眠れぬ理由
先日、お医者様と話す中で、不眠が始まったと思われる日のことをポンと思い出した。
あれは六、七歳のころだったと思う。二十時ごろにやっていたバラエティを見終わって、お風呂に入ったら、母親と二人で床につく。父親は別室で寝ている。ある晩、泥々に酔って布団へ戻ろうとした父が誤まって母を踏んづけ、母の関節をおかしくしてから、父は母と一緒に寝る権利を失ってしまったのだ。寝る前には必ず母と本を読んだ。
今でも思い返すたびに不思議に思うのだが、私が寝付くために読んでもらう本は、英語で書かれた、物の名前を覚えるための本であった。曖昧だが、いろんな服を着たクマが並んでいて、横に彼らの服装(shirts,capなど)が書かれていたり、他には、肉や、花屋、魚屋など小さいお店の絵が商店街の俯瞰図のように並んでいて、またそれもお店の名前や商品が英語で書かれているというものだった。何故それが面白かったのかは分からないが、私はそれを熱心に眺めてから眠るのが常であった。英語を理解しているわけでもなかったし、今英語が話せるわけでもない。ただ当時の私は、何か物事が並んでいるのが好きだったのかもしれない。いろんな図鑑を好んでいたのも同じ理由であろう。
ある日、母親が寝息を立て始めた後、いくら秒針の音を聞いても眠れなかった。困った私は、ギュッと目を瞑り、それに飽きてはトイレへ行って、戻ってはまた目を瞑る。それを数回繰り返して、ふと窓を見ると月明かりがベランダを照らしていた。
その時、フッと頭の中に考えが浮かんだ。
無理に寝なくても、寝付くまでの間に明日やりたいことや今日見た図鑑のことを考えておけばいいのではないか、と。月だって夜に光る。私らが夜に活動することだって、おかしくは無いのでは無いか?今思えばなんとも子供らしい理屈であるが、その時は発明だとか、新たな発想だと自分を褒め称えたものだ。
それからはもう、退屈だった真夜中が楽しみで仕方のない、特別な時間に変わった。
最初は頭の中で歌っていて、じきに替え歌を作るようになった。夜中はCDを聴くことがでかなかったから、なるべく日中に歌詞をノートに写しておいて、覚えておく。全く違う物語にしたり、言い方を変えてみたり。下品な歌を作ったり、合いの手を考えたりもした。iPodを買って貰ってからは、よりその習慣が捗った。その頃にはラップにハマっていて、授業中にこっそり辞書を眺めては、夜中にラップのパートの言葉を変えて遊んだりした。習い事のおかげもあり、音楽にも、といっても音階のある楽器では無かったが、明るかった私は、聞けばなんとなくどうやって叩いているか理解できるほどになっていた。これも、習い事に行く前にわざわざ時間を取らずとも、次に練習することを決めることができたので、遊び盛りの私には都合がよかった。
それがさらに深刻化した出来事が、同じく創作を好む友人との出会いだった。その頃はまだ語彙力も話の書き方も知らなかったから、二人でオリジナルの登場人物を作って、ノートの上で会話させたりみんなで遊ばせたりした。一話書き終わったら、相手に回す。面白いと思ったところに感想を加えて、また新たに書き始める。私はこの過去を大事な宝物として大切にしまったが、友人にとっては葬りたい出来事かもしれない。それに、友人とは中学進学を機に一度も連絡を取っていない。私の思い出の中で笑い続ける友人でいいかなと思う。
彼女との物語り交換が終わった今でも、私は夜な夜な物語や歌詞、言葉が絶えず川のように流れる頭の作りを直せずにいる。
今は簡単に物語を、頭に溢れる言葉を、世界を吐き出せる場ができて良い。この時代にこの歳になって本当に良かったと思う。
友人も物語に溺れ眠れぬ日々を送っているだろうか。健康でいてもらいたいのはもちろんだが、ほんの少しだけ、私のように創作病にかかっていてくれ、という道連れを望む心もある。私の澱みきった心を、どうかお許しいただけますように。そして彼女もまた、言葉に溺れ眠れぬ夜を過ごし、夢の中でもう一同、物語の交換ができますように。
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