第7話「ハジメテの香り」


唐突な桐哉からの質問に葉緩はギョッとして慌てふためく。


「私は父う……お父さんにあげようかなって」

「ふーん、そうなんだ? 欲しがるヤツ、いると思うけどなぁ」

「そ、それは困ります!」


桐哉のからかいに速攻で拒絶する。

あまりに全力に退けようとするものだから、桐哉がニヤッとイタズラに笑って頬杖をつく。


「なんで?」


(だってそれは目立つということだから! 誰かに意識されるようでは忍失格!)


「私は自分より他のことに夢中なので……」


ハッキリと言えずにだんだんと口ごもらせる。

桐哉の恋を成就させること、なんて思いもせずに桐哉はやれやれといった様子で息をついた。


「……そっか、まぁがんばれよ?」


頭をぽんぽんと撫でられ、瞬間葉緩の目がキラッキラに輝きだす。

マシュマロのようにとろける笑顔を浮かべ、ゴロゴロと喉を鳴らした。


(主様からのご褒美だぁ)


桐哉に応援してもらえること、褒められること、これが葉緩にとって一番の幸せだ。

間違ってもその喜びは恋ではない。

言うなれば葉緩は桐哉の忠犬のようなものだった。


(……姫?)


それをたまたま教室に入ってきた柚姫が目撃する。

桐哉は主、柚姫は守るべきお姫様。

くわえて同性ということもあり、葉緩は誰かといられる喜びを柚姫に見出していた。


「ひ……」


かわいくラッピングされたクッキーを持っていたが、二人の楽しそうな様子を見て柚姫は慌てて離れていく。

それに葉緩は首をかしげながら、桐哉と柚姫の距離感をはかり次の行動を瞬時に考える。


(私がいると渡すタイミングが難しいですよね)


結果、二人きりの時間が大事だと葉緩はお役目ごめんと一歩あとずさった。


「それではまたあとで、色々お聞かせください!」


嵐のように教室を飛び出していく。

奇怪な行動の多い葉緩に、見慣れたとはいえ桐哉は愉快な気持ちになって笑ってしまう。


「相変わらず足速いなぁ」


柚姫に気付いたのは葉緩のみ。

早くくっついてくれと祈る葉緩の足取りは軽快だ。


柚姫が見ていたことに気付いていながら、自分が障壁になっているとは思いもせずに鼻歌を歌っていた。


***


お日さまぽかぽかと能天気に廊下を歩く。

もうすぐ昼休みも終わるということもあり人気はない。


(そういえば秘薬って味にどれくらい影響があるのでしょう?)


いまさらの疑問を抱き、脳内で秘薬の分析をはじめる。

大半の忍びが持つ薬は無味無臭だが、秘薬は相手を誘惑するためにほんのり甘い匂いがする。


クッキーとは違うと柚姫に気づかれるリスクに、父親に渡す予定だったクッキーを慌てて取り出した。


中を開いて匂いを嗅いでみると、香ばしくも甘い匂いがした。


(味見程度なら問題ないか。よし、一枚だけ食べよう)


はむっと、秘薬入りのクッキーを頬張る。


「うん、美味しい。味も問題なくクッキーだ」


幼いころより毒耐性のある葉緩は気を緩めて何枚もクッキーを食べていく。


秘薬はまったく毒性のないものだが、まるで薬は薬と同じ扱いで考えるためにあやしい産物となる。


「姫はクッキーをいつ渡すのでしょうか? 無難に放課後かなぁ?」


もちろんそれをのぞき見するつもり満載のため、鼻息は荒くなった。


「まぁ、お守りしてるうちにその時がくるでしょう。教室戻って主様をしっかりと……ん?」


どこからか、とてつもなく魅惑的な匂いがする。

スンスンと鼻を鳴らしながら匂いにつられてふらっと歩き出す。


(なんだかいい匂いですねぇ)


扉を開くと、消毒液などのアルコールの匂いが上書きされる。

さきほどまで嗅覚を刺激した甘ったるさに葉緩はとろ~んと酔っていた。


「……ん?」


保健室にはベッドが二つ並んでおり、カーテンの閉まっている方を本能のままに開く。

ベッドに寝転がる葵斗を見て、ようやく酔いが覚めてハッと息をのんだ。


「望月くん!? な、何故!?」


勢いだけで葉緩はカーテンを握りしめ、裏側に逃げ込む。

葵斗は無臭に加えて気配もないため、葉緩には存在をさぐれない。


厳密にいうならばまわりの人たちにすべてが溶け込んでおり、葵斗と断定できるものがなかった。


忍びとして大敵だと葉緩はキョロキョロしてカーテンから手を離す。


「大変です、退散しなくては……」

「んっ……」


逃げようと一歩を踏み出す……前に葵斗が眉間にシワを寄せて喉を鳴らす。


(あわわわ、隠れなくては! と、とりあえず布団の中に!)


これは逃げている余裕はないと、とっさに空いた隣のベッドに飛び込んで布団を被る。


(緊急忍法! 寝込んで布団に丸まる生徒に擬態!)


実のところ、葉緩の使う忍術はわりとでたらめで、力づくなものだった。

布団を被ると視界が真っ暗となり、息をひそめてこの場をしのぐしかない。


早く危機よ去れと、葉緩は小さくなって目を固く閉じていた。


「この匂い……」


(およ? なんか上に乗ってきた?)


身を隠すベッドが軋む。

どうやら葵斗がベッドに乗ってきたようだ。

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