第45話「花想い、蒼の心」
いつの間にか立っているのは水の上。
いくつもの波紋が広がり、葉緩はその一つの上に立っていた。
「葉緩」
「あなた、私の……」
そよ風のような声に振り向くと、穏やかに微笑む葉名がいた。
すぐにこれは葉緩の潜在意識だと気づいて駆けだして手を伸ばす。
指先が触れ合った瞬間波紋が広がり、葉緩の広げるものと交差する。
重なる姿に葉緩はもう葉名を思い出していた。
「私に番の匂いがわからないのは、あなたが折ったからだったんですね」
「うん。でも折ってよかったと思ってる」
ふわりと花開くように笑い、葉緩の手を両手で包み込む。
あまりに同じ温度で、触れていると感じさせないほどに馴染んだことに葉緩は目を見開いた。
「私は幸せだったから。蒼依くんに愛されて、本当に幸せだったの」
見た目も性格も違う。
だけど二人は同じ存在だと認識できる震えがあった。
「今、彼はあなたを求めてやってきた。彼がどんな匂いを感じているかはわからないけど、あなたを求めている」
物思いに沈んだ微笑みを浮かべ、まつ毛を伏せる。
「私は怯えてばかりだった。でも……あなたは違うでしょう?」
怯えてばかりで、なにごとも悲観的に考えがちだった葉名。
蒼依に手を引かれなければ伸ばす勇気もなかった。
悲しみに縛られた葉名が願ったのは”蒼依を笑顔に出来る楽しく明るい人になること”。
そして守られてばかりではない、共に戦うことの出来る強さだった。
「あなたはあなたで望む幸せを掴んで。葉緩の願いは、大切な人たちの幸せでしょう?」
「……そうですね。私はあなたの願いもあり、このような性格になりましたから」
葉名の手を握り返し、ニッと口角をあげる。
自信に満ち溢れた藤の瞳が葉名を見つめ返した。
「私は欲しいものには躊躇しません! 葵斗くんも、主様と姫もみんな、私の大好きな人たちです!」
自分の幸せも拒絶しない。
葉緩の願いは桐哉と柚姫が結ばれることだったが、二人もまた葉緩の幸せを願ってくれている。
それは桐人と柚だった頃から葉名を大切に思ってくれているからだ。
二人が望むのならば葉緩は自分の幸せにも手を伸ばす。
そして葉緩と共に幸せになることを望んでくれる葵斗がいるのだから、この胸の高鳴りに身をゆだねよう。
――今度は、葉緩が葵斗を幸せに……。
いや、共に幸せになる番である。
「みんなで幸せになれば何も怖くないよ。たくさん守ってもらったから。だから私は強いのです! みんなの想いが今の私なのです!」
葉緩の言葉を受け、葉名は涙を流し、笑った。
「もう大丈夫ね。愛する彼と私の子」
「生きてくれてありがとう! 私、絶対に幸せになります!」
大切な人の幸せを願い、行動する。
それが葉緩の生き方。
葉緩を大切に想ってくれる相手ならば、その幸せの中に葉緩の幸せもある。
これは一人だけの幸せではないから。
こうして生きているのは願いが重なって今、葉緩を形作っているのだから。
***
波の音が聞こえる。
押し寄せるあたたかい想い。
これはずっと愛おしいと思い続けた青の音だ。
「海の色……」
「――っ葉緩?」
目を開き、心が向かうままに言の葉を紡ぐ。
「花よ、舞え。我が想い、蒼き海の如し」
これは葉名が編み出し、葉緩が完成させた忍ばぬ心。
「花想蒼心(かそうそうしん)!!」
青い花が開いていき、中から藤の光が現れる。
あたりをやさしい光で包み込み、緩やかに心に溶け込んでいく。
葉が緩く青に輝き、生命が息吹いた。
「は……ゆる……」
目を見開く葵斗に顔を向け、葉緩は満面にはにかんだ。
「ただいまです! 葵斗くん!」
「葉緩! よかった、葉緩!」
「わっ!?」
葵斗は飛びつくように葉緩を抱きしめ、圧迫されそうな力加減につぶされそうになる。
だがそれだけ葵斗が求めてくれたと知り、ほっこりとした気持ちで抱きしめ返す。
葵斗の黒髪が頬をくすぐったので、思い付きで鼻をくんくんさせてみた。
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