第42話「あなたの一部を私に……」
「逃げろ、葉名」
「蒼依くん……! 待って、すぐに止血するから……!」
助けを呼べばなんとかなるかもしれない。
里を出ることより、蒼依の方がずっと大事だ。
蒼依がいなければ里を出る意味なんぞないのだから、葉名は切羽詰まってあたりを見渡す。
穂高と目があい、手を伸ばすも穂高は目を細めるだけで何も言わなかった。
「後から追う。だから先に、里を出ろ……」
「嫌です! すぐ止血します! だからどうか共に! ……っ共に」
頭がくらくらして、とまらない涙を拭う気すら起きない。
喉が痛くて、胸も痛くて、蒼依の身体を抱きしめるしか出来ない。
泣きじゃくる葉名の温もりに触れて、蒼依は短い呼吸を繰り返しながら笑っていた。
「知らなかったな……。これだけ血が出ても意外と平気なんだ。でも身体を動かすのは……」
その言葉のあとは続かない。
きっとその先は葉名を置いていく別れの言葉だ。
「やだ……やだよ、蒼依くん……」
「ごめん、葉名。全然、見えないんだ。葉名の顔が見たいのに」
「嫌です! 夫婦に、夫婦になると言ったではありませんか!」
フッと口角をやわらかくし、蒼依は弱々しく微笑む。
白い息が大気に溶け込んでいた。
「もっと早く動けばよかった。いつまでも番の木に期待したただの臆病者だった」
蒼依の言葉に葉名はボロボロになって首を横に振る。
「私が弱かったんです! 蒼依くんは里長の息子として責任を持っていただけです!」
「……お互い、固すぎたかもな」
葉名の手に触れる指先がどんどん滑っていく。
血に濡れる身体に葉名は身を寄せて、生ぬるい手の甲に唇を寄せた。
「枝は結びつかなかったけど、俺が愛したのは葉名だよ」
「私も……蒼依くんが……!」
――これほどの愛の言葉はない。
蒼依くんに呼ばれる名前が、一番の愛だった。
蒼依の手が葉名の手から滑り落ちる。
「……蒼依くん?」
呼吸の音が聞こえない。
胸が起伏しない。
「やだ、いやです……。お願い。私、がんばるから……」
握っていた手が握り返されない。
「もっと明るくなります。蒼依くんをたくさん笑顔に出来るように。強くなります。隣に堂々と立てるよう……だから」
――もう一度、名前を呼んで……。
「あ……ああぁ、ぁああああああっ!」
堕ちていく。
これほど己を呪ったことはない。
蒼依の言葉にすがらなければよかった。
もっと強ければ戦えたはずなのに。
無力を呪い、依存心にのまれた弱さが憎らしかった。
運命に逆らったから天罰が下ったのだ。
「あっちから血の匂いがするぞ! 皆でかかれ!」
容赦なく、蒼依を失った葉名を追いつめる声が届く。
蒼依を失い動こうとしない葉名を見て、穂高を鋭い目つきで葉名を蹴り飛ばす。
虚ろな目で顔をあげると、はじめて穂高が葉名を瞳に映しているのを見た。
「行って。お前のような裏切り者は里にはいらぬ。人の番を奪うまるで蛇のような女ね」
痛みに麻痺した心に首を傾げ、赤く染まった手を見下ろした。
日に焼けることを知らぬ白い手が赤く濡れて、まるで白蛇に縛られているようだった。
「お前のような低俗の女が里長の長子を惑わし、狂わせた」
蒼依に絡みついた手、心を縛った結果もう息はない。
「お前のせいで血脈に歪みが出た。その罪、死してなお許されるものではない」
(あぁ、そうか。これは蒼依くんに寄りかかりすぎたのだろう。……すべてをあなたに背負わせた蛇だった)
「行って! お前の顔など二度と見たくないわ!」
番を奪われた悲しみにのまれ、命を奪った手を引っ掻き激怒する。
穂高の悲痛な叫びに葉名は自分を不幸を招く女と悟り、息が上手く出来なかった。
蒼依のそばにいたくとも、ここにはいられない。
蒼依は死を望まないとわかっているからこそ、残酷な世界に一人で生きると決めた。
穂高に深々と頭を下げる。
穂高もまた運命を狂わされた一人であり、とてもではないが顔向けが出来なかった。
動かなくなった蒼依の頬を一撫でして口付ける。
雪に隠れた冷たいキスだった。
「葉名は行きます。あなたが守ってくれた命、無駄にはしません」
着物の合わせに隠す小刀を取り出し、刃を蒼依の毛先に当てる。
そして髪を切り、胸に抱いた。
「ひと房だけください。里を出たら私と蒼依くんは夫婦になるのです」
涙を流すと視界が揺れて、蒼依の顔をはっきりと見ることができない。
意地で涙をこらえ、大好きな輪郭から造血すべてを目に焼き付ける。
指をすべらせて、まだあたたかさの残る蒼依から離れて立ち上がる。
雪原をのぼって番の木の下まで歩いていくと、勢い任せに葉名の連理の枝を手折った。
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