第58話「人の心は、やはりわからぬな」
***
目を開くとそこは水の中だった。
口を開けば泡がポコポコと音をたてて上昇していく。
この水に浸る感覚はなつかしいと白夜は遠い水面の揺らぎを眺めていた。
「白夜」
「……極夜?」
声に身体を起こしてみると、よく見知ってはいるものの久しい姿が白夜の前に立っていた。
極夜(きょくや)は間抜け顔の白夜を見てクスクスと口元に指をすべらせる。
「白夜は相変わらず俺のことを物珍しそうに見るなぁ」
「いや、相変わらず鉄仮面な顔だなと」
「そう? 笑ってるつもりなんだけど」
その言葉に白夜は大きくため息をつく。
「お前は真面目だからな。ゆえに曲がり方もクセが強い。葵斗も同じだ。すなお~に脱力して生きるようになって」
「そう願われたからそうなっただけだよ。そんなにギチギチに生きてたように見えたか?」
「……なんでもいいさ。ただ、お前は放っておけないよな」
白夜は水をかきわけて前へと進み、極夜の後頭部に手を回して抱き寄せる。
白夜にだけ聞こえる音に耳を傾け、決して離れないと抱きつきながらも背にまわされる手を受け入れた。
「どうせなら節度を持って生まれてもらいたかったね」
「大丈夫だよ。葉名を一人にした無責任をとても反省しているから」
「……なら良い。 今でもゾッとするのさ。選んだ先が悲しみに満ちていれば、どうしたって引きずられるものだから」
「愛と罪は紙一重、だね」
「……少し疲れた。このまま、眠ってもよいか?」
「ん、頑張ったね。おかえり、白夜。抱きしめててあげるから」
――あぁ、この匂い。いや、香りと呼ぶべきか。
(人の心は、やはりわからぬな)
泡の音は、眠るのには心地よい。
***
登校してそうそう、柚姫が出迎えてくれて葉緩は即座に抱きついた。
やはり格別に良い香りがして、肌はやわらかくて病みつきになると頬擦りをしていると後ろから葵斗に引っ張られ、離れてしまう。
ぶすっと頬を膨らませると、葵斗が人前にも関わらず葉緩の頭頂部にキスをしたので教室にいた生徒たちからチラチラと視線を感じる。
「どうした」と桐哉が歩み寄ってきたので、これは誤解を招かないようことをはっきりさせようと決めた。
またいいようにふりまわされると葉緩は先陣を切ることを選択し、葵斗の顎を押しのけて桐哉と柚姫を呼ぶ。
「以前お伝えした好きな人の件ですが! えっと、お付き合いをすることになりまして! その……相手は……」
だんだんと恥ずかしさがつのり、視線をさまよわせると期待に目を輝かせる葵斗が入り込む。
(うぅぅ……。この嬉しそうな顔に弱いのです……)
「葵斗くんです……」
ダメだ、降参しようと葉緩は肩をおとして告げる。
「わぁー! おめでとー! そうなったらいいなって思ってた!」
「うっ……。姫と桐哉くんにはあらためてちゃんとご報告したくて」
なんだこのむずがゆい感覚はと、葉緩は足をもじもじさせる。
自身の恋愛に関心がなかっただけに、いざ意識を向けると常に羞恥心に支配されそうだ。
こんなにこっぱずかしいものが恋愛だとすれば、桐哉と柚姫がなかなかくっつかないのも頷ける。
「そっか、おめでとう」
瞳をキラキラさせて自分事のように微笑む柚姫。
あまりの愛らしさに葉緩は射抜かれて、子犬のように尻尾を振りだした。
「良かったなぁ、葵斗。もうオレに八つ当たりするなよ?」
一歩離れたところで祝福側にまわる桐哉が葵斗の肩に腕をのせて、ニヤリと野次を飛ばす。
だが今までと変わらず、動揺ゼロな態度でにっこにこな葵斗に桐哉は目を丸くした。
「しないよ? 俺はすごーく幸せだから」
「葵斗さぁ、喧嘩売ってる?」
「別に? 今度こそ責任もって葉緩を大事にするし」
何のことだと首をかしげる桐哉に葵斗は一層キラッキラの笑みを浮かべた。
「なんだったら柚ちゃんにもお礼しないといけないから」
「はっ……はぁあっ!? おま、ふざ……!」
「葵斗くん何を言ってるのですか!?」
なんと桐哉に無礼なことをしているんだと葉緩はすかさず葵斗に殴りかかろうとする。
だが素早さはあれど、葉緩は非力な面がありあっさりと葵斗に捕まってすぽっと腕の中におさまってしまう。
ジタバタと暴れると耳元で葵斗が甘ったるい声でささやく。
「だって葉緩、柚ちゃん大好きでしょ? 葉緩にとってうれしいこと。女の子の友達が出来て喜んでるからお礼を言いたいだけだよ」
その言葉にポッと頬を染めたのは柚姫だった。
対して桐哉が指で首をトントン叩きながら「あー」と葉緩の行動を思い出す。
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