第23話「それは盲愛です……」
「……そんなこと、父上も母上も話してくれたことはありません」
忍びには運命の相手の匂いがわかる。
それがすべての忍び共通してのことかはわからないが、少なくとも四ツ井家はそういう家系だ。
だが匂いがわかったところで、それが確実な幸せでないとも知っている。
葵斗が仮に忍びだとして、葉緩と縁のある香りの持ち主だとしても私の鼻は反応しない。
運命の人と言われたところで、実感が伴わなければ葉緩は選択できない。
たとえこの胸が高鳴っていたとしても、葉緩が決めることではない忍びの生き方だ。
藤の瞳がゆらゆら揺れて、まっすぐに葵斗の顔を見ることが出来なかった。
「私と葵斗くんは……そういう関係になる運命と言いたいのですか?」
その問いに葵斗はふわっと一等にまぶしく、マシュマロの甘さで微笑んだ。
「うん、そうだよ。 だから俺のこと、早く好きになって」
直球すぎる想いに許容範囲が越えてボンッと音をたてた。
今まで感じたことのないくむずがゆい気持ちに叫びたくなる。
とことん桐哉への忠誠心と、柚姫との幸せしか考えてこなかったので自身の恋愛事となると信じるべき道が見つからない。
どこか冷静な気持ちと、逃げ出したい気持ち、罪悪感から抜け出すことが出来なかった。
「どうして私は匂いがわからないのですか?」
忍びだけが感じる匂いとは何なのだろうか。
まるでたった一人の匂いがなければ何の価値もないように。
その匂いの相手でなくてはダメだと突き付けられている気分だ。
まるで葉緩の人生は番の香りありきのものにさえ思えてくる。
もし葵斗が葉緩から匂いを感じなければ、恋もしなかったと。
葉緩である必要性を感じない。
もし葵斗が惹かれる匂いがなければ、葵斗は葉緩を好きにならなかった?
そう思えば思うほど、陰る気持ちにうつむいてしまう。
喉の奥に物が詰まった感覚がして、苦しかった。
「……何か違う気がして」
「その違和感は……」
悲しそうに表情を歪め、目を閉じる。
かと思えば葵斗は真っ直ぐに葉緩へと手を伸ばし、立ち上がった。
手首を引っ張られ、体制が崩れてテーブルに腕をつく。
とっさに顔をあげると目の前には葵斗の顔があった。
「えっ?」
直接の感触に目を丸くすると、それは止まない雨となる。
執拗に葉緩の唇に葵斗が同じものを重ねようとしてくるので、拒もうと葉緩は葵斗の二の腕を掴む。
「ちょっ、ここカフェ……」
「大丈夫、見えない位置だから。気配、隠せばいいよ」
「そんな簡単にっ……!」
吸い付くように重なる唇に飲み込まれていく。
音をたてて求めてくる葵斗にくらくらして、視界がぼんやりとかすむ。
「んっ……は、ぁ……ん」
呼吸が上手くできない。
ふわふわして、ぐちゃぐちゃして、何も考えられない。
どうして葵斗にだけこんなドキドキするのか。
それも嗅ぐことの出来ない匂いのせいなのかと葛藤さえ飲み込まれていく。
葵斗が満足して唇をペロリと舐めて、抹茶ラテを口にする。
何も言葉が思い浮かばず、眉間にシワを寄せて視線を落とすとパフェが溶けていた。
あれほど楽しみにしていたパフェも食べる気が起きない。
膝の上で拳を握り、身を硬くしていると淡々と葵斗がパフェを注文しなおし、新しいものが届く。
溶けてしまったパフェを葵斗が食べ、新しいものを渋々口に運ぶ。
(甘いけど、少し苦い……)
どうにでもなれと思考を放棄し、パフェを食す手の動きが早くなった。
***
喫茶店を出た後、葵斗が送ろうと密着してくるので意地で突き飛ばし逃亡する。
一人になった家までの道のりをトボトボ歩いて小さな脳で考え込む。
(こんなに複雑な気持ち、はじめてでわかりません。私は葵斗くんのこと、どう想っているのでしょうか)
自分の恋なんて考えたこともなかった。
主に忠誠を誓い、子孫繫栄と姫と縁を結ぶこと、それが葉緩のすべてだった。
ようやく桐哉に出会えたときは心を躍らせた。
高校生になるとついに桐哉に運命の伴侶が現れ、ようやくお努めが果たせると有頂天になっていた。
だから葵斗に振り回されることで、自分事が生まれてしまい整理しきれない。
(正直、ずるいです。壁にキスをしたのははじめから気づいてのことだったなんて。反則です)
ふわふわしたり、ドキドキしたり、怖くなったり。
これではまるでジェットコースターに乗っているようで、落ち着くことのない気持ちに酔いそうだ。
愛屋及烏(あいおくきゅうう)、それは盲愛だ。
「私の心は何処に……」
落ち込んでいたが、切り替えは早い。
危険を察知して、大きく後ろに飛んで身構える。
砂利が足裏で擦れる音、風を斬る音、それらが止んだとき元居た場所の変化をとらえる。
コンクリートの地面に落ちる四つの鋭い刃を見て、葉緩は忍びの顔となり目を鋭くした。
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