第十五話 野外演習①
フォル密林の奥地にある滝壺――『リュエの涙滴』。標高五百メートルから流れ落ちる多量の水が下にある泉へと落ち、そこから飛散する水滴が涙のように見えた事からそう名付けられた。
リュエの涙滴の近辺およそ半径十メートルは木が生えず、岩場だけが乱立している場所だ。
そこに現在、三十人あまりの生徒と四人の教員が集まっていた。
「さぁ、今日は皆んなが初めて行う野外実習の日だ」
生徒たちの前に立ち、そう切り出したのは学科主任であるジエル・ゼルハイトだ。
「きっと緊張しているだろう。自分の実力を不安に思う者もいるかもしれない。野外演習には常に痛みと恐怖が付き纏う。そして、その先にあるのは“死”だ」
誰かが息を呑み込み、誰かが冷や汗を流し、誰かが体を震わせる。
それは今回の野外実習のみを想像しての事ではない。これから先、卒業するまで幾度となく行われるであろう実習を想像してのことだ。
「だが、それは魔法騎士となれば常に付き纏うことだ。この野外実習は飽くまでも、授業の一環に過ぎない。それは事実だ。だが、これは授業であっても僕たちが関与する事は殆どない」
その言葉は暗に――自分たち教師が助けてくれる、普通の授業だと思うなと、そう生徒たちへ向けたものだ。
「僕らが君たちを助けるのは、危急の状況にあると判断した時のみだ。僕ら教師は君たちを何がなんでも死なせない。けれど、君たちは魔法騎士を目指す者たちだ。僕らの手助けを期待して、油断することなどないだろう。無論、この演習で教師に助けられた者は減点処分となるから忘れないように」
そう。この演習の目的は学生たちの実力を見て、それぞれの能力を評価する事にある。教師の助けを受けたとなれば、それは実力は十分ではないという評価を受けるのも仕方なし。
だからこそ、教師たちも命の危機に陥るまで、生徒たちに干渉することはしないのだ。
「さて、それじゃあ今回の野外演習の内容を説明する。予め、資料には目を通してくれたと思うが、今回は例年通り『魔物狩り』だ。課題は近辺の魔物を十体狩ること。期限は日没までだ」
課題の内容も時間も配られていた資料通り。
範囲に関しては領域を区切る魔道具によって、滝の周囲十キロメートルに制限されている。
(領域が区切られてるおかげで生物の反応が減ることはあっても、増えることがないのは幸いだったな)
生徒たちからしてみれば、外から魔物の襲来が無いというのはかなり厳しいものになるだろう。なにせ初動を間違えばその瞬間、魔物を狩り尽くされる可能性があるのだ。
だが、リオンにとってはこの状況は非常にやり易くはある。本来なら、担当区画のみを気配探知で探るだけで良いのだろうが、リオンは常に全体の動きに気を払い続けなければならない。
その際に生体反応が増えると、人と魔物の区別がし辛くなりリオンが動きにくくなってしまう。
減り続けるだけなら、人と魔物を一度区別してしまえば、後は状況把握にそこまでの労力を必要としない。
「――リオン先生、貴方はなぜ教師になったのですか?」
「……え?」
リオンがジエルの話をボーっとしながら聞いていると、唐突に隣から話しかけられた。
話しかけてきたのはBクラスの担任――ジオ・リーテルだった。
「俺が教師になった理由……ですか…………。そうですね…………」
リオンは視線を落として、言葉を選ぶような素振りをしてみせる。
いかにも冷静なように。
(やばい。教師になった理由なんて考えてる訳がない! いや、本当なら考えておくべきなんだろうけど、流石にそこまで頭が回ってなかった!)
しかし、内心は焦り散らかしていた。
表面上は幾らでも取り繕うことはできる。在り来りに、恩師の教えを伝える為とか、人に教えるのが好きだとか、そういう設定を適当に考えてもいい。
だが、また同じ質問をされた時、同じような回答をできる自信がリオンにはない。
「…………生徒を守るためですかね」
生徒を守る――教師としても間違っていない回答だろう。それにリオンの仕事のことを考えれば、間違ってはいない回答だろう。
「守る、ですか……。非常に良い回答ですね……」
「そういうジオ先生はどうして教師に?」
「私は才能の原石をより近くで見たいからだ」
才能の原石――それが、生徒のことを指しているとすぐにわかった。
「私は原石を自分の手で磨きたいと思っている。彼ら生徒たちは誰もが見知れぬ、光る才能を内包している。その輝きを引き出せる教師という職に、私は心の底から惹かれたんだ」
ジオは生徒たちを眩しいものを見るように、その瞳を細めた。
その瞳の色には確かに慈愛と羨望が含まれていた。
「君も思わないか? 若人というのは大きな可能性を抱えている。それを私たち教師が潰してしまっては本末転倒というものだろう。だから、私は教師になった」
「なるほど……。可能性を磨くため、ですか……。俺には無い視点でしたね」
そもそも、リオンとジオでは見ている景色が違うのも当然だろう。
リオンはどこまで行っても教師ではない。任務のために教師という職になりこそしたが、そこに何かの矜持があるとかそういうわけではないのだ。
リオンは教師であることに誇りを持っていない。
ジオは教師であることに誇りを持っている。
リオンの口から語られる事はないが、この二人は根本からして対極に位置しているのだろう。
「そうかい? 君の生徒を守ると言うのも一種の可能性を広げる行為に他ならないと思うがね」
「……そうですかね?」
「そうだとも。私はこれで安心したよ。もし、ルエナ教諭のように利己的な理由なら、Aクラスの生徒たちがあまりにも可哀想に思えて仕方なかった」
ジオの顔はどこか安堵した顔をしていた。
実際、リオンも利己的な性格をしているのだが。それをわざわざ彼に教える必要もないだろう。
リオンはレウゼン魔法学校で教師をしている間は、俗に言う『良い先生』であろうと決めているのだ。
「あ、因みに私はレウゼンの教師の給料が高かったから教師になった!」
「…………ルエナ」
すると、リオンを挟んでジオの反対にいたルエナが勢いよく身を乗り出して、二人の会話に混ざりにきた。
しかも、ルエナは恥ずかしげもなく教師になった理由を給料だと言い切った。そんな彼女にジオは侮蔑の視線を向けている。
「きゅ、給料のためですか? 他にもなにか理由とか……」
「え? んなもん無いだろ。結局、どんなに綺麗事言ったってそこに給料って言うメリットが無きゃ、人は働く意欲を失っちまうだろ?」
――なるほど。一理ある。
リオンもその考えには共感できる。
リオンがこんな面倒くさい仕事をしているのも、結局は金のためという側面が大きい。
子供の頃から、人を殺すという環境に身を置き続けた弊害なのか、リオンには真っ当に生きるという選択肢が存在していない。
金を貰えるから法で裁けない貴族を殺してるし、金が貰えるから犯罪組織を壊滅させる事も厭わない。
どれだけ善悪を語ろうと、結局その行為には報酬が付き纏うのだ。なら、金のためではないと言い切ることはできないだろう。
「ルエナ……お前は、自分が生徒たちの可能性を潰すかもしれないと思わないのか?」
だが、ジオはその考えに共感できていないようだ。
無理もない。ジオは己が信念のために教師になった。ルエナの話はジオの信念を否定する言葉である事に変わりはない。
「思わないよ。だって、私は教師だ。給料のために就いた職とはいえ、そこを違えるつもりはない。学ぶ意欲のある生徒には、私も全力で知識を授けるつもりさ。もちろん、金のためにな!」
「金、金、金と……この守銭奴めが! 貴様は信念というものが無いのか!」
「信念? 私の信念は仕事に見合った報酬を得ることだ!」
つまるところ、この二人は反りが合わないのだろう。
気高き信念こそ至上とするジオと、貰える対価こそ至上とするルエナ。
どちらかが間違っていて、どちらかが正しいというような話ではないのだ。
「二人とも落ち着いてくださいよ……」
「リオン先生はどちらが正しいとお考えで!? やはり生徒を磨き上げることこそ信条でしょう!?」
「いやいや、報酬こそ絶対だよな?」
「いや、どっちでも良いっていうか……」
流石のリオンも苦笑いしかできなかった。
リオンの考えとしてはルエナの側に近いのだろうが、かと言ってジオの言っている事にも共感はできるので、どちらの側に付くというのはないというのが結論だ。
(そもそも……優秀なら、どっちの考えでも良いよな……)
と言うのが、リオンの考えだった。
結局、この場に居るという事は少なからずこの二人は優秀な教師なのだろう。
それだけわかっていれば良いではないか。
そう思うが、この二人はどうにもそうではないらしい。
「ほら、どっちなんだね!」
「早く選びな、新人さん」
二人に詰め寄られながら、リオンは助けを求めるように視線を彷徨わせた。
すると、黒いオーラを放ちながら、笑みを浮かべているジエルと視線がぶつかった。
「……どうやら、最も緊張感がないのはあそこの二人の教師のようだ。……ジオ先生……それと、ルエナ先生。生徒の前で情けない姿を晒すのは控えていただきたいですね」
ジエルの言葉に、ジオとルエナは冷や汗を流しながら停止した。
それを確認してから、ジエルは一度咳払いをする。
「こほん……。と、いう事で皆さん頑張ってくださいね。時間は今から日没まで。皆さんが課題を達成し、無事にここに戻って来ることを祈っています」
ジエルは纏っていた圧を抑えてから、ニッコリと優しく微笑んでみせた。
「それでは……先生方も所定の配置に付いてください。付き次第、無線で私に一報を入れるように。それを確認次第、空に私が魔法を撃ちます。それが開始の合図となるので、生徒の皆さんは覚えておくように。では、散開!」
その瞬間、リオン含む教師四人全員がその場から姿を消した。
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