第二話 始まりの季節

 セリアからの依頼を受けてから、およそ二ヶ月が経過した。

 現在は4月。気候的に見れば、日の当たる時間も長くなり、寒くもなく、暑くもない過ごしやすい春の陽気が世界を包んでいた。

 ともすれば、待っているのは『出会い』だろう。

 新たな学友との出会い、新たな景色との出会い、そして、新たなとの出会い。


「やぁやぁ! よく来てくださいましたな、リオン・エイルス先生! 今年からよろしくお願いしますな!」

「えぇ、よろしくお願いします。えーと、お名前は……」

「あぁ、名乗るのを忘れてました。儂はロウディ・ヘッジと言います。レウゼン魔法学校の教頭をしています」


 そう言うと、毛の一本も生えていない恰幅の良い老人――ロウディ・ヘッジは、リオンに向けて手を差し出した。


「――ロウディ教頭。改めまして、よろしくお願いします」


 リオンは人好きするような笑顔で、差し出された手を取った。

 ただ、もちろんそれはただの社交辞令。

 内心は――


(あぁ……やめてぇ……)


 その一心に尽きた。

 大体にして、教師をやること自体乗り気ではなかったのだ。ただ、任務のために仕方なくやることになっただけだ。

 だが、それを口に出すことも、顔に出すこともしないのは、彼が仕事という面では、誰よりもプロフェッショナルである事の証左だろう。


「いやぁ、新しい先生が来てくれて助かりましたよぉ。今まで、結構人手が足りないという事も多々ありましてねぇ? 今年に入って、新たに教師を雇おうという事になりまして……まぁ、結局来てくれたのはリオン先生だけだった訳ですが…………」

「…………そんなに、教職って人気がないんですか?」

「うーん……あまり、こう言ってはなんですが、私たちは常に多大な責任を負っていますからね。生徒の成長を促したり、非行に走らないように意識を巡らせたり、何かを間違えばそれは教師のせい…………とどのつまり、過酷なんですよ」


 ロウディは苦笑いを浮かべながら、自身の頭を撫でている。


(なるほどな…………ストレスの影響でハゲたと――)


 リオンはその頭皮と、ロウディの言を聞いてそう結論付ける。

 リオンとしては、教職というのはある程度の人気がある職業と考えていたが、実際のところはそんな事はないどころか、常に人員不足。

 おまけに、多大なストレスに悩まされてハゲる可能性もあるときた。


(…………そりゃ、急に教職になれるわな。ていうか、そんな環境で護衛もしなきゃなんねぇの? やっぱ、無理すぎんだろ…………)


 考えれば考えるだけ、思考が陰鬱な方へと流されていく。四年後の遥か未来、自分の悲惨な状況を想像して、胸が締め付けられる。

 決して、目の前を歩くロウディをバカにする訳ではないが、リオンはまだ若い。少なくとも、たった四年であんな風にはなりたくないと考えてしまう。


「そんな中でも、自ら志願して来ていただいたエイル先生には感謝してもしきれませんよ! まだ手が完全に回るかと聞かれれば、そんな事はないですが、人手があるに越したことはないですからね!」

「アハハ……ですねぇ…………」


 どうやら、ロウディは勘違いをしているらしい。

 リオンは別に自ら志願したわけではない。ただ、任務だったから仕方なくなだけだ。というか、任務であっても教職はしたくないとすら考えている。

 本当なら、こんな仕事とっととバックれて、街で優雅にティーパーティと洒落込みたいとすら考えている。

 ただ、それができないのはお偉いさん方の機嫌を損ねて、首を刎ねられる可能性があるからだ。つまり、最初から選択肢などなかった。


「あ、そういえば気になってたんですが。リオン先生は経歴に騎士団所属だったとありますが、主に戦闘魔法を得意としていたんですかね?」

「まぁ、そうですね。基本的な戦闘魔法は全種使えますかね…………」

「おぉ、それは素晴らしい! 実は、レウゼン魔法学校は戦技科がありましてね? そちらの教員が最も不足していたんですよ! 普通科なら、教員もそれなりにはいるんですがねぇ…………」


 戦技科――読んで字の如く。魔法戦闘のノウハウを学び、自身の戦闘技術をより向上させる事を目的とした学科である。

 普通科では、主に生活に役立つ魔法や魔道具の基盤となる術式回路の構築を学ぶのだが、戦技科ではそれらの事は一切やらない。

 加えて、普通科は進路が多岐に渡ってあるが、戦技科はほぼ騎士団所属の一択という点でも、かなり特殊な学科である。


「まぁ、実際に戦場に身を置いてる人間なんてごく僅かですしね。いくら、国家最高教育機関とは言っても、騎士団の人間を教師に引っ張ることは難しいでしょうね」

「そうなんですよ! 何度か講演はしているんですが、それでも少なすぎる。一応、騎士団出身の教師はいるにはいるんですがね」


 騎士団はそもそも、国の防衛機関だ。

 たとえ退役したとしても、引き抜かれ後進育成に励む者たちもいるだろうが、その大半は騎士団の上層部で書類作業をするか、そもそも別の職に就くか、だ。

 とてもじゃないが、魔法学校に手を回している余裕などないだろう。


「まぁ、そういうわけで、リオン先生は戦技科の受け持ちをして欲しいというわけです。しかも、校長のお達しで一年の担任を受け持ってくれ、と」

「…………え? 担任、ですか?」


 ――どういうことだ? 話が違う。担任だなんて聞いてないぞ!


 リオンは教師として、ただ適当に授業をして、適当に護衛対象を観察しながら、適当にその命を守るつもりでいた。

 そもそも担任だなんて言う文言は、あの依頼書には何も書いていなかったはずだ。

 リオンは隅々まで、目を通しているから断言できる。


「えぇ、言っていませんでしたか? 戦技科は受け持てる教師が多くないので、一人一クラスの授業すべてを請け負うんですよ」

「………………へ?」

「確か、契約書にもその旨を記載していた筈でしたが…………。記憶違いでしたかね?」


 そこで、リオンはふとある事に気付いた。


(俺、契約書にサインなんてしてなくね?)


 そう、リオンはそもそも、そんな契約書があった事すら知らなかったのだ。

 いや、確かに違和感はあった。依頼書があって、教師として潜入する事になった。だから、準備しておけ。と、単調に記された文に隠された罠。

 そう、リオンは依頼書を渡された時点で、すでに契約書を学校側に提出されていたのだ。

 つまり、端から断ることなどできなかったという事である。


(いや、てか…………これって、犯罪じゃね? 確か、文書偽造とか…………いや、そもそもは法そのものだ。こんなのもみ消されてるに決まってる…………)


 リオンは軽く目眩を覚えながらも、なんとか笑顔を保ってみせる。


「あはは、確かに書いてましたねー、忘れてましたー」


 がしかし、どこか頬が引き攣り、冷や汗をかいている事から、鋭い人が見れば一発で作り笑いと断定できるだろう。

 だが、目の前に居るのは、ロウディ・ヘッジ――


「ですよね! いや〜、良かったです! これでもし、記載漏れがあって、担任なんてやりたくないって言われでもしたら困ってましたよ!」


 ――生粋のニブ男である。


(本当はやりたくないですけどね! でも、任務だからやるしかないんだよぉ!?)


 リオンの裏の顔など察する事などできる訳もなく、ただ満面の笑みで、今にでもスキップしそうなほどに軽い足取りで先を歩いていく。

 その姿を見て、リオンは辟易としながらも、ニコニコと笑みを浮かべて追従していく。


「あ、一つ安心して欲しいのですが、普通科のように一クラス三十人あまりの生徒たちの担任ではなく、十五人ほどのクラスの担任なのであまり気負いすぎないで下さい! 明日の入学式、頑張りましょう!」

「あ、はい……」


 そうして、翌日――。

 夢、希望、未来に胸を膨らませた少年少女たちが、レウゼン魔法学校へと入学してきた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る