第二十一話 野外演習⑦

 フォル密林・ベスティアの森『楽園』の北西部。

 グレンと対峙したシャルルは、腰に掛けてある細剣を抜いている。対するグレンもまた、ロングソードを構えてシャルルの攻撃を待つ。

 それをアイリスは少し離れた位置で見守っていた。


『私一人でグレンとやる。だから、手を出さないで』


 シャルルにそう言われたからだ。

 戦いを有利に進めるなら自分も参加するべきだと、アイリスも進言したが、シャルルは頑なに譲ろうとしなかったのだ。


 グレンとシャルルの実力は拮抗している。

 このまま戦いになれば、最悪相討ちになってしまう可能性まである。


「あの授業以来ね、グレン君。今日こそ、貴方と決着を着けるわ」

「それは俺にとっても願ってもやまない提案だな」


 グレンは淡々と答える。

 だが、言葉の端々に底知れぬ闘志が燃えているのだけは感じ取れる。


 グレン・バールは常に冷静で、何かに動じることは少ない。彼はそうあろうとしている。

 だが、冷静であろうとすればするほど、彼の内側に燻っている燃え盛る紅蓮のような闘志は燃え上がる。リオンとの模擬戦の時が良い例だろう。

 彼は常に、その身の内にバール家としての誇りを燃料とした闘志ほのおを内包している。


「シャルル・ローグベルト、相手として不足なし。ここで一度、どちらが上かの格付けを済ませておこう!」


 グレンは吼える。

 呼応するように、木々は騒めき立ち、地が震えた。

 その瞬間、シャルルが駆け出した。


「――【氷纏流牙ティア・エル・ゼルリス】ッ!」


 繰り出されるは、冷気を纏った刺突。

 グレンはそれを刃で弾き防御、続け様に刃を返してシャルルへと反撃。

 そこまで自分の動きを組み立て、


「…………ッッ!!?」


 その全てを投げ捨ててシャルルの攻撃を回避した。

 グレンの戦闘に特化した勘が、咄嗟に体を突き動かしていたのだ。

 しかして、その勘は正しかったと言わざるを得ないだろう。


「……嘘」

「…………。……まさか、こんなものを隠していたとはな」


 アイリスがその光景に呆然としながら、そう言葉を漏らした。

 グレンは冷や汗を流しながら、自身の後方を見る。

 空振りに終わったシャルルの攻撃。その剣圧によって、冷気が解き放たれ、木々や地面を氷塊で包み込んでいる。

 もし、グレンがこの攻撃を防御などすれば、その時点で全身が凍りつき、終わっていたに違いない。

 現に、咄嗟に回避したグレンはその余波を喰らっただけで、右頬が凍りついてしまっている。

 まさに初見殺しの技である。


「ハァ……よくもまぁ、あの一瞬で回避の判断に移せたわね? それが無ければ、私の勝ちだったのに……」

「違う、俺は防御するつもりだった。俺の直感が反射的に体を動かしたのさ」

「直感…………。……いや、そういえばアンタは戦闘に特化してるんだったわね」


 シャルルは呆れながらも素直に感心した。

 そんなシャルルを見て、グレンは不敵に笑ってみせる。


「随分と余裕そうじゃないか。あれが必殺だったのではないのか?」

「……まぁ、ある程度予想はしてたしね。それに、あれが必殺だって私がいつ言ったの?」


 シャルルは余裕があるように、まだ他の隠し球を持っているように見せながら笑う。

 だが、それはあくまで表面上の話。内心では焦燥に駆られている。


 回避される可能性を考慮していなかった訳ではないが、それはそれとして衝撃は大きいのだ。

 加えて、あれがシャルルの必殺の策だったのは間違いない。

 それを躱されたのだ。動揺していないわけがない。


「フッ……そうか。なら、俺も隠し球を見せよう」


 グレンは切先をシャルルへと向ける。

 それを確認すると、シャルルはすぐに冷気を纏う細剣を構える。


「――【炎纏爆刃ガル・エル・グラスト】」


 それはシャルルとは逆の魔法。

 刃に冷気を纏わせるのがシャルルの魔法であるなら、グレンのその魔法は刃に炎熱を纏わせる。


「…………行くぞ。防御するなり、回避するなりは任せるが、俺は回避を勧めておこう」


 グレンは炎熱を纏った剣を両手で握り、その場で袈裟斬りの構えを取る。

 刹那、グレンは炎の剣を振り下ろした。


「――――ッ!?」


 肌を焦がす熱の対流。

 冷気すらも呑み込む炎の奔流。

 それは直線上にある木々を蝕み、焼失させていく。


 ――防御不可。


 そう確信させるほどの業火。

 シャルルはそれを既のところで回避し、直撃は避けた。

 だが、余熱により左肩を焼かれ、ズクズクと痛みを脳の奥へと送り届ける。


「…………さて、俺も技を見せた。ここからは、公平な戦いだ。存分に楽しもう」

「……望むところよ」


 熱と冷気。

 相反する二つの刃。

 グレンとシャルルが互いに駆け出そうと、体勢を低くする。


「…………?」


 その違和感に気付いたのは、グレンでも、シャルルでも無かった。

 二人の戦いを遠くから俯瞰し、ひたすら他の魔物の動きに気を配っていたアイリスだった。


 ――魔物が……浮き足立っている。


 キラーラビットが巣を飛び出さんと構えている。グロブスが空を飛んで遠くへと去り始めている。それだけではない。魔物の喘鳴が耳に入ってくる。


 ――なぜ?


「――――逃げてッ!」


 それに気づいたのは偶然の産物。

 木の影。

 グレンとシャルルの丁度死角に現れた空間の歪み。

 アイリスが周囲の変化に疑問を持ち、視線を左右に振っていたからこそ気付けた変化。


『グオ゙ォォオ゙オ゙オ゙オ゙オ゙!!!』


 木を薙ぎ払い、その凶悪な爪を振り下ろすのは『殺戮者』の異名を持つ魔物――『オルトロス』。

 その爪は万物を引き裂き、その牙は万象を噛み砕くとされる、紫黒の体毛を持つ双頭の巨大な狼のような見た目をした魔物だ。


「――【土砕波ドルト・ラーティス】ッッ!」


 グレンとシャルルを横薙ぎにせんと振り下ろされる爪刃。

 それを土の荒波がオルトロスごと飲み込み、二人から距離を強制的に引き剥がした。


「すまない! 助かったぞ、アイリス・フェルノー!」

「ありがと、アイリス」


 オルトロスの急襲を凌いだアイリスにグレンとシャルルは口々に礼を伝える。


「そんなのは良いよ! でも、余所見しないで! 距離を離したとはいっても、あの巨体じゃあ大した距離は稼げてない!」


 アイリスは冷や汗を流しながら、オルトロスを飲み込んだ土の濁流を見る。

 すると、濁流は爆ぜ、その中心から巨大な影が飛び出した。


『フウゥウウゥゥ……ッ!』


 濁流の外へと脱出したオルトロスは鼻息を荒げながら、アイリス達を見つめている。

 その身体にはところどころ土埃や泥が付着し、その毛並みを汚している。

 だが、


「――無傷……!」


 その事実にアイリスは顔を強張らせる。

 今回は距離を引き剥がすために使用したが、もともと【土砕波ドルト・ラーティス】は攻撃魔法に分類される魔法。その威力も十分高いはずだ。

 にも関わらず、オルトロスはその身を汚しただけで傷はなし。


「アレは……いや、まさか…………。……だが、あの瞳は…………」


 グレンがオルトロスを見て、声を漏らした。

 唯一聞き取れた瞳というワード。それを頼りに、アイリスもオルトロスの瞳を見る。

 白目部分は琥珀色、黒目部分は赤黒く、瞳孔は開いている。


「…………最悪、かもな。アイツ……『狂乱獣インサニア』だ。それも大分、『飢え』ていやがる……」

「…………冗談キツすぎよ」


 オルトロスの瞳は『狂乱獣インサニア』に堕ちた時の特徴と合致していた。

 魔物は一種の興奮状態になると、瞳孔が開く。

 そして、それが深まれば深まるほど――つまり、狂気に囚われるほどに瞳は赤黒く変色し、より血液の色へと近づいていくという特徴がある。


 今のオルトロスの目はまさしくそれだ。

 狂気に浸され、理性を握り潰した、真性のけだもの。そこに生物としての感慨などとうに有りはしない。


「どうする……? このまま、二人は背を向けて逃げても良いが?」

「バカ言わないで。背中向けたらそれこそ襲われて終わりよ。そもそも逃げるつもりなんて毛頭ない」

「私もだよ。二人を置いて自分だけ逃げるなんてできるわけない。アイツを倒して、三人で戻ろう」


 覚悟は決まった。

 『狂乱獣インサニア』に堕ちた『オルトロス』との戦闘。

 死を齎す『殺戮者』が狂気に堕ちた真性の怪物。

 それに立ち向かうのが蛮勇と知りながら、三人は剣を取り、杖を握り、自身を叱咤する。


「グォオ゙オ゙オ゙ォォン゙!!!」


 オルトロスが吠えた。

 死を体現せし怪物は、それに抗わんとする三人の弱者を絶望が跋扈する祭宴へと誘うのだった。

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