第四話 任務の概要

 豪奢な椅子やテーブル、誰が描いたものかわからないが煌びやかな額縁に飾られた湖の風景画、足触りのいい絨毯など高価であろう物たちが置かれている部屋。

 フローリアのレウゼンでの仕事場の一つであり、誰もがその荘厳さに一度は度肝を抜かれるその場所は校長室である。


 そんな部屋の中にいて、ソファーに掛け、青筋を立てて、腕を組み、貧乏ゆすりを繰り返す男が一人。あからさまに苛ついているのがわかるその男――リオンは、部屋の主であるフローリアを待っていた。


「………………。……遅いっ!」


 リオンは苛立ちを隠す事なく、思い切り足を叩きつけた。

 リオンがこの部屋に来てからおよそ三十分。フローリアはと言えば「あ、コーヒー淹れてくる〜」と言ってから、二十分以上帰って来ていない。


 一体どこでなにをしているのかなど、リオンには到底わからないがどうせどこかで油を売っているのだろうという事だけは予想がつく。

 リオンは壁に掛けられている時計を何度も確認しながら、フローリアの帰りを待ち続ける。

 それから十分ほど――待ち続けてから三十分ほどの時が経った。


「たっだいまー!!!」

「…………やっと、来やがったか」


 フローリアは全く悪びれる様子もなく部屋へと入り、部屋の奥――窓の側にある豪奢な椅子に凭れ掛かる。

 その手には湯気を漂わせているカップが一つ。


「なぁ……それ、俺の分か?」

「ん? そんな訳ないじゃん。私のだよ?」

「…………お前、俺をこんなに待たせといて俺の分はなしなのかよ」

「当たり前じゃーん! だいたい、私はコーヒー淹れてくるとは言ったけど、リオンの分もあるなんて言ってないでしょ?」


 そう言ってコーヒーを啜るフローリアを、リオンはまるで汚物でも見るかのような目で見る。


「まぁいいや……。てか、そんなにゆっくりしてて良いのかよ。学生たち待たせる事になるかもだぞ」

「それなら問題ないよ。彼らは今頃、寮の規則だったり授業で使うものの確認、校則とかを確認しているから、四十分くらいは余裕があるよ。担任が出ていくのはそれが全部終わった後……最初にやる軽い授業の時だけさ」


 フローリアは飄々とした笑みを浮かべてそう告げる。


「それより、私と二人で話したいなんてね。あの私嫌いで有名な君が珍しいじゃないか」

「誰に有名なんだよ。そもそも俺は表に出ないんだから誰にも知られてねぇよ」


 リオンは顔を下に下げてため息を一つこぼす。

 リオンのフローリア嫌いは今に始まった事じゃない。今までの積み重ねから、フローリアに対して苦手意識を持っているのだ。


「話は単純だ。なんで俺がこの任務に付く事になった」

「なるほど……それか…………」


 リオンは単刀直入に自分が今、もっとも気になっている事をフローリアに質問する。

 フローリアの雰囲気が一変した。

 先程までのどこかふわふわとした空気を纏っていたはずが、肌を刺すほどにピリピリとした空気へと変容する。


「まず、今回の任務を君に依頼すると決めたのはだ。そこに誰かの意思が介在していようとも、私には測れない」

「だろうな。俺が聞きたいのはそこじゃない。なんでお前がいながら、国は今回の護衛を俺に任せたんだ?」

「さぁ? 私も詳しくは知らないな」


 フローリアは肩を竦めてみせる。


「詳しくは知らなくても、大雑把には知ってる……って事でいいのか?」

「どうだろうね? 知ってるかもしれないし、知らないかもしれないよ?」

「誤魔化すなよ。俺はお前の返答次第によっちゃ、ここでお前を殺す事だってできるぞ」


 リオンは殺気を駄々洩らしにしながら、フローリアを睨みつける。

 一方のフローリアはリオンの殺気に当てられながらも怯むことなく、コーヒーを優雅に啜り始めた。


「嘘だね。君は人を殺す時、殺気を洩らすような真似はしない。君が殺気を出す時は、ただ人を脅す目的でしかないってのは知ってるんだ」

「……じゃあ、お前が今回の任務についてどう思ってるのかを教えろ。お前なら……あの最強と名高い、一番隊隊長の《雷霆》なら、完璧に遂行できそうなのか?」


 《雷霆》――それが、フローリアが付けられた二つ名である。誰よりも荒々しく暴れ、誰よりも猛々しく狂い、誰よりも多くの敵を葬ったその強さから付けられた名前だ。

 そして、彼女こそが最強と名高い魔法騎士団一番隊隊長であり、若くしてその栄誉を賜った至高の化生の一人である。


「私なら……か。どうにかなる……しれない」


 リオンはその言葉に疑問を覚える。


「…………かも? どういうことだよ。お前でも手に負えないってことか?」

「そういう事だよ。これが裏に何も見えない、それこそただ殲滅するだけで良いんなら話は別だった。一つの組織を潰す…………それだけでいいなら。でも、今回はそう言うわけにはいかないんだ」

「どういうことだよ」


 リオンが想像していたのは、一つの組織がシャルルという一人の少女の身分を狙っている物だと考えていた。

 セリアが今回の任務をリオンに持って来たのも、単に殺しという仕事の割合が多いからだと。だが、殺しだけで良いのならフローリア一人で事足りるのだ。


 これが意味するところ。

 それは、つまり――


「――今回は、国同士の問題になる可能性がある」

「国、同志?」


 国同士の問題。そこから起こりうるのは国同士の戦い――言うなら戦争になってしまう危険性があるということだ。


「つまり、だ。リオンの私より秀でた戦闘能力と、それに付随する暗殺者としての経験が必要って話なんだと私は考えている」


 暗殺者としての経験。

 それはフローリアには決して無いものだ。フローリアとリオン。二人のどちらが上なのか。ただの戦闘能力だけを取ってみるならリオン、破壊力や殲滅力を見るならフローリアに軍配が上がる。

 そして、暗殺者としての経験はどう転んでもリオンに軍配が上がる。


「それに、対人戦は君が最も得意とする事だろ? 私はどちらかと言えば、魔物との戦いの方が性にあってるんだよ」

「それはわかった。もう一つ聞かせてくれ。今回の敵はなんなんだ? それによっては俺も対応を考えなくちゃならない」


 国絡みの問題になるほどの敵。

 一体それがなんなのか。リオンは知らなくてはならない。でなければ、守るどころではなくなる可能性があり得るのだ。


 フローリアはリオンを見て、僅かに顔を顰めた。


「今回の敵は…………魔導結社ユニオンだ」

「――――」


 瞬間、冷たい空気が部屋を飽和した。

 リオンから溢れ出る憎悪の念。それが部屋内の空気が凍てつく極寒のように感じさせているのだ。


「…………それは、冗談で言ってる訳じゃないんだよな? もし、冗談だったら…………本当にお前を殺してやるからな」


 リオンの目から光が消え、ただ仄暗い殺意だけがそこには宿っている。


「冗談なんかでこんな事言わないさ。それに確証だってあるんだ」

「確証? なんだそれ?」

「……今回の件、魔導結社ユニオンが関わっているのは国からの通達で知らされている。そして、実際にすでに私は魔導結社ユニオンと思しき敵と交戦している」

「…………そうか」


 フローリアが一戦を交えた魔導結社ユニオンという組織。それはこの世界のさまざまな国に勢力を伸ばしており、『魔法のみが生きる世界』を掲げ、各地でテロ行為を繰り返している集団だ。

 現在、各国が血眼になって魔導結社ユニオン撲滅を目標に探しているが、一向にその影すらも掴めぬままなのだ。


 一部の噂では、国の上層部にも魔導結社ユニオンのメンバーがおり、いずれも国を裏から操っているというものもある。

 実際、それらしき人物をリオンも何度も処刑して来た。その一人が先日、リオンが殺したグロウス・シレッドその人である。

 彼には複数人の少女を暴行、殺害した挙句、その死体を魔導結社ユニオンへと引き渡したという疑惑があったのだ。


「なんで奴らがたった一人の学生を狙うんだ。なにが奴らのお眼鏡に適ったんだ」

「知らない。私もそこまではなにも、ね。ただ君だから話すけど、彼女はルーセリア聖皇国の出身だ」

「ルーセリア? …………そうか、あそこの生き残りだったのか」


 ルーセリア聖皇国。マディステラの西方に位置国だ。していたというのは、今から八年ほど前に突如として黒い渦に呑まれて、大地ごと抉り取られ消えたのだ。

 マディステラも当時ルーセリアが消えた原因を探すために、魔法騎士団を総動員して調査をしていたが、結局原因を突き止める事はできなかったのだ。


「……大体わかった。奴らが狙ってるのは、ルーセリア聖皇国が滅んだ原因か、それともなのか」

「そこに関しては、ね? 私も魔導結社ユニオンについてはなんの情報も得られてないんだ。ただ私の予想だけど、奴らはルーセリア聖皇国が滅んだ原因を知ってるんじゃないかな?」

「俺もそうだと思う」


 フローリアの考えに、リオンも首肯して同意する。


「まぁ、今考えてもなにもわからないんだ。シャルル・ローグベルトの護衛をしていれば、奴らも自然とこっちに近づいてくるだろ。だから、それまでは気長に待つさ」

「……その方が良いだろうね」


 リオンはそこで殺意を抑えつつ、時計の方を見る。

 時計の長針が話し始めてから半周あまり、すでに三十分ほど時間が経っていた。


「じゃ、俺はそろそろ行くよ」

「あ、待てリオン」


 そう言ってリオンが立ち上がり、扉の方へと歩を進め始める。

 その後ろ姿を見ながら、フローリアは一言声をかけて呼び止める。


「くれぐれも、無茶だけはするなよ。深追いすれば、の二の舞になるぞ」

「わかってる。今度は同じヘマはしないよ……」


 リオンはそう言い残し、扉から出ていった。

 それを見送ってから、フローリアは背もたれに体重を預けながら、ため息をこぼす。


「…………はぁぁ。絶対に死に急いでくれるなよ」


 リオンの身を案じながら、目を閉じた。

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