4話「コミュ力と引き換えに得たもの」
予定の盆地に到着したアンドール軍は、布陣してビナー王国軍を待ち構える。
奴らの進路を塞ぎここで返り討ちにするのが今回の方針だった。
セドルの代わりに軍を操りつつ、ペレは内心で嘆息する。
(期待外れだったな)
セドルは傑物ではなかった。
アンドールの兵は戦闘狂の集まりだ。
領主が弱いと知れれば誰も従わない。あの様で軍を率いていくことなどできるはずもなかった。
誇りだったはずの強いアンドールはいずれ消えてしまうだろう。
(この戦争中はなんとか誤魔化せるだろうが、これから先は絶望的だな)
アンドールのために人生を捧げてきた。
積み上げてきたものが、こんな些末なことで崩れ去る。
ペレの人生がまるで無意味だったと言われたかのようだ。
ジャンやオリオルの気持ちが痛いほどによくわかった。
(いけねぇな。戦場で別のことを考えるたぁ)
かぶりを振って思考を外に追いやる。
そうして視線を正面に向けたときだった。
――轟音が鳴り響いた。
「なんだ!?」
アンドール兵が口々に叫び、一点を見つめて唖然とする。
その視線を追って、ペレもまた瞠目した。
山峰を越え、巨大な魔物が突撃してくる。
「……なんだありゃぁ」
ムカデ型の魔物だ。
木々を押しつぶす様から、全長は少なく見積もって三十メートル以上。
黒い甲殻に身を包み、百足では到底足りない無数の節足、赤く光った瞳孔。
奇妙なのはその体だ。
甲殻の表面には毛皮や骨、岩石や樹木らしきものが浮き出ている。
それはこびりついたというよりも、中途半端に溶かして融合させたかのようだった。
ムカデの魔物は木々をなぎ倒し、山肌を削ると盆地に下り立つ。
そして地面を抉り取りながら、アンドール軍に向かって躊躇なく進撃してきた。
「っ、魔導部隊、迎撃しろッ!」
「承りましたよぉ」
オリオル率いる魔導部隊が一斉に詠唱を開始する。
編まれたのは炎系特級魔術〈アルキメデス〉。
魔導士が一丸となって構築する、熱光線で地を焼く対軍殲滅魔術である。
「撃て!」
目を灼く極太のレーザーが、魔術方陣からムカデの魔物に襲いかかる。
触れてもいないのに盆地の草木に火がつき、熱せられた空気が陽炎を発する。
熱光線は確かに、魔物を頭から貫いたはずだった。
だが。
「ほぉう、これはこれは、想定外ですねぇ」
魔物、健在。
さすがにノーダメージとはいかなかったようだが、甲殻のいくらかが脱落しただけでピンピンしている。
傷つけられたのが不満だったか、より速度を上げて距離を詰めてきた。
「オリオル!」
「無茶ですねぇ。あれ以上の特級魔術となると、詠唱しきる前に到達されてしまいますぅ」
「ちぃ!」
魔術が間に合わないなら剣で戦うしかない。
舌打ちしつつ前に飛び出すと、即座に抜刀した。
ペレの獲物は東方から取り寄せた刀と呼ばれる武器だ。
美しく反りのある長大な刀身をうならせて、鋭く空を切り――斬撃を飛ばした。
だが。
「避けやがった……」
甲殻が脱落したむき出しの肉を狙った斬撃は、軽く首をひねっただけでやり過ごされた。
赤い瞳孔がぎろりと光り、ペレと目が合う。
背筋を悪寒が駆け抜けていった。
場違いにやかましい声が隣に並んだのはそのときだ。
「ヒャハッ! 前哨戦にしては派手だなおっさん! オレも出るぜ!」
「斧しまえジャン。いったん退却だバカヤロウ」
「はァ!? なんでだよ」
「見てわからねぇか! 俺の斬撃を避けやがった。知恵があるってことだ! ありゃぁ前もって準備して罠にはめた上、軍で叩かなきゃならねぇようなバケモンだぞ。出会い頭でどうにかなるモンじゃねぇ!」
他の戦闘狂どもは理解しているらしく、大慌てでムカデの進路上から離れようとする。
だが、遅い。
否、ムカデが速すぎるのだ。
このままでは逃げきれなかった者から順に、あの巨体に押しつぶされる。
ジャンは不満そうな顔のまま、大人しく退避の群れに加わっていった。
「どうしたって急にこんなバケモンが出てくんだよ……!」
ペレは、逃げない。
兵たちが逃げる時間を稼ぐためだ。
長い戦場暮らしでもご無沙汰だった自らの死の気配に、ペレは獰猛な笑みを浮かべる。
さて、どれだけ足止めできるだろうか。
そう考えたところで、信じられないものを見た。
セドルが、ペレの前に出たのだ。
「あ?」
一瞬あっけにとられる。
何考えてやがる、このガキは。
あの魔物が見えてないのか?
期待外れとはいえ先代の息子。
見殺しにはできない。
「おいボウズどけ! さっさと逃げ……」
ろ、と言いきる前に、セドルの剣が抜かれた。
次の瞬間、ムカデの頸が落ちた。
「――あ?」
紫の体液を断面からまき散らして、家屋ほどもあるムカデの頭が転がっていく。
だが、ここまでの進撃速度は殺せない。
地面を抉り取る速度そのままに、ムカデはなおもこちらへ迫ってくる。
二撃目は、かろうじて見えた。
袈裟切り。
特級魔術を防いだ甲殻ごと、セドルは兵たちにぶつからないよう斬り飛ばす。
その太刀筋の静けさに、ペレは内心で舌を巻いた。
(地味……なわけじゃねぇ。力が全部、剣戟に注がれてンだ……)
衝撃波は起こらない。
轟音も、本来あるべき甲殻と鋼がかち合う音さえ聞こえてこない。
それらが発せられるということは、太刀筋が乱れているのだと言わんばかりに。
セドルの剣は、そのひと振りをすべて、対象を“斬る”ことに注いでいて。
それでもなお、特級魔術の覇すらかすむほどに荒々しい。
少し速度を上げて、三撃目、四撃目も同じ斬撃だった。
そして、五撃目以降は見ることすら叶わない。
慣性に従ってセドルへ突進するムカデの体は、次から次へと輪切りにされていく。
紫の体液が迸り、盆地がグロテスクに染まる。
「すげぇ」
気づけばそこに魔物はいなかった。
あるのは寸前まで魔物だったはずの、無数に転がる巨大な残骸だけ。
セドルは息を切らさず、衣服を体液で汚すこともなくそこに立っていた。
「…………なんて剣気だ」
しばし呆然としていたペレは、ようやくそれに気づいた。
セドルから立ち上る静かに、しかし激しく強大に練り上げられた剣の威。
これほど大きなものを見落としていただなんて、己の節穴さが信じられない。
「いや、違げぇ。でかすぎて気づかなかったのか……」
その剣気は。
先代に匹敵するどころではない。
先代を凌駕している。
若い頃感じた剣への憧憬を思い出して、ペレは一人、喜びをかみしめる。
アンドールは終わってなどいなかった。
むしろ、これまでよりもさらに大きく、強くなるだろう。
*
(いやいやいやいや、早く倒さねぇと踏みつぶされるだろうが!)
特級魔術を防がれ、ペレの斬撃も躱され、にわかに浮足立つ兵士たちにセドルは焦燥を覚えた。
(だぁー! もう、見てらんねぇ! 俺がやる!)
このままでは多くの死者が出る。
そう思ってセドルは咄嗟に前へ出た。
背後でペレが何か言っていたが聞く耳を持たず剣を抜く。
ムカデの目が、威嚇するように赤く光った。
「しゃらくせぇよ、クソ害虫」
頸を落とす。
輪切りにする。
特級魔術を防ぐだけあって甲殻はかなりの硬さだったが、それを斬れなければ剣の山から生還できていない。
そうして魔物を処理し終え、背後を振り返った瞬間。
――うおぉおぉおおおおおぉぉぉぉぉ!
アホみたいな歓声が轟いた。
「えっ、な、なんだ?」
なんだかよくわからないが、アンドールの戦闘狂たちが大はしゃぎしていた。
先ほどまで逃げ惑っていたのが嘘のように、腕を掲げて声を張り上げ熱狂している。
助かったのがよほどうれしかったのだろうか。
(とりあえずみんな無事でよかった……が、さっきまで士気ガタガタだったんだよな、こいつら)
ここは声を張り上げて檄のひとつでも飛ばすべきなのだろうが、そんな度胸があればコミュ障やってない。
代わりに、魔物が出現した方向に向けて切っ先を向ける。
ビナー王国軍が、削られた山峰から姿を現したところだった。
あちらにとっても魔物の乱入は計算外だったか、こちらが乱れた隙をつく突撃は、やや勢いに欠ける。
(これなら仕切り直せるな。視認できるがまだ距離は開いてる。もう一度布陣する余裕はあるだろ。万全の状態で迎え打って終わりだ。頼むぜお前ら)
と思っていたら、兵たちの中のモヒカンが特徴的な男が叫んだ。
「ヒャハッ! お前ら、将軍閣下から全軍突撃の命令だァ!」
ん?
「親方に不甲斐ねぇとこ見せた汚名返上だ、行くぞてめぇら!」
「よそのシマで好き勝手しやがったアホどもに目にもの見せてやらぁ!」
「魔物ごときで俺らがビビると思ったら間違いなんだよあぁん!?」
「奥歯がたがた言わせてやろうか!」
口々に叫んだのもつかの間。
戦闘狂どもは武器を取り、「ヒャッハー!」といななき突撃して行った。
「ん?」
取り残されたのはセドルだけ。
後方支援が華の魔導部隊も消えた。
ペレすら、なぜか感極まったように涙ぐみながら先陣きって走って行った。
「いや、え、ちょっと、え?」
ムカデの体液で臭っい盆地の上、ただ一人ぽつんと立ってセドルは狼狽する。
なに起き?
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