第五話 戦技科一年Aクラス

 レウゼン魔法学校東校舎3階通路奥、そこが戦技科一年Aクラスの教室。扉を入ってすぐにある教壇と黒板、それに向かい合うようにして段々になっている木製の長机。

 黒板から向かって右端の最前列に位置する少女――シャルルは、誰とも会話を交わす事なく陽の差し込む窓を無言で眺めている。


「ねぇ、あなた名前は? 私はアイリス・フェルノーって言うの! よろしくね!」


 誰とも会話をしないシャルルを気遣ってなのか、綿毛のようにふわふわとしたロングボブと、鮮烈に焼き付く緋色の髪と緋色の丸い目をした少女――アイリスが話しかける。

 シャルルは差し伸べられた手とアイリスの顔を、数度見た後にアイリスの手のひらに自分の手を重ねる。


「私はシャルル・ローグベルト。よろしく」

「シャルルって言うんだ良い名前だね! それに綺麗

な銀髪だね!」

「え? あ、あぁ……ありがとう…………」


 アイリスはシャルルの隣に腰を下ろす。

 アイリスは人好きのするような笑顔を浮かべているが、シャルルはそんなアイリスに戸惑わずにはいられなかった。


(この子……どれだけ肝が据わってるの?)


 シャルルは言外に近付くな、話しかけるなというオーラを発していた。

 元々、人との交流もあまり得意ではないシャルルにとって、学校という場所は合っていないとすら自身は思っている。


 しかし、シャルルが出していた拒絶のオーラをこのアイリスという少女は無視して、シャルルに話しかけに来たのだ。

 それはこの少女が図太いだけなのか、はたまたそういう空気を読むのに疎いのかはシャルルには測りかねるが、ただもの凄い大物になる予感だけはしている。


「ねぇ、シャルル。私たちの担任の先生誰になると思う? やっぱり、新しく入ってきたっていう先生かなぁ? でもでも、あの先生じゃない可能性もあるよね! だって、戦技科一年はAとBのクラスがあるし! 楽しみだよねー!」

「………………」


 シャルルは絶句した。

 アイリスは出会ってまだ数分も経っていないシャルルに敬称を付けず、剰え昔からの知人であったかのように接してくる。

 それに対してなにかを言おうとしても、アイリスの弾丸のようなトークに、今までまともなコミュニケーションを取ってこなかったシャルルが対応できる訳もなく。


「あの先生かっこよかったよね! リオン先生だっけ? 若い先生だし、良い人そうだったし。あ、でも、やっぱり他の先生と比べたら授業の内容はアレかもしれないよね。そこはやっぱり、経験ある人の方が良いのかな?」

「そ、そうね……」


 アイリスは口を止める事なく話し続ける。これではまるで喋らなければ死ぬ――一種のマグロなどの回遊魚と似た体質なのではとすら思えてくる。


「ねね、シャルルはどう思う?」


 ただ相槌を打つだけの機械に徹しようとしていたシャルルに、アイリスは顔を限界まで近づけて質問をする。

 あまりの距離の詰め方にシャルルは体を仰け反らせるが、それすらもお構いなしにアイリスはその距離をどんどん埋めていく。


「ま、まず…………あなた、距離感近すぎない? い、いきなり初対面の人に、敬称なしで呼ぶのはまずいと思うの…………」

「……? だって、もう友達でしょ? 同じクラスだし、こうして会話もしたし! それに流石に目上の人には敬語とか使うよ?」

「あ、そう……」


 アイリスは一切吃ることもなくシャルルを友達と言い切ってみせた。

 どうやらこの少女にとって、会話を一言、二言していればそれは最早友達という認定らしい。


「そんなことより。シャルルはどう思う? やっぱりあの新任の先生が良い? それともやっぱり別の人?」


 アイリスは先程の質問に脚色をして、さらにシャルルとの距離を詰める。

 シャルルは徐々に近づいてくるアイリスを手で制しながらも、窓の際へと追い詰められていく。このままではアイリスと窓にプレスされて潰される――そう思ってしまうほどの圧がアイリスにはあった。


「わ、私は……新任の先生より、別の先生が良いかな。新任の先生……って、どうしても頼りなさそうに見えるし。まぁ……私は、誰にも期待なんてしてないし、頼る気なんてさらさら無いけど…………」

「期待してない? 誰にも? なんで? 絶対に誰かに頼った方が得だよ? そりゃあ、なんでも人任せは良くないかもだけど、人間誰しも助け合わなきゃ!」

「と、とにかく! 私は頼らないの! わかった? わかったならすぐ離れて! このままじゃ本当に潰れちゃうから!」

「あ、ごめんね」


 アイリスはシャルルから一度距離を取ってから、再びシャルルに話しかけようとした時だった。

 教室の扉が音を立てて横に開かれた。


「遅くなってごめんね! 少し話が立て込んでて……」


 そう言って入ってきたのは癖っ毛の純黒の髪と赤い瞳をした若年の男だった。膝下で伸びる黒のローブと白のワイシャツ、紺色のズボンという魔法学校の教師の正装を着ている。

 左手には黒のファイルが握られている。恐らく、生徒の名簿であるのだろう。


「それじゃあ、改めまして。初めまして、俺はリオン・エイルス。今年度から君たちの担任を受け持つことになりました。これからよろしく」


 新任挨拶の時に話していた男――リオンだった。


「マジで……? 俺たち新人に教わんの?」

「ちゃんと授業できるのかな?」

「ちょっと不安だよねェ……」

「てか、なんで俺たちに新人付けんだよ……」


 生徒たちは声を潜めながら、リオンという新人教師が担任であることに対しての不安や不満を言っている。

 シャルルはそんな同級生たちを一瞥してから、あまりの動揺のしようにため息を漏らす。


「私は楽しみだけどなぁ……。若い先生だし不安になるのはわかるけど、戦技科の教員になれるってことは相当優秀な人材ってことでしょ?」

「そうね。それだけは間違いないでしょう。でも――がない」


 ――覇気。魔法学校の教師、とくに戦技科を受け持つ教員たちには強者特有の覇気というものがある。

 それは今日までの自身の実績や実力、経験に紐付けられた絶対の自信や、それに付随する自己のプライドに起因するものだ。


 しかし、目の前のリオンという教師にはそれが全く感じられない。それどころか、その存在感自体があまりにも希薄なのだ。

 それこそ、意識してそうしているのではないかと疑ってしまう程には。


「覇気が感じられないからこそ、生徒たちからは不安や不満が出てしまう。それも当然よね。だって、強者であるというイメージが湧かないのだから」

「なるほど…………。私には全くわからないけど、みんなそういうのに敏感なんだね」

「…………あなたも、少しはそういう圧とか、空気感とかを感じられるようになりなさい」


 シャルルは若干呆れながらも、アイリスに対してアドバイスをした。

 アイリスもそれに対して、声を小さくしながらも「はーい!」と返事をする。


「それじゃ、これから点呼をするから――」

「――ちょっと待ってくださいよ」


 リオンが黒のファイルを開こうとしたその時。

 五列ある席のうちの後方四列目、ドア寄りの席に座っていた男がリオンの話を遮った。


「君は…………ごめん、まだ名前と顔が一致していなくて。名前を教えてもらえるかな?」

「…………俺はグレン・バール。まぁ、俺の名前なんかはどうでも良いんですよ。そんな事よりも、本当にアンタが俺たちの担任なんですか?」

「まぁ……そういう事になるかな」


 グレンは重力に抗い逆立った金髪と吊り上がった青い瞳が特徴的な少年だ。グレンは不平不満があるのを隠そうともしない様子で、リオンを上から下までじっくりと見回す。

 そして、ある程度見てから嘆息を吐いた後、その目を酷く細めた。


「……やっぱり変えてくださいよ、担任。あんたじゃ、あまりにも頼りなさすぎる」

「へぇ……どうして?」

「アンタはとても強そうには見えない。纏っている空気も、立ち振る舞いも、言動も、見た目も、何もかもが強者であると感じられない」


 グレンもやはりなのか、シャルルと同じように強者特有の空気がない事に気付いていたらしい。

 ただ新人だから頼りないのではないと、グレンははっきりと発言したのだ。


「なるほど。強者特有の雰囲気…………教師陣が纏う覇気みたいなものかな? 俺にはそれがない、と……」

「そうです。アンタから教われそうな事はなにもないだろうと判断しました。ここに入れたのもコネかなにかなんでしょう? とても優秀そうには見えない」


 グレンの言動はどこまでも不満を駄々漏らしにしたものである。

 本来なら、ここで誰かが止めに入るべきなのだろうが、皆が皆新人――いや、リオンが担任になる事に少なからず思うところがあるのだろう。

 誰も止めに入ろうとはしない。


(ここからどうするのか…………見せてもらいましょうか)


 シャルルも止める事はしなかったが、それはリオンが担任になる事に不満があるからではない。

 単純な興味から止めていないのだ。


(コネは無いにしても、あの校長が了承した。つまり、優秀な教師ではあるはず。だから、気になる……)


 フローリアという女は不正を許さない事で有名だ。

 そんな女がコネで雇うことを許容するはずがないのだ。つまり、リオンが教師であるという事はフローリアにその実力を認められているという、なにとない証左なのである。


 にも関わらず、なぜここまで強者に見えないのか。

 意図的に自身を強く見せていないのか。それとも強くはないが知識はもの凄いのか。いずれにしても測り知れない男であることは確かだ。

 だからこそ、シャルルはリオンという男に興味を持ったのだ。


「…………わかった。それじゃあ模擬戦でもしようか。君が勝ったら俺は辞退するよ」

「…………いいんだな?」

「うん、いいよ。みんなで東演習場に行こうか。そこで君たち全員に、軽い授業をしてあげるよ」


 リオンは不敵な笑みを浮かべながら、そう言ってみせたのだった。

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