第46話「不真面目になりすぎです!」
「うーん、やっぱり匂いはわからないままですねぇ」
葉名として生きた記憶を取り戻したことで、番の匂いというものがわかるかと思った。
しかし嗅いでみても匂いはまったくわからない。
連理の枝を手折ってしまっているので、運命は繋がっていないのかもしれない。
「まぁどうでもいいです! 嬉しいのは蒼依くんがずっと私を想い続けてくれたということです!」
すっかり楽観的になった葉緩は悲観せず、葵斗が葉緩を抱きしめてくることに喜びを噛みしめる。
葵斗は間抜けた顔で、おそるおそる葉緩の頬に触れる。
「俺のこと、覚えてるの?」
「はい。ずいぶんとゆる~くなられましたね」
葵斗の手に手を重ね、擦り寄る。
するといつもは淡々とした葵斗が瞳を揺らして頬に雫を伝わせた。
案外、葉緩よりも繊細な人かもしれないと可愛らしく見え、くすりと笑った。
「私、蒼依くんを信じてたつもりで、どこか怖い気持ちはぬぐえなかった。たくさん悲しいことが起きて。でも主様と姫に救われました」
桐哉と柚姫に感じる忠誠心はかつて助けられたから。
二人の幸せを想い、未来永劫それを見守り続けたいという願いが縁を結び付けた。
「これ以上、失うことが嫌だったんです。ずっと葵斗くんは私に伝えてくれてたのに」
「いい。また会えた。それだけで幸せだ」
それは葵斗であり蒼依の言葉。
不確かで断言も出来ず、刻まれた記憶にほんろうされる。
葉緩を前にしても簡単には捕まえられない。
目の前にいる好きな子の顕現は幻想なのか、現実なのか。
不安定だった想いを支える愛情に触れ、かつての繊細さを取り戻した葵斗が葉緩を強く抱きしめた。
「一人で頑張らせてごめん。いっぱいいっぱいだったよな。それでも俺を見ようとしてくれてありがとう」
――溢れ出す。
心を震わせて泣くことはやめたはずだったのに。
きっとこれまでの道をがんばっていたと認めたくなかった。
それをすれば辛いことを辛いものだと刻まれてしまう。
一心不乱に主と姫を守る。
忠誠心に生きることが葉緩の誉だったために、そこに行きつくまでの過程は見て見ぬふりをした。
喉が焼け、嗚咽とともにボロボロ涙がこぼれだした。
「う、うあ……うあああああん!」
想像もしなかった泣きじゃくる自分に葉緩は戸惑い、余計に涙が止まらなくなっていた。
(そっか、私は泣きたかったんだ。 ずっと自分のために泣いてなかったから)
強くあろうとした。
そうして生きるのが葉緩の支えだった。
自分のために泣くことがなく、強さを手に入れても味わったはずの悲しみが欠落していた。
たしかに傷ついてきたことはたくさんあるのに、死ぬほど痛いと思ったことがない。
……それ以上はダメだと自己防衛し、最低限の感覚を残して痛みを遮断した。
この腕の中は、葉緩が甘えていい場所。
笑うことも、泣くことも、全部許されるあたたかい居場所だ。
「葉緩、好きだ。大好きだ。今度こそ、一緒に生きてくれる?」
強制的に時を止められない。
16の年を越えて未来の道に見て口角がゆるんでいった。
「はい! 私、葵斗くんが大好きです!」
何も後ろめる必要はない。
必要なのは、葵斗を求める心だけ。
この笑みは欠けていた悲しみを埋めてくれる甘い言葉だった。
「葉緩、かわいい。 ほんと、手を出さずにはいられないよね」
(んん?)
すっかりとろける想いに身をゆだねていたが、油断したところに襲いかかる葵斗の毒牙。
額や頬に触れたかと思うと葉緩の唇を塞ぎ、長い指先でスーッと背中を撫でていた。
「え、ちょっと!? んっ……! もう! 葵斗くん不真面目になりすぎです!」
「長年我慢してたんだからちょっとくらい解放感あっていいでしょ?」
なんとふざけた主張だ。
いやいやと首を横に振り、肩を押すが力勝負では勝てない。
だがもう以前と違い、忍びとして優秀のため素早さで勝負しようと葵斗の隙をさぐった。
突如仲良くいちゃつきだした二人に沙知は認識が追い付かず、胸を起伏させて口端から流れる血を拭う。
「……なんなのよ、なんで」
黒いリボンで高く結い上げていた髪がほどける。
灰色の瞳が動揺し、だんだんと熱く血走り鋭さを増す。
「そんなのおかしいじゃない。あなたたちが運命を狂わせたから忍びの里は滅んだ。戻った時、すでに里は滅んで……うっ!」
とたんに口から血が吐き出される。
人を呪う術は反動も大きいため、葉緩の精神を巻き戻した分だけ負担となっていた。
悲観的な葉名ではなく、未来を進むことを決めたために葉緩は精神攻撃の勝利した。
葉緩が勝利しても沙知へのダメージがなくなるわけではなかった。
ぜえぜえと呼吸を乱し、沙知にぐらつく頭を左手でおさえた。
沙知もまた、元の人格に縛られる一人のようだ。
葉名ともかかわりがあったはずだと、沙知の正体を確かめるために葵斗の肩を押して立ち上がる。
小走りで沙知に寄ると、帯の中から親指サイズの小瓶を取り出した。
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