目覚め
きっちり三ヶ月間。
俺は昏睡状態にあったらしい。
寝ていた間、俺は中学生活の記憶を走馬灯のように振り返っていた。
暗くて息苦しい日々の記憶だ。
結葉に指図されるがまま、自分の殻に閉じこもるようになった。いつも下を向いて歩いていた。陰口を叩かれるもあった。嫌がらせを受けることもあった。でも全て、俺が醜いのがいけないのだと思い込んでいた。結果、存在意義を見失い自殺未遂に至ってしまった。
結葉に狂わされた日々を客観的に振り返ることができたおかげか、今は彼女の呪縛から解き放たれている。
結葉の言いなりになっていた俺とは、この三ヶ月で決別したのだ。
「なにかありましたら、ナースコールでお呼びください」
そう言って、お医者さんが病室を後にする。
ぼんやりと虚空を眺めていると、突然、病室の扉が開いた。
「和孝!」
彼女を見た瞬間、俺の身体が固まった。
藤宮結葉。俺の幼馴染で、俺を追い詰めた女──。
「よかった、あたし……和孝が死んじゃったらどうしようかって」
左手を掴まれる。
嫌悪感が全身を巡った。
やめろやめろ。
また俺を追い詰めにきたのかよ。
これからは自由に生きたい。もう縛り付けないでくれ。
俺に関わるな。関わるな。関わるな。
「和孝……?」
「あ、あの……どちら様ですか?」
口をついて出たのはそんな言葉だった。
俺は結葉から離れたくて、関係を断ち切りたくて、咄嗟に記憶喪失のふりをした。
しかし結葉は耳を疑うことを返してきた。
「あたしと和孝は、恋人同士なの」
意味がわからなかった。
唖然とする俺に、結葉は「学校抜け出してきたから戻らないと! また後で来るわね」と一方的に言って病室から出ていった。
それから少ししてから、母さんが病室に来た。
沢山泣かれて、安堵の息をこぼして、それで怒られた。
自殺未遂をしたのだから当たり前だ。
母さんを悲しませてしまった事実に、胸が張り裂けそうな思いだった。
あの時の俺は想像力が欠乏していた。
俺は必要のない存在なのだと。周囲を不快にさせるだけの価値のない人間だと思い込んでいた。
「……和孝が死ななくてよかった」
母さんは重たく搾り出すように言って俺を抱きしめる。
仕事抜け出してきちゃったから、と母さんが病室から出ていった後で、俺は視界を霞ませた。
もう二度と同じ過ちを繰り返してはいけない。
そのためにも結葉と距離を取らないといけない──。
16時を回った頃。
病室のドアがひとりでに開き、結葉が現れた。
「ごめん和孝。遅くなったわ」
結葉は少しムッとした様子でパイプ椅子に腰掛ける。
「今日に限って日直だったから日誌に時間食わされて最悪だった。早く和孝に会いたかったのに」
……俺はもう会いたくないけどな。
「ん? どうしたのよ。ボーッとあたしを見て」
「どちら様ですか?」
「は? あたしよ。え、まさかまた記憶失ってるわけ?」
「すみません。俺とどういう関係か教えてもらえますか?」
「あたしは和孝の幼馴染で、恋人よ」
「じゃあ午前中に来てくれた子と一緒だ」
「む。覚えてるじゃない。和孝のくせにあたしを騙すなんて生意気っ」
ぷっくらと頬に空気を溜める結葉。
彼女はこのまま俺とは恋人同士だと嘘を吐き続けるつもりみたいだ。
「まあいいわ。あたしと和孝がどういう仲なのか詳しく話したいの。ほら、記憶回復に役立つかもしれないし」
結葉はそう口火を切ると、俺との思い出を訥々と語り始めた。
年端もいかない頃の話。海に行った時の話。一緒に家出をした時の話。初めて喧嘩をした時の話。夏祭りに行った時の話。雪だるま作った時の話。一緒に旅行に行った時の話──と、飽きもせず話し続けた。
俺との思い出を話す結葉は楽しそうに破顔している。結葉に取って俺は足枷ではなかったのか?
「でね、和孝ったらお化け屋敷で腰抜かしちゃって──」
「あのさ、そろそろ俺と結葉が付き合い始めた時の話、教えてもらっていい?」
結葉が語った俺との思い出に嘘はなかった。
これ以上話を聞いていても時間の無駄だ。
「あ、えと……うん。いいわよ」
そうして彼女は語り始めた。
俺と付き合い始めたという真っ赤な嘘のエピソードを。
▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽
中学生になって半年が経った頃。
俺は幼馴染──藤宮結葉への恋心を自覚した。
しかし結葉は高嶺の花だった。上級生からも一目置かれる存在。
それでも俺はこの恋心を押さえ込むことができなかった。
──好きです、俺と付き合ってください!
結葉は首を横に振った。
俺のことは幼馴染としてしか見れないそうだ。
けど俺は諦めなかった。
何度も執念深く、結葉に気持ちを伝え続けた。
そして2年生に進級する時期に、結葉が根負けして俺を受け入れてくれた。
▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽
──というのが、結葉の作った物語のようだ。
プライドの高い結葉らしいが、あまりにお粗末な内容に呆れてしまう。
俺の性格上、一度断れたら二度は行わない。
何度も俺が結葉に告白するなんて非現実的だ。
「ま、まったく。和孝はあたしのことが好きすぎて困っちゃうわよね」
結葉は頬に赤いものを入れて、あさってを見る。
「へえ。俺ってしつこいやつなんだね」
「そ、そうなのよね。和孝はしつこいの。迷惑メールみたいにね!」
「初デートはどこに行ったの?」
「え、あーえっと……ショッピングだったかしら。駅前のデパートに行った覚えがあるわ」
「それで?」
「それでってなによ……」
「いやなんかエピソードとか。さっきまでは沢山、俺とのエピソード話してくれたじゃん」
俺が詰めると、結葉は茶色がかった瞳を左右に泳がした。
「え、えっとそうね。それは明日話すわ。ほら、今日も遅くなったし、じゃあね!」
結葉は荷物を手繰り寄せると、矢継ぎ早に言って病室を後にした。逃げたな。
わずかな可能性として、本当に俺に記憶障害が発生しているかと思ったが──やはり俺と結葉に交際していた事実はないみたいだ。
でも、結葉が嘘を吐いた理由はなんだろう?
例えば、そう──。
結葉が日常的に行っていた俺への抑圧行為は、歪んだ愛情表現だった。
そう考えるとしっくりくる。
俺は結葉に言いなりになった結果、周囲から孤立した。結葉にとってそれは望ましいことだったんじゃないか? 俺を独占できるから。
もしそうなのだとしたら、どんだけ身勝手なんだアイツは……。
グッと拳を握る。
「結葉が俺のカノジョ、か」
たとえ、どんな理由だったとしても。
「そんな資格があるわけないだろ」
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