第44話「やさしいキスをたくさんしてください」
***
風通しがよく、見事な日本庭園を一望できる部屋で葉名は赤子を抱いていた。
「かわいい、私の坊や」
「体調はいかがですか?」
部屋に入ってきたのは葉名を救った女性・柚であった。
おだやかで可憐で、実はたくましさもある柚は葉名の前に座り込み、赤子をのぞきこんでニッコリと笑いかける。
桐人と柚に出会わなければどうなっていただろう。
ただただ感謝の気持ちでいっぱいであった。
「奥方様には大変お世話になりました。おかげで無事にこの子を産むことも出来ました」
「ねぇ、葉名。本当にここを出るというの?」
その問いかけに葉名は苦笑する。
蒼依としか心を通わすことの出来なかった葉名は、人の頼り方がわからなかった。
「これ以上、迷惑をかけることは」
「迷惑など思っていないよ。むしろいてくれた方がありがたいのだが」
そこに現れたのは桐人であった。
柚のとなりに腰掛け、そっと柚の手を握る。
微笑みあう二人に葉名は暖かい気持ちを知った。
「葉名、お前は忍術の心得があるだろう」
「はい。ですが未熟ゆえに活躍は難しいかと」
「構わぬ。ただ子に心構えをといてほしいのだ」
驚きに顔をあげると、桐人が幸せそうな顔をして柚の腹を撫でる。
まだ膨らんではいないが、柚も桐人との子を宿していた。
「お柚も今は子を宿しておる。その子の相手をし、将来は護衛となってほしいのだ」
「そんな、そのような身に余る光栄で……」
「葉名、わたしからもお願いします」
柚が桐人と重ねる手と反対の手で葉名の膝に触れる。
慈愛に満ちた笑みに葉名は目を奪われ、胸がきゅっとときめいてしまう。
「葉名の子ならば安心出来ますから」
(私は、どうしたら良い? 裏切り者の抜け忍が別の地でまた忍びを育てると?)
「うーあー」
腕に抱いた子が声を出し、葉名を見ている。
いとおしい姿に葉名は蒼依の面影をみた。
(会いたいです、蒼依くん)
その思った瞬間、葉名の意識が白い光に包まれる。
目の前には番の木があり、その前にやさしい表情でこちらを見つめる蒼依がいた。
『これは……幻?』
『葉名』
(あぁ、聞き間違うはずもない。この声は、愛を囁いてくれる声だ)
『蒼依くん!』
駆けだす。
ただ真っ直ぐに、蒼依の胸の中に飛び込んでいく。
「元気な子を産んでくれたんだね。 ありがとう」
「蒼依くん、蒼依くんっ……! 会いたかったです、夢でもなんでもいいから会いたかった!」
「ごめん、守りきれなくて。一人にさせてしまった。ごめんな」
ずっと耐えてきた想いが涙となってあふれ出す。
葉名を想うやさしい心に涙せずにはいられなかった。
「いいえ。私は今、素晴らしい方々のもとでお世話になっております。おかげで蒼依くんとの子を産むことが出来ました」
「そうか」
葉名の涙を指で拭い、瞼に唇を落とす。
ふと、木を見上げて葉名の枝を見た。
「葉名の枝は、手折ったのだな」
「……もう、誰の運命も巻き込まないようにと」
その言葉に蒼依はそっと葉名を抱きしめる。
「来世で必ず……」
「え?」
「必ず会いに行く。匂いがわかってもわからなくても俺は葉名を見つけ出す。待ってくれるか?」
葉名は悟る。
匂いがわからなくても蒼依を求めてやまないのだろうと。
この甘さも苦さも入り混じったものが、二人を繋ぐものだ。
「はい。もし見つかった時は素直になりたいです。あなたの腕に飛び込める、そんな女の子に」
やさしくおだやかな気持ちに蒼依の両頬へ手を伸ばす。
蒼依が一番好きだと言ってくれた笑顔だ。
「次はもう少し楽観的な女の子になりたいな。あと強くなりたい。それでたくさん、あなたに愛されていたい。そんな私の夢物語」
「夢じゃない、叶えてみせるさ」
「蒼依くんは少し真面目すぎましたね。もう少し肩の力を抜いてもいいと思いますよ」
「そうだな。もっと葉名に手を伸ばす欲張りもいいかもしれない」
「愛してます。 誰よりも愛しています」
だから、次に会うことが叶ったならばどうか。
《やさしいキスをたくさんください》
***
次に目を開くと、桐人と柚が心配そうにこちらを見ていた。
葉名は腕に抱く子を抱きしめなおし、変化した視界にあたりを見渡す。
(今のは一体……)
「葉名、大丈夫ですか?」
柚の声掛けに、葉名はやさしさを体感する。
自然とあがっていく口角に葉名は自信を身に着けていた。
「はい、大丈夫です」
葉名にとって蒼依は心から愛した人。
そして桐人と柚は、心から尽くしたい人となっていた。
忠誠心をもった葉名は子を抱きしめながら二人に頭を垂れた。
「この葉名、生涯をかけお二方に忠誠を誓うとお約束致します。代々とお二方の魂に寄り添い、お守り致します」
「……許す。頼んだぞ、葉名」
「ぜひ話し相手にもなってくださいね、葉名」
「はい!」
これが四ツ井のはじまり。
そして魂の主として縁を結んだ二人との出会いであった。
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