第十九話 野外演習⑤

 野外演習が始まってから一時間が経過した。

 リオンは『レクスの大木』から下り、『楽園』を駆けていた。

 理由はただ一つ。

 現在、一人の学生が危険な状況にあったからだ。


「反応の感じ的に、居るのは『グロブス』と『ラミナ・グリズリー』か? 大分、追い込まれてるな……」


 リオンは気配探知の反応から、即座に魔物の種類を推定する。

 もし、仮にリオンが上げた二匹の魔物が一人の生徒と相対しているなら、非常に危険な状態だ。そうならばリオンは介入せざるを得ない。


 だが、教師の介入はその生徒にとって、マイナスになる。もし、その生徒がまだ危険な状態でないと思っているのに、リオンがそこに割り入ってしまえばそれは大きな非難を呼ぶだろう。

 介入は独自の判断でするとはいえ、リオンにはその基準がよくわかっていない。そう考えると命に危険がある場合というのは実にあいまいな表現だと言えるだろう。


「ま、見てから判断する他なし……か」


 もうすぐ、その探知に引っかかった位置に差し掛かる。

 状況を見て、しばらくは物陰で俯瞰しておくのも一つの手だろう。


「お、見えた……」


 リオンはその光景を遠目に見た。

 リオンの予想通り、『グロブス』と『ラミナ・グリズリー』によって、一人の女子生徒が襲われていた。

 二匹の魔物はまるで無傷。消耗はまるで無いように見える。


 だが、問題は女子生徒の方だ。体中に擦傷と裂傷が見え隠れしており、グロブスに抉られたのか太ももからは大量の血を流し、額からも多量の血を流しているのが見て取れる。

 女子生徒は血を流しすぎた影響なのか、立つこともままならないようだ。

 そんな少女にラミナ・グリズリーは研ぎ澄まされた刃のような爪を突き立てんと、丸太のように太い腕を振り上げた。


 これ以上の戦闘続行は不可。

 加えて、命の危機に瀕している。


「…………介入、するか」


 ――目の前の状況は様子見の段階を明らかに逸脱している。

 リオンはそう判断して、一気に加速。

 振り上げられたラミナ・グリズリーの腕を引き千切った。


『グ、ガアァァァッ!!!』


 ラミナ・グリズリーは絶叫を上げた。

 乱雑な切り口から、鮮血が噴水のように噴き上がる。

 あまりに一瞬すぎる出来事に、その場にいた誰もが理解が追いついていなかった。


「――大丈夫?」


 声の主は女子生徒の前に背を向けるようにして立ち、右手には毛むくじゃらの腕が握られていた。


「…………っ、せん、せい?」


 女子生徒は意識を朦朧とさせながら譫言のように、その正体を確認するように呟いた。

 リオンはその質問に頷きのみを返す。

 彼女はそれを見ると、途端にふらつく体に鞭を打って立ち上がろうと苦心し始めた。


「…………わ、わたし、まだ……!」


 ――戦える。

 その意思を伝えようとして……。


「ダメだ」


 たった一言。

 リオンの放ったその言葉に、彼女の言葉は遮られた。


「その状態で戦わせる事はできない。みすみす命を落とす事になるよ」

「で、でも……わたし、は……!」

「でもじゃない。俺は教師だ。生徒に命を落とさせる訳にはいかないんだよ。後で治療してあげるから今は休んでな」

「…………ッ、す、すみ、ません」


 女子生徒は悔しさに顔を歪ませながら、その場に崩れ落ちるようにして座り込んだ。

 リオンはそれを確認してから、自身の右手に握られていた熊の手を放り投げて、正面に顔を向けた。


『フゥゥ……フゥゥ……ッ!!』

『――キュアァァァ!』


 自分の手を失い興奮状態にあるラミナ・グリズリーと、上空でリオンの様子を観察しているグロブス。

 『ベスティアの森』に棲息する魔物の中でも、極めて危険で獰猛とされ、刃と弾丸という名を冠する二体の魔物と相対して尚、リオンが臆する事はない。


「早めに終わらせる……」


 その一言と共に、リオンが一歩踏み出した。

 刹那、リオンの頭上からグロブスが一条の閃光となって飛来した。

 リオンはそれを首を逸らすという最小限の動きで回避。

 それに合わせるように、ラミナ・グリズリーが残った右腕の爪をリオンへと振り下ろす。


「――【魔弾ジ・アルフィ】」


 指の先に発生した小さな魔力の塊。

 それをラミナ・グリズリーへと差し向けた。


『――――――ッッ!!?』


 放たれた魔力弾はその巨体に大穴を開けた。

 ラミナ・グリズリーは声にならない声を上げながら、その巨体をよろめかせ、樹木が切られたかのようにゆっくりと地面に倒れ、灰と化した。


「次……」


 ただ淡々と。

 リオンは宙を舞っているグロブスを睨みつけた。


『――キュァッ!?』


 グロブスは恐怖していた。

 本来、恐怖心など持ち合わせていない筈の魔物が、ただ一人の男に恐怖した。

 だが、逃げ出すことは許されない。

 グロブス――いや、魔物という生物たちがプライドを持ち合わせているのかは定かではない。

 だが、確かにグロブスは逃げず、リオンへと向けて己が命を爆薬に、己が身を弾丸として、持てる最高速度で突撃した。


「…………ッ!」

『――ギュアッ!?』


 一発の弾丸は――堕ちた。

 グロブスの最高速が、音速を超えた超速が破られた。


 リオンはただ身を翻し、グロブスの体を的確に捉えて地面へと叩き落としただけ。

 ただそれだけで、命を顧みない突進をしたグロブスは地面に叩きつけられ、赤いシミを残して消えた。


「…………すごい」


 女子生徒は呆然と呟いた。

 あまりにも一瞬の決着。あっさりとした戦いの終幕にただ凄いとしか思えなかった。

 ――これが、レウゼン魔法学校で先生をやる者の実力なのか。

 少女はそう再認識させられた。


「じゃ、治療しようか」

「は、はい……」

「名前は?」

「シア・トルネです……」


 リオンは女子生徒に【天癒杯フィア・テュオレ】を掛ける。

 すると、みるみる内に傷が塞がっていく。血を流し続けていた額の傷も、抉れていた腿の肉も再生していく。

 リオンはその治療の合間に、気配探知を使って周囲の状況とシャルルの状況を確認していく。


(…………『楽園』にシャルルの反応? それにこの感じ…………アイリスと? それに他にも群れの魔物がいるな)


 魔物の群れは大凡十匹あまり。

 シャルルとアイリスは互いに隣り合うように位置取りをして、それに向かい合うような形でグレンがいる。


(魔物は……多分、キラーラビットか? そんで、シャルルとアイリスが組んでて、向かった先にグレンが居た……って感じか? 多分……)


 野外演習のルール上、生徒間での戦闘は禁止事項には含まれていない。

 寧ろ、推奨されている節さえある。


(いや、まぁ……シャルルは護衛対象だから、本当は止めた方が良いんだろうけど、教師としては止められないしなぁ)


 教師という中では、あまりにも制約が多すぎる。

 護衛をしようにも、教師として自由に動ける状況が無さすぎるのが現状だ。


(なら、まぁ……遠くからでも見ておくか…………)


 それが最善だろう。

 何かあってもすぐに対応できる。

 リオンはそう判断して、女子生徒の治療が終わるとその場を離れたのだった。



☆☆☆



 フォル密林・野外演習会場の外。

 鬱蒼と茂る木々が光を遮り、暗澹とした空気を齎すその場所に二人。


「……そろそろ?」

「どうダろ? でも、モう待つノモ飽キてきたヨネ?」


 黒い外套を羽織った二人の男。

 その内の一人、左の顔面半分を覆うようにして着けられた布と、その下に見え隠れする火傷の傷が特徴的な男が後ろへと視線を向ける。


『――グルルゥウゥゥゥ』


 低い唸り声を上げながら、鎖に繋がれた魔物が百体余りそこにいた。

 その瞳には憤激、怨嗟、憎悪、狂気を宿し、溢れんばかりに涎を垂らしながら、獲物を与えられるのをただひたすらに待ち続けている。


「アイツら……そろそろ限界みたいだけど?」

「ほントうだね。オ腹が空イているミタいだ。ソれに、オれもモうガ慢の限カイだよ」


 黒いモヤが掛かったような男は、口角を引き裂きながら気色の悪い笑みを浮かべる。

 そんな仲間の様子に、もう一人の男は額を抑える。


「まだ……一時間だけど…………」

「ソうダネ……」

「当初の予定では、日没が近付いて来た頃合いで仕掛けるんじゃ?」

「あト四時カンも待テル? そンなのムりだヨ? おレも、魔モノたちも!」


 確かに、もう待つのも無理そうだ。

 日没までは逆算してあと五時間。仕掛けるのは日没の一時間前の予定だった。

 だが、蓋を開けてみれば始まってから一時間後には限界が来ていた。


「はぁ……じゃあ、行くのか? 名無しネームレス

「トウ然ダロ? 顔無しフェイスレス


 名無しネームレスは獰猛に笑ってみせる。

 ――獣よりも、獣らしく。

 その身に内包した狂乱を隠そうともしない名無しネームレスを見て、顔無しは大きく溜め息をついた。


「なら、俺も飼い主らしくしなきゃな」

「ヒヒッ! 任セタぜ? ガンバって俺ヲ従エなヨ? ジャなきャ……」

「わかってる。思う存分、暴れていいさ。その後の始末は俺がやる」

「ソう来なクチゃあなァ!!!」


 名無しネームレスが魔物に付けていた鎖を解き放つ。


『――――――――ッ!!!』


 その瞬間、待ってましたと言わんばかりに、魔物たちが遠吠えを上げた。

 それが、これから訪れる狂乱の開幕の合図となる。


「サァさぁ! はジメようカァ!? 結界ハッて敵ガ来ねェと思ッテるバかな連中ヲ殺シテ、コロして、コロシて、コロシテぇぇ! 絶望ヲプれゼンとしてやるよォォ!!」


 際限のない悪意の奔流が流れ込む。

 未だ混迷を極める野外演習に、混沌が訪れる。


 ――今、宴が始まる。

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