コミュ障陰キャ剣聖〜超人見知り領主だけど 、家臣の戦闘狂どもに盲信されてて辞められない〜

伊多良天狗

1章『コミュ障陰キャ剣聖』

プロローグ「領主とか無理だが?」

 テーブルの上に、エッロいピンク色の液体が入った小瓶が置かれていた。


「こいつで弟をこさえてください!」


 二人しかいない部屋に重苦しい沈黙が落ちる。

 絨毯の上に土下座したセドルに、面を食らった様子の父の声が投げかけられた。


「これはなにかな」


「媚薬っす」


「どうしてだい?」


「俺、辺境伯領を継ぐことになっただろ」


「僕の病気が悪化しているからね。領主を続けることが出来ないから、少し早いけどセドルに代替わりすることにした。それが?」


「無理だ!」


 がばっと顔を上げ、セドルは唾を飛ばして力説する。


「俺がクソコミュ障でクソ陰キャだって親父は知ってんだろ! なにをどうしたら領地をまとめられると思うんだよ! 衰退断絶RTAでもやろうとしてんのか! トチ狂ったか親父!」


「大丈夫さ。家臣のみんなも協力してくれる」


「その家臣相手に緊張して話せねーんだっての!」


 小さい頃からそうだった。

 人と話すことだけでなく、人目につくことそのものが苦手だった。

 よく一人になれる場所を探して、日陰に身を置いていたものである。


 それでも、気さくに話しかけてくれる家臣のおかげで、ショタ時代は今より少しはコミュ力があったのだ。


 だが、時の流れは残酷だ。

 故あって長期間屋敷を離れている間に、なけなしのコミュ力すら失われてしまった。

 今でも覚えている。

 出迎えてくれた家臣に、ただいまと言おうとして出てきた声を。


 ――ぶぇあ。


 その場で腹をかっ捌いて死のうかと思った。

 死にたくないからやめたが。


「離れてる間も話してた家族相手ならまだしも、使用人とかはもうマジで初対面なんだよ。すれ違うメイドに『あ、ども……』って恐縮する領主いるか!? 心臓も自尊心も保たねーわ。胃に穴が開いてワンチャン親父より先にくたばるわ!」


「それでもアンドール家の男子はセドルしかいない。セドルが継ぐしか……ああ、だからこその媚薬なんだね」


 父は小瓶を取り上げて、エッロい液体をためつすがめつする。


 父の察した通りだ。

 男子がいないなら新しく作ってしまえばいい。

 で、そいつがセドルの代わりに辺境伯を継げば解決だ。


「……いろいろ言いたいことはあるけど、とりあえず今から作っても間に合わないよ」


「十五年くらい気合いで踏ん張ってくれ」


「母さんは他界していて、今の僕は独り身だ」


「今からテキトーな女ひっかけてくればいいだろ」


「新たに生まれてくる弟に全責任を押し付けることについては?」


「アンドールの男に生まれたからにはごちゃごちゃ言わずに責任果たせ」


「セドルは“剣の山”でブーメランの投げ方を修行してきたのかな?」


「ちゃんと剣の修行してきたが?」


 故あって、というのがこれだ。

 アンドール辺境伯領は尚武の地。

 その領主には極めて優れた武の力が求められる。


 したがって、アンドールの男子は一定の年齢に達すると、“剣の山”にて過酷な修行をすることになるのだ。

 ありていに言えば山籠もりである。


 山に籠って一生一人で剣を振り続けた結果がこのコミュ障なのだが、それはともかく。

 父は長く息を吐くと、小瓶をセドルに押し返そうとする。


 冗談じゃない。


 受け取る代わりに、セドルは非常にいい笑顔でサムズアップした。


「そういうわけだから親父。今からハッスルしてきてくれ。大丈夫だ。コトが終わるまで部屋の外は俺が張ってる。ネズミ一匹どころか竜がダースで来ても追い払ってみせる」


「追い払わなくていいよ」


「おいおい、見せた方が興奮するってか? さすがに親のそういうのはあんま触れたくないんだが」


「そうじゃなくて、ハッスルしないから」


 僕病気なんだよ、と父は神妙に口にした。


「今日は調子がいいけどね。床から起き上るのもつらい日がある。戦場は家臣に任せて書類仕事だけするのも考えた。それも難しそうだと判断したうえでの代替わりだ」


「親父……」


「セドルが乗り気じゃないのはわかる。心苦しさも感じているさ。頼もしくなったとはいえ、セドルはまだ十七歳。家を継ぐには少し早い。でも、今ならまだ、しばらくの間は僕も見守っていられる。これが最善なんだよ」


 わかってほしい。

 そう締めくくった父は酷くやつれて見えた。

 意識しようとしていなかった。

 だが、父が老いたのは事実なのだ。


 精悍だった顔も、頬がこけしわが増えた。

 反比例するように減ったのは筋肉だ。

 たった一振りで戦況を一変させる父の剣技は、きっともう見られないに違いない。


 重苦しい沈黙に、セドルはかぶりを振る。

 ぎゅっと拳を握り、それから再び床に頭を擦りつけた。


「だったら養子取ってください!」


 父が絶句した。


「弟こさえてもらうのはもう諦めるんで、どっかテキトーなとこからテキトーなガキ拾ってきてそいつを領主にしてくださいッ! なんなら俺が探してくるから。そこらへん歩いてるガキ小脇に抱えて持ってくるから、どうか俺が領主になるのだけは勘弁してください――!」


 空気が凍る。

 アンドールの地は寒いが、それすら可愛くなるほどキンッキンに冷えてやがる。

 それから父は、長く、本当に長く息を吐いた。


「息子がしばらく見ない間にドクズになってた……」


 感情を吐き出したにしては平坦な声音が不思議で、セドルは恐る恐る顔を上げる。


 目が笑ってなかった。


「ひいっ!?」


 これまずい。

 小さいときに何度も見た、ガチギレのときの眼光だ。

 眼力だけで竜を殺せるとか噂されてるやべー目だ。


「そんじゃ後でまた話に来まぁす!」


 と、セドルはダッシュで退室しようとする。

 その脇を何かが通り過ぎて行って、出口の扉に突き刺さった。

 抜き身の剣だ。


 さっきの空気ばりにカチコチになったセドルは、冷や汗をだらだら流しながら振り返る。

 筋肉が削げ落ちてなお、全盛期の片鱗を見せる父の姿がそこにあった。


「セドル」


「ぁい」


「頭が少し高いね」


「すんませんッしたぁ――!」


 高速で土下座しようともう遅い。

 にっこりと浮かべた父の笑顔が超怖い。


 それから数時間にわたって父の説教がくり広げられることになり。


 さらにそれから数日後、セドルは正式にアンドール家当主を継承した。

 逃げられなかった。

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