第十八話 野外演習④
怪我をしているシャルルの側に近寄り、アイリスは血が滲んでいる左腕部に手のひらを翳す。
「――【
アイリスがそう唱えると、手のひらに翡翠色の淡い光が溢れ落ち、シャルルの傷口へと染み込んでいく。
すると、傷口はみるみる内に抉れた肉を再生し、脳に訴えかける痛みを中和していく。
【
病気には全く意味を為さない魔法だし、死んだ命を蘇らせる事はできないが、軽い傷程度ならすぐに治すことができる。
「…………はい。とりあえず、こんな感じかな?」
「ありがとう……」
「ううん、気にしないで。シャルルがグロブスの気を引いてくれて無かったら、私はきっとすぐにやられちゃってたしね」
アイリスは「ありがとね!」と、満面の笑みをシャルルへと向けた。
アイリスの真っ直ぐな言葉に、シャルルはどこかむず痒そうに少し赤みを帯びた頬を掻いた。
「と、とりあえず……休憩した後のことを考えましょう」
「そうだね! あんまり休憩の時間取りすぎるとまずい事になるし、早めに次の行動を考えなくちゃね」
アイリスの言う通りだ。
今は野外演習の真っ最中。それも始まってから一時間も経過していない、序盤も序盤の状況だ。
シャルルとアイリスはこれからあと十九体の魔物を倒す必要がある。日没までの時間を残り五時間と仮定しても、たった一体の魔物との戦闘でここまで疲弊していたのでは到底間に合わない。
同じ場所で狩りをしようとしていた生徒たちとの戦闘に、最初に出会ったのがグロブスという非常に厄介極まりない魔物だったという点を加味しても、ペースは最悪だと言えるだろう。
ここからは適度に休憩を挟む事はできない。
「とりあえずはこのまま魔物の気配を探りつつ、他の生徒たちと被っていないかの警戒が必要ね。更に言うなら、なるだけ群れを殲滅したいわ」
「だね。このまま単体の魔物を狙い続けても、日没までに二十個はキツイだろうしね」
「えぇ……。体力的にも単体で行動する魔物を狙い続けるのは危険」
単体で行動する魔物は基本的に強力な個体が多い。
なぜなら『ベスティアの森』という、魔物が闊歩する場所で群れを形成せずとも生き残れる強さを持っているという事に他ならないからだ。
群れを相手にするのも厳しくはあるが、強さや効率を鑑みるなら単体よりも群れの方が良い。
「なら、狙うのは――」
「えぇ……『キラーラビット』の巣よ…………」
『キラーラビット』。
殺人兎という名前のついた魔物だ。その名前の由来は見た目の可愛さに反した凶暴性にある。
最近はあまり事例を確認されていないが、昔には普通のウサギの群れと勘違いして近づいた一般人がその身に複数の裂傷を負って死亡してしまった事例もあるほどだ。
この殺人兎は主に八から十匹ほどの群れで巣を形成して暮らす習性がある。
危険度こそ高いが、全て倒せればそれだけで必要な魔石の半分の量は確保できるという算段だ。
「この辺りは『キラーラビット』の目撃数も多いエリアだから、探しやすい魔物の一種類ではあるけど……」
「もしかしたら、先にその巣を潰されてる可能性だってあるよね…………」
「えぇ。でも、やってみる他ないわ。まだ始まってから時間も経ってない、今のうちに巣を探しましょう」
「うん、わかった」
シャルルの言葉に、アイリスは静かに頷いた。
「巣がありそうな場所は水気の多い日の当たらない場所。そこを当たっていけば、そのうち巣は見つかるはず」
「見つからなかったらどうする?」
「…………その時は、コツコツ単体行動してる魔物を狙うしかなくなるわね。今から、別の区画に移動しても手頃な魔物が残ってるかは怪しいもの」
他の区画に移動する時間を加味するならば、『ベスティアの森』で魔物を狩っていた方が効率は高いはず。
この演習では時間のロスが致命的な命取りになりかねない。ならば、この場所を散策して魔物を一体でも多く狩る方が良いだろう。
「とりあえず、休憩はもう終わりにしましょう」
「オーケー! さて、じゃあどっち行こうか。私的にはこのまま『レクスの大木』の方を目指したいかなって思ってるけど、シャルルは?」
「私も『レクスの大木』に向かう予定だったわ。あの木の近くならどの場所も日陰になりやすいだろうし、あの木から溢れる水分で地面も程よく湿ってるしね」
「じゃあ決まり、だね。向かうのは『レクスの大木』!」
アイリスは木々の中に居て尚、圧倒的な存在感を放つその大樹を指差し、高らかにそう宣言してみせた。
「……一応言っておくけど」
「ん、なぁに?」
「あそこ……目立つ場所だから、結構人いると思うわよ。油断してると、痛い目に遭うからね」
例年、『レクスの大木』の周りには人が集まりやすい傾向がある。
理由は単純明快だ。
目立つから。ただ、それだけだ。
それは人間だけに留まらない。
この地に住む魔物たちだってそうなのだ。
シャルルたちの居るこの場所は確かに魔物の確認が最も多い。
だが、あの近辺はそれとはまた異なっている。
「……『楽園』。レクスの大木を中心とした、魔物の最も住みやすいとされる生存圏だよね?」
「そう。あそこにはキラーラビットだけじゃない。『ラミナ・グリズリー』や『ラピスマキナ』だっている」
『レクスの大木』の周辺五百メートルは魔物たちにとっての『楽園』。あそこに棲息している魔物は『楽園』に於ける生存競争に勝利した魔物たちだ。
魔物の凶悪性で言えば、ここの比ではない。
キラーラビットもまた、群れを形成しながらも、圧倒的な個を討ち取る強さを持った魔物なのだ。
「そう聞くと、やっぱり凄い場所だよね。魔物ごとに棲息できる環境が違うはずなのに、あの木の周辺はどんな生物だって生きることができるって言うんだから」
「明らかに異常よね。なんで『レクスの大木』の周辺にそんな環境が形成されてるのかは、未だに解き明かされていない謎の一つ。なんでなのかしらね?」
キラーラビットも、ラミナ・グリズリーも、ラピスマキナも、そこに暮らす全ての魔物が過ごす上で最適な環境が整えられている。
様々な研究者がその理由について、諸手を挙げて研究をしているがその理由について何も判明していない。
だが、紛れもなくそこは『ベスティアの森』――いや、『フォル密林』の中でも一番の秘境であり、最も恐ろしい魔境の一つ。
「それこそ、神秘だよ! 神様が齎した奇跡に違いない!」
「…………あんた、神様なんて信じてるの?」
シャルルはアイリスを睨んだ。
それに対して、アイリスはこてんと首を傾げる。
「なんで? 神様はきっといるよ? だって、生物が誕生したのは神様のおかげでしょ? だから宗教なんてものがあるの! だから、人は救いを求めて祈るんだよ!」
「……神様なんて居ないよ」
「え……?」
シャルルの言葉にアイリスは目を見開いて驚いた。いや、驚いたのはシャルルの言葉にのみではない。今まで見たことのないような、憎悪と怨嗟に支配された表情を見てしまったからだろう。
「神様なんていない……! もし、神様がいるなら、あの時あんな事になんてならなかった……! 父さんも、母さんも、他の人だって……!」
シャルルは鬼気迫る表情をしながら、怒りのままに恨み言を吐いた。
アイリスにはシャルルの過去に何があったのかを知らないが、それほどの憎しみを持っているのだけはわかってしまった。
「シャルル…………」
「…………ッ、ごめん……。少し熱くなりすぎたわ……」
「う、ううん……気にしないで…………」
シャルルは顔を抑えて、数度息を吐いた。
アイリスは息を荒げて、脂汗を流すシャルルを心配げに見る。
「…………アイリス、魔物が来たわ」
「え、あぁ……うん!」
シャルルの視線の先、現れたのは一匹の赤毛赤目の猿――『マッドシーミナ』だ。
「……行くわよ、アイリス」
「うん!」
その言葉と共に、シャルルとアイリスは戦闘を開始するのだった。
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