2話「いざ出陣」
父は優秀な領主だった。
叙爵後、幾度となくくり返されたビナー王国からの進軍のすべてを、その深淵なる智謀と絶大な武力で退けてきた。
飲まされた煮え湯の分だけ、ビナー王国は頭に血が上っているだろう。
その父が隠居した。
継いだのは、ロクに名が知られていないセドルである。
攻めてくるのは想定の範囲内だった。
「調子こいてる奴らに大打撃を与えてやれば手柄になる! すべては俺の計画通り。勝ったな。風呂入って歯磨いて寝てくる!」
侍従から報告を受けた後。
机に広げた地図をニヤニヤ眺めるセドルに、ドーナが冷静に指摘する。
「どうやって指揮するつもり?」
「…………」
「隣国との戦争よ。指揮する兵士の数は五千人を下らないわ。そんな大人数相手に、セドル、命令出せるのかしら?」
「指揮は部下に任せて、俺は屋敷でぬくぬく……」
「腰抜け領主として名が知られることになるわね」
「だよなぁ!」
それに部下に指揮させて勝ったとして、それは部下の手柄だ。
横取りしようとするほどの節操なしでは、さすがのセドルもなかった。
「それに、アンドールの兵士は好戦的な人が多いから、領主が戦場に出ないなんて許されないわよ。」
「ぐおおぉ……。それはまずい。体面的にまずい……」
「武功の褒賞として退職を願おうとしてる人の言葉とは思えないわね」
嘆息してドーナが提案する。
「私が戦場について行って、セドルの意思を伝える役目を負う、という手段もあるけれど……」
「それはない」
それはきっぱり否定して、セドルはごまかすように不敵な笑みを浮かべた。
「つーか、俺のコミュ力をナメすぎだな。俺はいざとなったら、本当にクソどうしようもないほど追い詰められて、他に手段がなくて、今まさに決断しないと手遅れになる段階までくれば自分から話しかけられる程度のコミュ力はある」
「それはきっとコミュ力ではないわよ」
「うっせ。そういうわけだからドーナは留守番だな」
ドーナは釈然としない様子だったが、領主権限で通した。
それにあてがないわけでもない。
長いこと顔を合わせてない家臣の中にも、幼少期に良くしてくれた相手はいる。
父を長きにわたり支えてくれたアンドール軍のナンバーツーだ。
彼なら……他の人を相手にするよりかは話せるはずだ。
たぶん、きっと、おそらくは。
いざとなったら泣きつこう。
「ふっ、勝利を肴に飲む酒が楽しみだぜ」
なんとも見通しの甘い義きょうだいに、ドーナは「大丈夫かしら」と呆れた目を向けていた。
*
ペレ・ペレスは長きにわたり、先代アンドール辺境伯に仕えてきた。
彼には恩義がある。
単なる一兵卒に過ぎなかったペレの実力を評価し、重用してくれた。
ついには騎士に取り立てられ、今や筆頭騎士で将軍補佐だ。
アンドール辺境伯が担う将軍職の補佐役――つまりアンドール辺境伯領におけるナンバーツーである。
誇りを持っていた、強いアンドールに。
主が病床に伏したとき、胸は痛んだが、アンドール家の心配はしていなかった。
死は誰にでも訪れるもの。
それにアンドール家は彼の息子が継いでくれる。
セドルなら、主以上の活躍をもってアンドール家を率いてくれるだろう。
そう思っていたのだが。
「なァ、ペレのおっさんよォ。あの新しい領主ッてのはどんな奴なんだ?」
練兵場に向かう道すがら、声をかけてきたのはごつごつしたピアスとモヒカンが特徴の、ガラが世紀末な男だ。
アンドール辺境伯軍の歩兵部隊長を務めている男で、名をジャンという。
「メイドやら執事やら、屋敷の連中からは人気みてェだがよ、オレにはあの領主がンな持ち上げられるほど上等とは思えねェんだよ」
「なにが言いてぇんだ?」
「あいつ、本当に強ェのか?」
ペレは嘆息し、面倒くさそうに口を開く。
「セドルの坊ちゃんは剣の山の試練をたったの九年で終えた。歴代最速だ。疑う余地はないだろうよ」
「それもどこまで本当か疑わしいですねぇ」
ジャンの背後からぬめぬめりと現れたのは長身の男だ。
漆黒のローブから枯れ枝のような手足と、こけた頬が覗いている。
アンドール辺境伯軍、魔導士部隊長のオリオルだ。
「かの方が辺境伯になられてから一週間が経ちますが、まともにお目にかかったのは顔合わせの一度きり。練兵場には訪れず、話しかけようとすれば逃げるように走り去ってしまいます。結果、ワタシたちは彼の方の剣を一度も拝見していません」
「試合から逃げてるようにしか見えねェよなァ」
「…………」
それは、ペレも感じていたことだ。
セドルが剣の山から帰ってきた日。
立派になりましたね坊ちゃんと、話しかけて返ってきたのは、
「へぁっ、お、ん。ずぉ、ども?」
という言葉だけ。
あとはボソボソなんか言って、すたこらさっさとどっかに逃げてしまった。
あれははたして強者のふるまいだろうか?
情けなさすぎではなかろうか?
「オレらはよォ、別にケチつけようッてんじゃねェぜ。けどよ、奴は本当に剣の山を突破したのかァ?」
「先代が病床に伏したことで、試練を突破しないままに急遽、領主に据えられたのではないかと、ワタシはそう勘ぐっています。であるならば、認めるワケにはいきませんねぇ」
「アンドールは最強だ。当然、オレらの上に立つ男は最強でなきゃならねェ」
「剣の山を最速突破……そのような嘘偽りで塗り固めた領主など不要なのです」
「あいつがザコだって知れた日にゃァ、オレがぶった斬ッてやらァ」
「その戦い、いえ、制裁でしょうか。ワタシもお供しますよ」
モヒカンヤンキーと枯れ枝男が不敵な笑みを浮かべる。
ペレとてアンドールの兵士だ。
二人の気持ちはよくわかる。
だが、今は歳をとり立場も得た。
なにより先代への恩義もある。
「あんま滅多なこと言うもんじゃねぇぞ?」
す、と目を細めた。
それだけで漏れ出た剣気に、二人は揃って息を飲む。
アンドールの兵士は戦闘狂揃いだが、勝てないと知ってる相手に突っかかるほど無謀でもない。
「お? お? やるかペレのおっさん。ヒャハハァッ! 久々にオレの愛斧が喜んでるぜ!」
「んふぅ、相変わらず獰猛な剣気……。斬られたらどうなってしまうのでしょう……!」
まあ、突っかかるほどのバカもいるにはいるが。
「今ここでやるわけねぇだろ。滅多なこと言うんじゃねぇってだけだ」
剣気を収めて練兵場への道を歩く。
二人も後からついてきた。
「しかし、彼の方の実力を疑う者がいるのは事実です」
「オレんとこの隊でもだいぶ不満が溜まッてる。いつ凸るかで盛り上がってら。ハナはオレが行かせてもらうけどな、ヒャハッ」
ペレの部隊でも似たようなことが起こっている。
そういうバカ揃いだからこそ、これまでの辺境伯は定期的に練兵場に足を運んで、兵士をフルボッコにしていたのだが。
それすらできないほど弱いのでは? という疑念があるからこその先ほどの問答なのだろう。
だが。
「焦らずとも、答えはすぐ出るさ」
ビナー王国が進軍してきた。
その知らせはペレたちのもとにも届いている。
「お手並み拝見といこうや」
そして、ペレは期待している。
先代から受け継いだ剣才をセドルが発揮してくれることを。
誇り高き、強いアンドールをけん引してくれることを。
練兵場にはすでに兵士が集まっていた。
これから出陣するのだ。
アンドールの戦闘狂らしく、みな一様にガラが悪い。
そんな彼らを整列させてからしばらくして、セドルが到着した。
「待た……な」
「「「あ?」」」
声が小さくて聞こえなかった。
眉を顰める戦闘狂ども。
「言葉は、必要なぃ」
今度はちょっと頑張ったようだが、語尾はほぼ聞こえなかった。
表情を変えぬまま、セドルはばさりと外套を翻すと進行方向を指し示す。
「いざ、俺にちゅじゅけ」
「「「…………」」」
練兵場に、アホみたいな沈黙が落ちる。
ペレは天を仰いだ。
「だめだこれ」
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