじゃない。今、息が合っているのは重圧が体を突き動かしているからだ。
『グル゙ル゙ル゙ル゙…………ッ!』
もし、この流れにほんの少しの綻びが生じたなら、苛立ちを隠せない様子のオルトロスは真っ先に誰かを襲いにいく。
だからこそ、途絶えさせる訳にはいかない。魔力が空になっても撃ち続ける他ないのだ。
絶えず、絶えず、絶えず――――。
『グオ゙オ゙オ゙オ゙ォォォオ゙オ゙!!!』
だが、それすらも意味はなく。
「…………ぁ?」
魔法は途絶えさせなかった。
一人として、その重圧に焦りながらも、誰一人としてその手を止める事はなかった。
けれど、オルトロスには既にそれすらも関係がなかった。
ただ、無造作に。乱雑に。乱暴に。
魔法の雨を振り払い、それを引き起こしている一角――アイリスへと、その瞬発力を持って肉薄した。
振り上げられる前腕。
狂気と殺意が支配した攻撃が、アイリスへ。
「――――ガッ!!?」
瞬間的に、アイリスは土壁を作って防御しようとしたようだが、それを意にも介さないオルトロスの無慈悲な攻撃がアイリスを捉え、その肉体を意識ごと吹き飛ばす。
後方へと勢いよく転がるアイリスは背面を木に打ち付けて停止する。
アイリスの口から噴き出す血流を見ながら、グレンとシャルルは硬直した。
「…………嘘だ」
一人、欠けた。一人、倒れた。一人――死んだ。
シャルルの中に黒いモヤが掛かり始める。シャルルはこの感覚を知っていた。
――絶望だ。
「ァ、アァ……」
心臓が早鐘を打ち始める。
体から急速に熱が消えていく。
頭の回転は遅れ、四肢からは力が抜けていく。
「――――ッ!」
曇った視界の端で、グレンが何かを叫んでいる。
だが、その言葉がシャルルに届く事はなかった。完全に思考が停止してしまっていた。
「――――ッ! ――――――ッッッ!!!」
何かを叫び続けるグレンを尻目に、シャルルはその場で停止したまま。
シャルルの中に渦巻く黒いモヤは次第に大きく、強烈に吹き荒れ、彼女を支配していく。
狭窄する視界の片隅で、オルトロスがシャルルに向けて攻撃を仕掛けようと、肉薄してくるのが見えた。
(あぁ、死ぬ……)
ただ感傷に浸ることもなく、淡々と迫る死を前にシャルルは体を動かす事ができない。
オルトロスの爪がシャルルの体を引き裂かんと、その肉体へと差し迫る。
刹那――シャルルの体が引っ張られた。
背後を見れば、そこには鬼気迫る表情のグレンがいた。
「バカがっ! あれだけ止まるなと言っただろうが! 俺らはアイツに勝たなきゃならないのに、なんで呆けていられるんだ!?」
グレンはシャルルを怒鳴りつけた。
無理もない。戦いは終わっていないというのに、その足を止めて戦うことを止めてしまったのだから。
「お友達がやられて、そんなにショックだったのか!? だから絶望して、諦めて、戦うことを放棄したのか!? ふざけるのも大概にしろ!」
「…………ッ!」
グレンの怒号に、シャルルは何も言えない。
いや、言う権利すらないと自覚してしまっているのだ。
「良いか! 俺たちはまだ負けてない! まだ、終わってないんだぞ!?」
「…………でも、アイリスは死んだじゃない」
「…………そうか。じゃあ、あれを見ろよ」
グレンがそう言って、指差す先は木を背に倒れているアイリスだ。
口から止めど無く流れ続ける血潮が、アイリスの白磁器のような肌を染め上げている。ぴくりとも動かないアイリスを見て、シャルルは顔を歪める。
「――――こひゅ……っ、ひゅー……っ、ひゅー……っ」
そこで、ようやく気付いた。
アイリスがまだ息をしている事に。
肺が潰れているのか、喘鳴を漏らしてはいるが、確かにまだ息はある。
「ど、どうして…………」
「攻撃を受ける一瞬、アイリス・フェルノーは土壁を出していた。それも恐らくではあるが、完全に固めていない泥のような状態の土壁を。それがオルトロスの攻撃の勢いを和らげたんだろう。咄嗟の判断力に目を瞠ったよ」
衝撃の緩和――。
その土壁の使い方をシャルルは知っていた。
グロブスとの戦闘時。グロブスを倒すために使っていたアイリスの泥壁。
ただの土塊の壁では駄目だと判断し、即座に泥壁を張ってみせたのだ。
結果的にそれが功を奏し、アイリスは辛うじて命を繋ぎとめることができたというわけだ。
「……それで? あれを見た上で聞こう。彼女を見捨てて、お前は戦うのを止めるのか? 辛うじて繋がっている命を……見捨てるのか?」
「…………ッッッ!」
アイリスが生きていたからなんだと言うのか。
アイリスの生存は確かに喜ばしいことだ。
けれど、アイリスは戦闘に参加できない事は変わらない。絶望的な状況なのは何も変わっていないではないか。
そもそも、二人であの怪物を倒せるわけが――
(うるさい……。黙れ……! そんな事、わかってるッ!!!)
シャルルは自分の頭の中に浮かぶ、悲観的な思考を振り払う。
アイリスは食らったら"死"の攻撃から、その場の咄嗟の判断で生き延びた。
グレンはその絶望的な状況にあって尚、自身のプライドを捨ててはいない。
――なのに、どうして自分だけ諦められる。
シャルルは絶望に呑まれた心を奮い立たせ、苛まれた体を叱咤する。
「見捨てないわよ! 私だって、戦える!」
それはグレンへの回答か。はたまた自分への暗示なのか。
それでも、シャルルは確かに立ち上がった。
「……そうだ。それでいい」
「感謝するわ。私を怒ってくれて。後、それと――」
「………………なっ!?」
シャルルに横に突き飛ばされたグレンが驚嘆の声を上げた。
シャルルの方を見れば、彼女は冷気を纏った細剣で刺突を放った。
その瞬間、グレンの背後まで迫っていたオルトロスはその身を大氷塊に拘束され、動きを封じられた。
「――これで、貸し借りはなし」
「…………ふっ、だな」
シャルルはそう言って微笑を浮かべるのだった。
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