第六話 模擬戦

 レウゼン魔法学校には、戦技科のみが使用できる演習場が三つある。北、西、東のそれぞれの場所に位置しているそこは、鍛錬目的での使用ならば、他クラスとの授業と被らなければ、どのタイミングで使用しても構わないとされている。

 そして、戦技科のある東校舎に最も近いのが東演習場である。そのため、ここはなかなか授業以外で使うのは難しいのだが、上級生たちは入学式の翌日からの登校であり、Bクラスは現在生徒たちに軽いガイダンスを行っている。

 つまり、東演習場は今リオン率いるAクラスが独占している。


 東演習場の中。特殊な木材で作られた床と、大理石を利用した純白の壁に覆われた空間内。魔法戦を目的とした闘技場の中心で、リオンとグレンは対面をしている。

 闘技場の外、中を見下ろす形で位置している観客席にはAクラスの全生徒が二人の対決を今か今かと心待ちにしていた。


「さて、グレンくん。模擬戦の形式はなににしようか。俺が模擬戦を提案したし、教師でもあるからそっちが有利なルールでやってくれていいよ」

「…………マジで言ってんのか?」

「大マジだよ。教師としての力を示すならそっちの方が君にとっても都合が良いだろ?」

「…………」


 リオンは柔和な笑みを崩すことなく、グレンにそう提案を持ちかけた。


「純粋な魔法戦でお願いします。勝敗はどちらかが降参と言うまでにしましょう」

「おっけー。でも、ハンデを設けようか」

「……は? ハンデ?」


 グレンはなにを言われたのかがわからないと言った様子で呆けてしまっている。


「そうだなぁ……俺がこの場から動いたら負け、とかどうだろう? それと僕は魔法一つしか使わないっていうのも追加しようかな」

「…………ふざけるな。ハンデなんていらねぇ! アンタは俺を舐めてるのか! 俺はバール家の嫡男だぞ!」

「あ、やっぱりそうなんだ。バールって家名は聞いた事があったから、もしかしてとは思ってたけど…………」


 バール家――。

 今から二百年ほど前。マディステラが戦争をしていた時代に、その当時のバール家の当主にして『聖戦の雷ケラウノス』団長であったフラウ・バールの活躍によってマディステラは勝利を納めた。

 その功績を讃えられ、王から爵位を賜ったのをきっかけにその立場を大きくしていった貴族の家系だ。


 現在でも、バール家の人間は騎士団に多く在籍している事からもわかるように、彼らは戦闘魔法のプロフェッショナルだ。

 グレンが学生といえども、その戦闘技術においては他の人間よりも秀でたものがあるのだ。


「でも……問題ないかな。俺は君よりもはるかに強い。だから、安心して全力で掛かってきてくれ」


 リオンは指をグレンに向けて数度曲げる。

 ――安易な挑発だ。こんな事で心を乱すことはない。それすらも作戦なのだ。

 グレンは自身の怒りを鎮めようと、何度も心の中でそう繰り返す。だが、それでも自身のプライドを踏み躙られた屈辱まで忘れる事はできなかった。


「――だったら、終われ!」


 怒りに震えるままに、自身の中を巡る魔力を解き放つ。

 そして、手のひらを正面に構えて、グレンは吼える。


「――【火閃砲ガル・レイア】!」


 瞬間、炎が放たれた。

 炎は収束し、一条の熱線となってリオンを貫かんと襲いかかる。


 これこそ、グレンが得意とする炎の攻撃魔法であり、【火閃砲ガル・レイア】はその中でも中級魔法に位置する高度な攻撃魔法だ。

 これをまだ入学したての学生が使えるというのは、かなりの努力をしてきた事の裏付けに他ならない。


「――【魔弾ジ・アルフィ】」


 リオンへと押し寄せる炎の光線。

 リオンはそれに指を向ける。


「…………は?」


 一瞬だった。

 リオンに放たれた強烈な熱の奔流が――


「どうした? 次、撃ってこないのか?」

「――っ! クソがッ!」


 呆然としていたグレンだが、再びその手をリオンへと向ける。


「【火閃砲ガル・レイア】! 【火閃砲ガル・レイア】! 【火閃砲ガル・レイア】!」

「【魔弾ジ・アルフィ】」


 三本の熱線が左右正面それぞれの方向からリオンへと放たれた。

 そして、再び消滅。

 なにをされたのか、なんの魔法を使ったのか。


 グレンの瞳がその回答を映した。


「…………下級の、それも?」


 無属性魔法。それは魔法の中でも、最も簡単な魔法だ。魔力とはその形、性質を往々に変化させる。その一つがグレンの放った炎魔法だ。魔力に熱や燃焼という性質を与えたものである。

 だが、無属性魔法とはなんの性質も与えていない、ただの魔力の塊である。それ故に、その威力は他の同等級の属性魔法よりも弱い。


魔弾ジ・アルフィ】はただ単純。魔力の塊をぶつける魔法である。

 子供でも練習すれば扱える軽い戦闘魔法の一種であり、それ自体の殺傷性も低い。

 リオンの使った【魔弾ジ・アルフィ】も見た目は普通だった。違いと言えば、本来拳台の大きさの塊がそれよりも二回りほど大きかったこと。

 それ以外は普通だった。

 

 


「アンタは一体、なにをしたんだ……」

「…………。……じゃあ、これから授業だ。魔法の威力は等級と使用者の魔力量に依存する。これは誰もが知る常識の一つだ」


 人はそれぞれ魔力量が異なる。これは、個々人の才能や努力によって、その絶対量が変動するためだ。無論、魔力量の多さは単純な威力のみにならず、継戦能力の高さにも繋がる。

 そして、な魔法には下級、中級、上級、超級という区別が存在している。魔法は等級が上がるごとに、威力と魔力の消費量が増大していくのだ。


「では、ここで問題。なんで、俺は下級魔法――それも無属性で、グレンの魔法をかき消せたのか。答えてみてくれ」

「…………俺の方が、魔力量で圧倒的に……負けているから、ですか?」

「正解。今回の場合、俺は君よりも圧倒的に魔力量で勝っていたという事になる」


 圧倒的なまでの魔力量の差――グレンは、目の前のリオンという男との力の差に歯軋りをせずにはいられなかった。

 リオンは模擬戦の中であっても、まるで本気を出している素振りは見られない。その事実がグレンに無力感を強く感じさせる。


「…………じゃあ、次だ。俺は君と同等量の魔力しか魔法に込めない。使用する魔法は変えず……だ」

「…………正気か? そうなれば、俺の方が圧倒的に――」


 ――有利だ。

 グレンがそう言おうとした時、リオンはグレンの言葉を遮った。


「やってみなくちゃ、な? それにこれは模擬戦という形であっても、あくまで授業だ。なら、色々教えなくちゃならないからな」

「…………わかった。俺も本気でいいんだな?」

「あぁ、大丈夫だよ」


 リオンはなにを憂う様子もなく、はっきりと断言してみせた。

 グレンは三度、リオンに対して掌を差し向ける。


(リオン・エイルス…………最初、この人からは強者特有の圧を感じなかった。だから、侮っていた。今ならわかる。この人はレウゼンの教諭として申し分ない)


 すでに、グレンはリオンの事を認めていた。

 いや、認めざるを得なかった。

 ほんの一瞬の魔法戦。その中で、リオンは宣言通りその場から動くこともなく、【魔弾ジ・アルフィ】のみでグレンの魔法を破ってみせたのだ。


 これで尚、担任として認めないなど宣えば、それこそ馬鹿の妄言に過ぎないだろう。

 すでに、グレンの中で勝敗は決していた。自分の負けを認めていた。

 それでも尚、降参の宣言をしないのは――


(だからこそ、気になる。リオン先生、アナタは俺に……いや、俺たちになにを見せてくれる?)


 ――単純な興味からだった。


 目の前の男は、間違いなく強者である。

 レウゼンの中でも見劣りしない。いや、レウゼンという異才たちが集う混沌とした場であって、さらに輝いてすら見える圧倒的な強さ。


(俺は……フローリア隊長と何度も顔を合わせた事がある…………。だからこそ、今ならばわかる。この人はフローリア隊長と同等の傑物かいぶつだ)


 フローリアが放つオーラをグレンは知っている。

 フローリアと初めて顔を合わせた際、グレンが抱いたのは到底届かないと悟ってしまった絶望と、圧倒的なまでの力を持つ者への絶対的憧憬あこがれ


(だが……にも関わらず、リオン先生からはその強さを感じ取れなかった。だから、魅せてくれ。アナタがどれだけ強いのかを俺に)


 グレンは思わず口の端を裂いてしまった。


「――【火閃砲ガル・レイア】!」

「――【魔弾ジ・アルフィ】」


 三度目の繰り返し。

 グレンの魔法は霧散した。前回と違ったのはその場に残ったのはリオンの魔法が残っていたこと。

 それも先程まで相殺していた魔法が、魔力量を減らしたにも関わらずその場に残り続けているという、明らかな矛盾。


「それじゃあ問題。なんで今回は、グレン君の魔法が押し負けたでしょうか」


 リオンは目の前の光景に唖然としているグレン、そして上から二人の戦いを観戦していた生徒たちに問いかけをする。


 彼らが目にとってわかる明確な変化。

 それは前回とは異なり、リオンの放った【魔弾ジ・アルフィ】の大きさがビー玉ほどのサイズだった事だ。


(ただ、それは込めた魔力量の減少によるものだろう)


 グレンは――いや、その場にいる全員がそう断じる。


「………………」


 沈黙。

 誰しもが目の前で起こった事象について、なにも理解できていなかった。一体、何をすればそんなことが可能なのか。

 その答えに辿り着けるものはいなかった。


 ――ただ、一人を除いては。


「魔力の密度の差……ですか?」


 答えてみせたのは銀髪の少女の隣に座る、緋色の髪が特徴的な少女だった。


「君、名前は?」

「私ですか? 私はアイリスです!」

「……そうか。正解。お見事だ」


 リオンもまさか、これに対して答えを出せるものがいるとは思っていなかったのか、表情を驚愕に染め上げるが、すぐさま平静を取り繕う。


「それじゃあ解説だ。魔法の威力は魔力量と等級に依存する。一般的には、そう教えられるだろう。だが、それは間違いとまでは言わないが不完全だ」


 リオンは周囲にいる生徒たちを見回しながら、授業を開始した。


「正確に言うならば、上記の二つの項目以外に魔力のが威力を大きく左右するんだ。例えば、同じ魔力量、同じ等級、同じ魔法を使えば、その魔法は互いに対消滅を起こすはずだ。でも、そうはならない」

「…………では、最初俺の魔法と先生の魔法が対消滅したのは――」

「あれは当てるわけにもいかないから、対消滅したように見せかけて解除してただけさ。今回はわかりやすいように残したけどね」


 リオンはさも当然の事のように言うが、発動してしまった魔法を途中で消すというのは難しい。

 何せ、魔力自体を形にして外に放った時点で、魔力そのものの操作は手放すも同然なのだ。しかし、途中で消したという事は、魔力の操作を手放さずに魔法を扱えるということ。

 即ち、魔法を自由自在に操ることができるという事だ。


「では、なぜ同条件下で対消滅が起こらないのか。それは魔力の密度の差によるものだ。つまり、魔力量が相手より少なくても、魔法の等級が低くても、魔力の密度を上げれば打ち破れる」


 リオンの言葉は確かに説得力があった。

 これを実演せずに言われれば、ただの戯言と全員が聞き流していただろう。

 だが、その実際の例をリオンは見せたのだ。


「魔法戦において、最も重要なのは魔力量でも、扱う魔法の等級でもない。魔力の扱いの上手さだ。俺が君たちにそれを叩き込んでやる」


 リオンは不敵な笑みを浮かべながら、宣言してみせたのだった。

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