知己の池
子供の頃から大勢で遊ぶのは得意だったけれど、一人で遊ぶ方が好きだった。よくよく考えれば、奇妙なやつと思われていたに違いない。
最初と最後だけ、グループに入って遊ぶ。これが私の"うまくやる"ルールだ。昼休みになれば誰かが大声で皆を遊びに誘うから、私もやいやい言いながらついていく。最初の方は、ドッジボールなら積極的にボールを取り、キックベースなら早く蹴りたがるなどして、皆の記憶に残るよう努めた。そうして、ボールを取り損ねて外野に回ったり、ホームベースに戻ってきて自分の番が終わると、「虫見てくる!」などと言って勝手に抜ける。
私は校庭の奥にある、人工池が大好きであった。
私が入った年に塗り直されたらしく、自然とは似ても似付かぬパステルピンクに塗られた囲いの中に、ぎっしりと枯葉や水草が折り重なり、底は見えない。アメンボやメダカがたまに水面を揺らして、顔を近づければ陽に水草が透き通るのが見える。横に、前に、視線を移せば移すほど、新たな発見が広がる。それはもう面白くて仕方がなかった。まさに純粋な興奮であった。共感も、共有もいらない、私だけが楽しい世界。帰って図鑑を見るのも楽しかったし、母親に質問するのも心が躍った。生き物を知れば知るほど、さらに知りたくなるのだ。毎日が輝いていたことを覚えている。
母親も、面倒になったか、そろそろ何かを与えておかねばと思ったのか、動物と話せる先生のお話、個性豊かなネズミたちの冒険記などの動物が活躍する本を私に買い与えた。そこで私は、生き物がはるかに想像を超える存在であることを思い知る。
そうして一人ぐるぐると人工池の周りを回った後、休み時間があと五分ほどのところで先ほどのグループに戻るのであった。今どんな感じ?と聞いて、溶け込むように入っていく。運動が上手くも下手でもない私は、いなかったところでチームの勝敗を決める存在ではないので、いつだってすぐにチームに戻れた。
高学年に上り、塾やら勉強やらで時間が少しなくなると、私の知識欲は睡眠時間を食うことになった。晴れて中学に上がる頃には、日付を越える前には寝なくなっていた。
私は本を読む時間が減ったとしても、友人らと遊ぶ時間を無駄だと思ったことはない。一人で考えに耽っていると、たまに幾つかを見失う。友人と話すと、いつだって新しいことを学べる。
あの池は物言わぬ大きな水溜りであったが、私には初めての親友と言える存在だったのだと、今では懐かしく思う。私の偏屈や頑固さが肉体を突き破る前に、友人らとは楽しい時間を過ごしておきたい
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