1話「コミュ障陰キャは領主を辞めたい」

「「「おはようございます、ご主人様」」」


 日課の素振りを終え、剣を片手に屋敷に戻ったセドルを出迎えたのはメイドたちだった。

 差し出してくるタオルを受け取って、汗をぬぐいつつ答える。


「……おはよう」


「鍛錬、お疲れ様でございます。浴室には湯が張ってありますので、どうぞご随意に」


「ああ」


「よろしければわたくし共でお背中をお流ししますが」


「不要だ」


 そっけなく答え、セドルは浴室の方に足を向ける。

 主に仕えるのがメイドの務めである。

 その背中を追おうとしたメイドたちは、他ならぬセドルによって制止された。


「不要だ」


 それだけ告げると、セドルは一人で廊下の向こうに姿を消した。

 残されたメイドたちがにわかにはしゃぎだす。


「素敵!」


「セドル様、とてもたくましくなられたわよね」


「背も高くなって、細くて筋肉質で、美形なのは母君に似たのかしら。でも、黒い髪と赤い目は父君に似て精悍ね」


「その上、あの気品よ。クールで動じない。まるで磨かれた刀剣のようだわ」


 セドルがアンドール辺境伯を叙爵してから早くも一週間。

 屋敷のメイドたちは新しい主に首ったけだった。


 弱冠十七歳でありながら醸し出される色香と、剣の山を生き抜いたゆえの野性味。

 加えて両親の血を良いとこ取りした美形に、少年らしからぬ沈着さ。


「アンドールの男はどいつもこいつも粗野で戦闘狂でゴリラだから、セドル様みたいなタイプは珍しいわ。推せる……!」


 というのが、若年から老年のメイドに至るまでの意見である。

 あげく、ファンクラブが結成され、セドルの肖像画が描かれた扇が密かに出回り始めた。

 最近はメイドたちの間で、推し活などという妙ちくりんな活動が流行っている。


 だが、彼女たちは知らない。

 セドルの本性を。


 *


 湯浴みを終えたセドルは、浴室から顔だけ出して周囲を探る。

 人影はない。

 今のうちにと、フィジカルに物を言わせて天井に張りつくと、トカゲのようにかさかさ移動して、とある部屋に突入した。


「ドーナぁ! 代わりに領主やってくれ――!」


 先ほどまでの精悍さはゴミ箱にポイして、セドルは情けない顔で懇願する。


 突入したのは執務室だ。

 扉は分厚いため、多少騒いだところで問題ない。


 アンティークのテーブルや書架に椅子。

 豪奢なカーテンから漏れ入る日差しに照らされた執務机、うず高く積まれた書類の向こうから、冷たい目が向いた。


「朝から騒々しいわね……」


 美しい少女だ。

 年の頃はセドルと同程度。

 白い長髪と宝石のような青い瞳、繊細なガラス細工を連想させる細い身体が特徴的だった。

 名前は、ドーナ・アンドール。

 セドルのきょうだいである。


 色彩通りの冷淡な声に、セドルはぎゃんぎゃんわめき散らす。


「もう嫌なんだよ! なんだご主人様って! なんだお背中お流ししますって! 触ろうとすんな、余計なお世話だよ放っておいてくれよ! こちとら顔合わせてるだけで火が出そうなんだよ! 緊張でガッチガチなんだよ! 触られた日には爆発するわ!」


 そう、クールだなどと言われているが真実は違う。

 アガってテンパっているのを悟られないため、必死に取りつくろった結果、超無口になっているだけだ。

 一応、事実として整っているはずの顔を涙と鼻水でぐちゃぐちゃにしながら、セドルはへなへな座り込む。


「限界だ。わかってただろ。俺みたいなコミュ障陰キャに領主なんて無理だって。やってらんねぇ、俺は辞めさせてもらうぞ」


「どうでもいいけれど、コミュ障はコミュニケーション障害の略よね。なら“いんきゃ”ってどういう意味?」


「湿っぽくてじめじめした、陰の中でしか生きられないキャラクターの略だ」


「聞いても意味がわからないわね……」


「旅に出たい……。貴族の煩わしいあれこれから解放されて、人と関わらなくて済む悠々自適な放浪生活をしたい


「はあ……」


 ドーナは呆れたように息を吐くと、そろそろと立ち上がって戸棚へ向かう。

 魔道具でお湯を沸かし、その間にティーセットの準備をし始めた。


「砂糖もミルクも入れないのよね」


「おう」


 セドルは顔を拭うと窓際の休憩スペースに移りドーナを眺める。


 仕事をしながら食事を摂れた方が合理的とかで、ドーナの執務室には簡易キッチンが設置されていた。

 手慣れた様子で二人分の朝食と、紅茶を用意してくれる。

 セドルの方にはストレート、ドーナの前にはミルクティーが置かれた。

 向かいに座ったドーナは楚々とした所作でカップに口をつけ、冷静に指摘した。


「一応言っておくけれど、王国法では女性による当主継承は認められていないわ」


「知ってるっつの。そのせいでドーナじゃなくて俺が領主になったんだからな。でも俺は領主なんてやりたくない。貴族のしがらみなんて忘れて、自由気ままな旅に出たいんだよ」


「人見知りの一人旅は苦労すると思うけれど」


「コミュ障陰キャな」


「どっちでもいいわよ」


「そう、どっちでもいい。そのけったいな法律さえなければ、俺とドーナ、どっちが領主になっても構わない。だったら当然、向いてる方がやるべきだと思わないか?」


「またなにを……」


 ドーナは呆れた様子を見せたが、それからゆっくりと顎に指を当てて思案する。


「……まあ、合理的な見解ではあるかしら」


「だろ? 俺の向いてなさっぷりを見ろ。この一週間やったことなんて、剣振ったり顔合わせから逃げる言い訳考えてたくらいだぞ。逃げきれなかったけど。その間ドーナは書類仕事で地獄を見ていた」


「それがわかっているなら、少しは手伝ってほしかったわね」


 机の上の書類タワーを見てドーナが恨めしそうに言う。


「文句はないわ。そもそもアンドールは元からそういう地だもの。当主に求められるのはカリスマと武力。実際の領地経営は内政補佐官が執り行うわ」


 ケテル王国アンドール辺境伯領。

 国土防衛のため置かれた辺境伯領がこの土地の起源だ。

 急峻な山々が天然の要害として機能する国境沿い、その谷間を主な居住地としてきたアンドールの民は、幾度も隣国の侵略を受けてきた。


 戦いの傷が癒えぬうちに次の戦が起こる戦乱の土地。

 必然、兵たちは精強となり、比例するかのように武力や戦いを重んずる気風が土地に根付くことになる。

 そんな土地で領主に求められるのは、駆け引きを主体とした政治力ではなく、荒くれ者ばかりの兵を率いる強さであった。


 武力が偏重されれば、当然の流れとして内政業務が軽んじられる。

 とはいえ、内政を行わなければ領地が荒廃するのだから必要だ。

 結果として生まれたのが内政補佐官――多くの場合は当主になれない次男三男が就く役職だ。

 セドル達の父は武に秀でながらも自ら内政を執り行っていたが、元来アンドールの地はこうした分業制である。


 のだが。


「じゃあ余計に俺じゃだめだろ! 武力はともかく、カリスマ性なんか俺にはねぇ! 証明終了。あとは任せた俺は旅に出る!」


「サンドウィッチ、せっかく作ったのだけど食べないのかしら」


「食うが?」


 ティーセットに飾られていたサンドウィッチは、几帳面なドーナらしく宝石箱のような仕上がりだ。

 品もなにもなくもっしゃもっしゃと頬張り、「うめぇ」と感想を一言。


「そう」


 気のない返事をしながら、ドーナは白い髪の毛先をくるくるいじった。


 それからこほんと咳払いをし、話を戻す。


「私だって、武力はないわ。領主としては不適格でしょう」


 ミルクティーに口をつけ、ドーナはきっぱり否定する。


「それに、私は養子だもの」


 彼女は、本当はアンドールの血を引いていない。

 寂し気な瞳を、セドルは口をへの字に曲げて笑い飛ばす。


「関係ないね。ドーナの方が家臣と上手くやれてるしな」


「少しは自分も上手くやる努力をしてみたら?」


「あー、あー。聞こえなーい」


 小さな口で上品にサンドウィッチを食べつつ、ドーナは何事もなかったように話を戻した。


「それで結局、どちらが向いていたところで私が当主になることはできないのだけれど、今までの話の目的はなにかしら」


 ニヤリと、セドルは口角を上げた。


「女子相続禁止の法律さえどうにかできれば、俺の悩みは解決するって話だよ」


「法律を変えるつもり? うちにそんな伝手はないでしょう」


 アンドールは辺境の土地だ。

 辺境伯として国境防衛には篤い信頼を置かれているが、中央の政治とはどうしても距離がある。


「伝手どころかコミュ力もねぇな」


「それでどうするつもりかしら」


「手柄を立てる」


「?」


「手柄を立てれば褒賞がもらえるだろ。そこで進言すればいいって寸法だ」


 王国法そのものを変えることを望んでもいい。

 あるいは今回に限り、ドーナによる代替わりを認めてもらうのでも構わない。

 褒賞としてセドルが隠居し、ドーナが当主になる道筋を用意する。

 これがセドルの作戦だ。


「待ってろよ、俺の自由気ままな放浪生活!」


「どう考えても、合理性を欠いているとしか思えないのだけれど……」


「ドーナ、たとえ望みが薄くても行動しなければ結果を得ることはできない」


「……ああ、そう」


「それにだドーナ。ここはアンドール領だぜ」


 すなわち、隣国との国境である。

 古くから幾度となく小競り合いをくり返して来た紛争地帯だ。

 手柄を立てる機会なら、昼寝をしていたって転がり込んでくる。


 そのとき、慌てた様子の侍従が飛びこんできた。


「ああよかった。やはりお二方ともこちらにいらっしゃいましたか」


 セドルはにわかに緊張したが、なんとか表に出さずに見返した。

 侍従は息を整え、険しい顔で口を開く。

 放たれたのは朗報(?)だ。


「隣国、ビナー帝国の軍が越境、進軍しているとの報が入りました!」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る