第22話 傷痕

 チュウチュウ=タコカイナの死体は、全身ぐっしょりと水に濡れた状態で発見された。

 大量に水を飲んでいたようで、チュウチュウの体は元の肥満体より更に膨らんでいるように見えた。


「どうやら死因は溺死のようだな」


 ユウキがチュウチュウのブヨブヨした腹に触れながらポツリと呟いた。


「……溺死って、まさか部屋に入るときに出てきたあの水で溺れ死んだってことか?」


 ヌスットが困惑したようにユウキに尋ねる。


「そこまではわからない。が、無関係とは思えないな。だがそうなると、一つおかしな点がある」


「……水の量があまりにも少なすぎる」


 オレがそう指摘すると、ユウキは小さく頷いた。


「うん、その通りだ。ドアを開けたときに外に飛び出した水の量は、部屋を満たす程ではなかった。実際に部屋の前にいたボクらが濡れたのは足だけだったからな。推測するに、水の量は部屋の中の膝下くらいまでだったのではないかと思う」


「…………」


 オレとしてもユウキの推測に異論はない。水の量がもっと多ければ、オレたちは足を取られてそのまま階段の下まで流されていたことだろう。


「だとすると、これは極めて奇妙なことだ。チュウチュウは立ち上がるどころか、ベッドの上にいれば息ができる状況で溺死していたということになるのだからな」


 部屋の中の水位は膝の高さくらいだった。つまり、チュウチュウは床の上に寝そべるような態勢でいたということになる。


「……考えられない。その水がどこから発生したかは知らねーが、部屋が水浸しになって放置しておく馬鹿がどこにいる? 普通、ドアを開けて中の水を部屋の外に出そうとするだろうが!!」


 ヌスットが苛立ちを隠さずに虚空に向かって叫んだ。


「だが実際に部屋の中は水浸しの状態だった。これはこれまでの殺人と比べても、かなり特異な殺人だ」


「…………」


 オレはチュウチュウの死体に近寄り、詳しく観察する。チュウチュウは右手に細いナイフを握り締めていた。


「このナイフはチュウチュウ本人の持ち物で間違いないか?」

 オレはヌスットに確認する。


「……ああ、それはジジイ愛用の投げナイフだ。とはいえジジイに戦闘のスキルはないから、殆ど御守りのようなものだが」


「…………」


 それでもチュウチュウが武器を手にしたという事実自体に違和感がある。チュウチュウはナイフを手に取って、何をしようとしていたのか?

 オレは仰向けの死体をくるりと反転させた。

 すると、背中に服の上から刃物でズタズタに切られたような形跡があるではないか。


「……ユウキ、チュウチュウの死因は溺死で間違いないんだよな?」


「……ああ」


 見たところ、背中の傷自体はは浅そうだ。傷は直接の死因とは無関係だろう。


「…………」


 だとすると、チュウチュウが握っていたナイフと背中の傷、この二つが意味することは何か?


「チュウチュウと犯人は部屋の中で戦闘になった。背中の傷はそのとき犯人に付けられたものと考えれば、一応は辻褄は合うんじゃないか?」


「いや、それはおかしいだろ。ジジイが刺されて殺されていたなら話はわかるが、実際には溺れ死んでいた。部屋の中で戦闘があったのなら、何故わざわざ溺れさせるなんていう回りくどい殺し方をする必要がある?」


「……そうだよな」


 ヌスットの反論は正鵠せいこくを得ていた。死体の状況はチュウチュウの死因と明らかに矛盾している。


「うん。では、ここらで謎をまとめておくとしようか」


 ユウキがメガネを押さえて言う。


「謎①、何故チュウチュウは部屋の中で溺死していたのか。部屋を満たしていた水の量は精々、チュウチュウの膝下あたりまでだった。床の上に寝そべりでもしない限り、呼吸は容易だった筈だ。


 謎②、何故チュウチュウは部屋の扉を開けなかったのか。自分の部屋の中が水浸しになったら、普通は水を外に出そうとするだろう。それなのに、何故内側から鍵を掛けたままだったのか。


 謎③、そもそも部屋の中の水はどこから調達してきたのか。膝下までとはいえ、チュウチュウ殺しにはかなりの量の水が使われている。犯人はどうやって部屋を水浸しにしたのか。


 謎④、チュウチュウの死体が握るナイフと背中の傷は何か。部屋の中で戦闘があったようにもとれるが、チュウチュウの死因が溺死であることと齟齬そごが生じる。犯人は何故チュウチュウの背中を切り付けたのか。


 謎⑤、一連の殺人事件に共通するのは、どれも密室の中に死体が残されていたということだ。犯人はどうやって密室の中から抜け出したのか」


「謎③については簡単だろう」

 とヌスット。


「犯人がマジカであれば、『氷』と『炎』の魔法の同時利用で、大量の水を作り出すこと自体は可能だ」


「いや、それは無理だ」

 オレはヌスットの意見に即座に反論する。


「マジカは一階の物置部屋の中に閉じ込められていた上に、杖はノーキン殺しのときに既に破壊されていた。チュウチュウを溺れさせる量の水を二階に発生させるなんて芸当は不可能だ」


「だったら誰ならジジイを殺せたって言うつもりだよ?」


「その考えは逆だ。今は誰なら殺せたのかではなく、誰なら殺せなかったのかを考えるべきだ。それで言うなら、マジカはチュウチュウ殺しの犯人から完全に除外できる。そしてチュウチュウの部屋を水浸しにすることなら、マジカ以外のオレたち三人には可能だ」


 オレがそう言うと、ヌスットが鋭く睨んできた。


「言っておくが、アタシは魔法で氷なんて作り出せないぞ」


「ああ、わかっている。だが、部屋を水浸しにする為に新たに氷なんて作り出す必要はない。氷なら既に地下の貯蔵庫に馬鹿デカいのがあるじゃないか」


「……あ」


 それは食糧の鮮度を保つ為にマジカが地下貯蔵庫で作った、巨大な氷塊ひょうかいだ。あれを少しずつ砕いて二階のチュウチュウの部屋まで運んでいけば、部屋を水浸しにすることは可能となる。


「物置部屋から動けないマジカにチュウチュウ殺害は不可能だ。よって、犯人はオレたち三人の中にいる」

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