彼女のプロローグ

 とんでもないことをしてしまった。

 それを理解したのは全てが終わった後だった。


 あたしには幼馴染がいる。香山和孝かやまかずたか

 彼とは家がお隣で、物心つく前から一緒に遊ぶ仲だった。


 五歳の頃かな。

 大人になったらお嫁さんにしてあげるって言われて、すごく嬉しくて、多分あの時からあたしは和孝が好きだった。


 中学に上がる少し前。

 女子グループの会話の中で、和孝がカッコイイって話になった。塩顔でシュッとしてて、たまに見せる笑顔が女心をくすぐるみたい。


 あたしは途端に怖くなった。誰かに和孝を取られるんじゃないか。そんな不安が波のように押し寄せた。

 あたしは和孝を誰にも奪われたくなかった。独占したかった。でも、和孝に告白する勇気はなかった。それに、告白は男の方からするものだと思ってた。


 だからあたしは考えた。和孝の魅力が他の子にバレないようにするには、どうしたらいいだろうって。


 でも、それが間違いだった。


 その結果、和孝を追い詰めてしまい──。


 ──ピッピッ


 心電図モニターから、一定のリズムでアラーム音が流れてくる。



「お願いだから起きてよ……和孝ッ」



 あたしは和孝の左手を祈るように握る。


 和孝は学校の屋上から飛び降りた。

 一命は取り留めている。でも、このまま植物状態で一生目覚めない可能性もある、というのがお医者さんの見解だった。


「ねえ和孝。和孝ッ」


 あたしは何度も呼びかける。


 もし、あたしが今、和孝の唇にキスをしたら目覚めてくれないだろうか。


 首を横に降る。

 あたしにその権利はない。和孝が目覚めたら、これまでのことを全部謝ろう。そして、あたしは和孝から離れる。これ以上、和孝を苦しめないために……。




 ★



 和孝が植物状態になってから三ヶ月が経ったある日。

 あたしの携帯に和孝のお母さんからメッセージが入った。和孝が目覚めたというものだった。


 日本史の授業などお構いなしであたしは教室を飛び出し、病室に向かった。


 和孝はベッドの上に座って、呆然と虚空を眺めていた。


「和孝!」


 あたしはボロボロと涙をながしながら、一心不乱に彼の元に向かう。


「よかった、あたし……和孝が死んじゃったらどうしようかって」


 和孝の左手に触れる。

 彼はギョッとした様子で左手を引っ込めた。


「和孝……?」

「あ、あの……どちら様ですか?」


 ??? 

 どちら、様‥……? 


 何を言っているの? 


「あたしよ、あたし! なに惚けてんのよ!」

「すみません、わからなくて……」


 わからない? 


 なによ、それってつまり──。


「記憶がないってこと……?」

「あるにはあるんですが、キミのことはわからないです。ご、ごめんなさい」

「う、ううん。謝らないで! 和孝のせいじゃないわ」

「俺とはどう言う関係なんですか?」


 ビクッ、とあたしの肩が上下に揺れた。


 あたしと和孝は幼馴染。けれど、それだけじゃない。


 歪んだ関係だった。あたしが歪ませた。


 そもそもあたしは何をしてるんだ。

 これまでのこと全部謝るんじゃなかった? 

 それで、和孝の前から立ち去るって決めたはずでしょ? 


 でも、あたしを覚えていない今の和孝に謝ったって、なんの謝罪にもならない。


「あたしと和孝は幼馴染よ」

「幼馴染……」


 和孝が復唱する。


「か、和孝はどのくらい記憶があるの? 親のこととか」

「両親はわかります。小学校の記憶まではあるんですが、それ以降はまるっきしで……」

「そうなんだ……。ん? でもそれなら、あたしのことなんでわからないのよ? 同じ小学校だし、それより前から一緒にいるわよ」

「す、すみません……」


 つい詰めるような言い方をしてしまい、和孝を萎縮させてしまう。


「ま、わからないものはしょうがないわよね。そうだ。自己紹介しないとね。あたし、藤宮結葉」

「藤宮さん、ですね」

「結葉でいいわよ。あとタメ口でいいから」

「わかりました。……わかった、結葉」


 和孝はポリポリと頬を掻き、控えめにあたしの名前を呼ぶ。


 あたしはキュンとしてしまった。

 こんなのいけないのに。でも、あたしはときめかずにいられない。


 やっぱり、あたしは和孝が好きだ。

 どうしようもなく。世界で一番。全てを投げ捨てていいくらいに。


 だからだろうか。湧き出てしまった。

 黒く濁った、私欲に塗れた感情が……。


 これは絶対に実行してはいけない。

 和孝を追い詰めた張本人であるあたしは、さっさと消えるべきなのだ。


 あたしに幸せになる権利なんてない。


 でも──。


「あ、あとね。幼馴染の他にもう一個あるの」


 ダメ。

 止まって、あたしの口! 


「もう一個?」


 この状況を利用するなんて最低だ。

 これ以上、罪を重ねてどうする……!


 止まって、止まってあたし!


 もう、和孝を苦しめちゃいけない!


 いけない、のに──。


「あたしと和孝はね、恋人同士なの」


 あたしはこの恋心を抑えずにはいられなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る