第21話 水没

 マジカを一階の物置部屋に軟禁してから、丸三日が過ぎようとしていた。


 現在のところ、犯人に目立った動きはない。行動を制限したことで、目論見通りある種の膠着こうちゃく状態を作ることに成功したようだった。


 その間にパンや缶詰といった保存食は底を尽きかけていた。誰もが、今更モンスターの肉を調理する気分にはなれないということだろう。かく言うオレ自身も、とても食事を楽しむ気にはなれなかった。


 このまま何事もなく時間が過ぎて、無事に館の外に出ることができればいいのだが、それはあまりに希望的観測に過ぎるというものだろう。


 ――犯人は必ず、残り二日の間に仕掛けてくる。


 オレは大広間の片隅にあるグランドピアノを、懐かしさから何となく触っていた。ノーキンがスクワットの重りに使っていた例のピアノである。


 こう見えて、オレは下級貴族の家の出身である。子どもの頃には剣術とは別にピアノを習っていたこともある。今でも簡単な曲くらいなら弾くことができた。


 椅子に座って実際に鍵盤を叩いてみるが、上手く音が出ない。どうやら故障しているようだった。よく見ると側板や脚柱に細かい傷がビッシリと付いている。筋トレの際に、ノーキンが手荒に扱ったことが故障の原因かもしれなかった。


 そのとき、オレは背後に何者かの気配を察知する。大広間に現れたのは黒いフードを被ったヌスットだった。


 オレは咄嗟とっさにピアノから離れ、壁を背にした状態で剣の柄を握る。

 この館の壁や床は攻撃を受けると100%の威力で反撃してくる。つまり、相手がオレへの攻撃を外して壁にダメージを与えると、その攻撃は自分自身に跳ね返ってくることになる。ならば壁を背にしている限り、ヌスットは迂闊うかつにオレを攻撃できない筈だ。


「おい、待て待て。そう警戒するな。アタシのことが疑わしいのはわかるが、こちらから攻撃するつもりはない。少し確認したいことがあるだけだ」


「……確認したいこと?」


「最近ジジイを見かけなかったか?」


 ヌスットが言うジジイとはチュウチュウのことだろう。


「いや、投票をやった日から見てないが」


「……そうか。だとすると、ジジイはもう二日以上部屋から出ていないことになる」


「戦えないチュウチュウが自分の部屋から出てこないこと自体は、そこまでの異常とは思えないが?」


 自分に票を入れてまで身の安全を確保しようとしたチュウチュウだ。見張り役を免除されたのをいいことに、籠城ろうじょう作戦に出ることは至極当然のようにも思える。


「確かにジジイは用心深い性格だが、それにしたって限度というものがあるだろう。食事は持ち込んだ缶詰やパンで済ませるとしても、トイレはどうする?」


「命が掛かった状況で、そんなこと気にしてられないだけだろう」


 オレがそう言ってもヌスットはまるで納得していない様子だ。


「兎に角、ジジイの部屋の中を一度確認しておきたい。ケン、立ち合ってくれないか?」


「…………」


 オレとしては、この三日間何も起こらずに平穏に過ごせたのだ。実はその裏で殺人があったなどとは考えたくないが、一度湧いた疑念を取り払うにはチュウチュウの安否を確認するしかない。


「……わかったよ。ただし、立ち合うのはオレだけじゃない。全員でだ」


「それは駄目だ。マジカをジジイの部屋の前に連れて行けば、『氷』と『炎』の魔法で密室を偽装する恐れがある。連れて行くのはユウキだけしか認めない」


「わかった。連れて行くのはユウキだけにしておこう。オレとしても仲間を疑われるのは本意ではない」


 オレとヌスットは早速、一階の物置部屋の前で見張りをしているユウキに事情を話し、二階のチュウチュウの部屋の前まで移動した。


「おいジジイ、生きてるなら返事しろ!!」


 ヌスットがドアを叩いて呼びかけても、返事はない。次にドアノブを握って開けようとするが、ドアは少しも動かなかった。


「……仕方ない、ここはアタシの魔法で」


「待て」


 ヌスットが『開錠』を使おうとするのを、ユウキが手首を掴んで制止する。


「何をする!?」


「『開錠』を使う前に、本当に部屋の鍵が掛かっているのか、今ここにいる全員で確かめておこう。ノーキンの事件では、部屋が密室であるという根拠はヌスットの証言だけだった」


「……なッ!? アタシが嘘を言って、鍵が掛かっている振りをしたと言いたいのか!?」


 ヌスットが顔を赤くしてユウスケを睨み付ける。


「まずはその可能性を潰しておこうって話だ。そんなつまらないことで疑われるのは、お前としても不本意だろう?」


「……ふん。好きにしろ」


 オレとユウキで交互にドアノブを握るがやはりドアは開かない。

 これでチュウチュウの部屋が密室であることが完全に証明された。


「気が済んだなら鍵を開けるぞ」


 ヌスットがドアに掌をかざして『開錠』の魔法をかける。


「よし。ジジイ、入るぞ!!」


 一言声をかけてからヌスットがドアを開けると、部屋の中から大量の水が流れ出てきた。


「うわッ!?」


「何だこれはッ!?」


「…………」


 オレとヌスットが叫び声を上がる中で、ユウキただ一人だけが足が濡れることを気にせずどんどん部屋の中へ入っていく。


「おい、待てよ、ユウキ!!」


 オレは慌ててその背中を追いかけた。


 ――そして部屋の中には、全身ずぶ濡れになったチュウチュウの死体が仰向けになって横たわっていた。

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