第二十話 野外演習⑥
「――――ッ!?」
それは、唐突に起こった。
波一つない静かな水面に、特大の石を放り込んだように波紋が大きく、激しく広がり、場を掻き乱していく。
それは無視するには余りにも大きすぎる違和感。
いや、もはや異常とさえ呼べる。
「なんだ……これ…………?」
リオンは動きを止めて、戦慄した。
気配が――増えた。
一つや二つ増えたのなら、そこまで気にかける事でも無かっただろう。違和感こそ覚えるだろうが、状況の把握という点ではさしたる問題はない筈だ。
だが、増えた気配は一つ二つを大きく上回っている。
三十や四十でも利かない。
その気配の数、およそ
リオンも正確に把握できているわけではないが、少なくともそれだけの数の反応が急に出現した。
『――おい、こりゃあどうなってやがる……?』
無線から聞こえるルエナの声に、焦燥が宿る。
リオンと同じく、その違和感にいち早く気付いたのはルエナだった。
『――急に、私の前に魔物が現れやがった!』
訂正。
リオンよりも早く、その異常を目の当たりにしていた。
『――なにがどうなったら、魔物が突然目の前に出るんだよ!』
ルエナの動揺がリオンの耳朶を叩く。
動揺するのも無理はない。
魔物は突然発生するものではない。他の生物と同様、雌雄の交配によって産まれる。だが、その異常は唐突に目の前に現れてしまった。
『――どうやら……罠に嵌められたらしい……』
『――これは……マズイですね。この数の魔物、生徒たちでは捌ききれない!』
ジエルが冷静に状況を分析する。
それに続くように、ジオが状況を憂いた。
『――それだけじゃない! この魔物……ッ! ヤバすぎるぞ!
「――まさか……」
『飢え』――。
それは、生物が感じる一つの苦痛。本能を逆撫でする不協和音に近いもの。それは時に理性を壊し、同胞を殺し、同胞を喰らい、己が身を滅ぼしていく。
しかし、魔物の感じる『飢え』はそれとは似て非なるものだ。
魔物は常に『飢え』ている。
その身に宿した果てしない欲望に苛まれながら、己が渇望を満たすためだけに暴れ狂う。だが時折、その『飢え』が限界に達する魔物が現れる事がある。
魔物の『飢え』が限界を超えると、生物としての生存本能すらもかなぐり捨てて、ただひたすらに破壊を齎す怪物と化すのだ。
――満たすためでなく、壊すため。
そうして、破壊のみに狂った魔物のことを、人々は畏れ慄きこう呼んだ。
「――『
リオンの言葉に無線は静寂に包まれる。
そんな事あり得るはずがない。ただの妄言だ。
そもそも『
そんな魔物が二百以上の大群で侵攻してくるはずがないのだ。
『――いや、あり得る……。…………とにかく、今は各自『
ジエルはリオンの絶望的な観測を聞きながらも、努めて冷静に指示を飛ばす。
『――ジオ先生は場所を回って生徒たちの状況の把握と対処を! ルエナ先生は戦闘を継続! 負傷者を治療して、保護してください! 魔物の殲滅は僕とリオン先生でやります!』
『――わかりました!』
「――私もだ!」
『――いいか! 絶対に生徒たちに被害は出させるな! 彼らが侵害される事だけは許さない! レウゼンの教師としての誇りに賭けて、敵を討つ!』
『『――応っ!』』
ジエルの号令に、ジオとルエナが応えた。
だが、リオンだけはそれに呼応する事はなかった。
(……なんだ、なにか……おかしい……)
違和感――。
突然の『
そう。おかしいのだ。地面に潜んでいたとして、それがなんの前触れもなく出現する事などあり得ない。
それはまるで、瞬間移動したかのようにして、その場に現れた。
そして、最大の違和感は、
(…………敵は『
相手の出方だ。
これだけ大量の魔物――それも『
なのに、この大量投下。
場をかき乱す為とは言え、そんな事するだろうか。
(相手はあの『
出来るはずだ。
ならば、バレないように潜入して、シャルルを連れ去る方が早かったはずだ。
「…………いや、そういうことなのか?」
この状況をリオンは知っている。
クローディア聖教国、そして
クローディア聖教国に侵攻した魔物はフローリアが対処したが、ルーセリア聖皇国はフローリアの対応が間に合わず、黒い渦と共に消滅したあの事件。
狭い空間に溢れんばかりの大量の魔物の出現。対応に追われる魔法騎士たち。そして、人々を守るために命を賭した者たち。
「……まさか、これは再現? あの黒い渦の発生条件を満たすために、この野外演習の結界内を魔物で満たした?」
再現――。
あの絶望を再び、このフォル密林で再現しようとしている可能性。
これが杞憂であるならばいい。
だが、もしこれが本当なのだとしたら……。
「――ジエル先生! この結界を……!」
『――リオン先生、すみません。話している暇が無くなりました』
この結界を解除しなくては。
ジエルはリオンの進言を遮った。
『――どうやら、この場所にいる招かれざる客は『
ジエルは既に会敵したらしい。
それ故に、これ以降のジエルとの通話は期待できない状況となってしまった。
「……抑えられた。この結界はジエル先生の持つ鍵でしか解除できない。破壊できない事はないけど、それは現実的じゃない……。そもそも、黒い渦の発生条件が魔物の大群なのかも不明…………」
結界の解除は絶望的となってしまった。
ならば、リオンに取れる選択はなんなのか。そんなの一つしかない。
「全部……魔物を殺せばいい」
☆☆☆
「オ仲間トのお話ハ終ワッたかナ?」
「…………あぁ、終わったよ。すまないね、僕が話終わるのを待ってもらって」
ジエルは目の前に立つ男へと視線を向ける。
全身が黒いモヤで包まれた黒装束を羽織った男。いや、恐らく男と言った方が正しいだろう。唯一見えている口元を歪に歪め、嫌な笑みを浮かべている。
「気ニしなクテイいぞ。俺はこれカら死ヌ奴ガ最期に残ス言葉が好キナンダ」
「これから死ぬ……か。一体、誰のことを言っているのかな? …………あぁいや、そういう事か!」
ジエルは一瞬呆けた後、両手を軽く合わせて納得したように頷いた。
「ナンだ? あのハナしの流レデ誰のコとを指してルのかワカッてなかッタのか? キッチり明言してオイてやるよ。死ヌノは……」
目の前の男がまるで言葉の意味を理解していないようだったからだ。
ならばと、今度はしっかりと明言しておかねばならないだろう。そう考えて、一つ溜め息を吐きながらジエルへと視線を戻した。
「……キミだ」
「…………キミ?」
それはジエルから
ジエルの指した対象が自分だと悟るのは、そう遅くはなかった。
「…………ナメるなヨ?」
「……ナメてなんていないさ。僕は事実をその通りに言っているだけだよ? ……えーと、名前は…………」
ジエルの淡々とした態度に、名無しの額に青筋が浮かび始める。
「……
「優男……? あぁ、僕のことか。僕は優男なんかじゃないよ。僕はジエルだ。レウゼン魔法学校の教員さ」
「……ソうか。これカラ死ぬヤツノ名前ほど覚エルのは無駄ダから、俺はオ前の名前に興味ガナイ」
「そうかい? それは非常に残念だ。僕はキミの名前を覚えているよ? ――ほら」
ジエルは笑顔を浮かべながら、
その瞬間、
いや、反転どころではない視界がぐるぐると回ってしまっている。
――体に力が入らない。
一体どうなっているというのか。
どんなに力を込めようとしても、体が付いてくる気配がこれっぽっちもないのだ。
「――ア゙ァ゙?」
そこで
頸が斬られたことに。
「君はこれで死んだ。でも、僕は覚えてるよ? キミの名前は……えーと…………。……ごめん、やっぱり忘れちゃったみたいだ」
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