童話「大樹とクマ」
言い訳と理由は似て非なるものだ。
そして、多くの人がその二つを聞いた時、理由に良い印象を、言い訳に悪い印象を抱くと思われる。類似したものが並ぶ時、我々は優劣や善悪で比べがちであるが、きっとこれについては昔の偉い学者様が論説しておられるであろう、後は彼らに任せることにする。
私は思う、言い訳は決して悪いものではないと。
言い訳は、言わば潤滑油のようなものである。日常会話の中で「私は〇〇をすることを良いと思うが、できない理由がある」と言った文は頻繁に使われる。車欲しいけど維持費が、投資を始めたいけど詳しくなくて、など。ほとんど全ての人がこの構文を使ったことがあるだろう。そしてこの文は、文字通り読み取れば、ただ私的状況の説明、我が身の思想に対しての現実を説明しているにすぎない。
しかしこの文は、対話を進めていくという点において、たんぽぽの綿毛のように広範囲かつ確かに、会話の種を蒔くことができる。自分がこの種を巻いたとして、ここから想定できる返事は二つ。共感か、解決か。共感とは、上記の車の話であれば維持費の高さ、購入への高いハードル、ひいては家計のやりくりの難しさなどに話を広げることができる。解決であれば、分割払いなら、〇〇のポイントと連帯すれば、などにあたる。
人々はこの共感と解決の可能性を併せ持つ種を会話の中に散りばめることで、自他共に次の言葉に詰まらないように対話を進めてきた。円滑なコミュニケーションは他人と暮らす上では欠かせない。言い訳は、我々が編み出した、繁栄のためのの種なのである。
こう考えてみると、言い訳は少なくとも、悪気があって始まったものでは無いと考えられる。これが怠惰の為に使われようとも、悪事のためであろうと、対話の際に用いられるならば、それはただの種まきに過ぎない。勉強をせずにゲームをしたい時にこさえた言い訳も、ゲームで成功して理想の暮らしを築きあげてしまえば、これは立派な確固たる意志として形を変える。つまり、自分と他人だろうが、自問自答であろうが、二つの立場からなされる対話であれば、言い訳は次の道筋を探る手がかりとなり得るのである。
ではなぜ、言い訳が悪いイメージを持たれるのか。
これについては、「大樹とクマ」という童話をご存知であればすでにお分かりだろう。
ある森に、樹液の出る大きな樹があった。その幹は硬い樹皮で覆われており、幹の中に甘い樹液の溜まった空洞ができるので、動物らがこぞってその蜜を吸いたがった。蜜を啜るには、一枚一枚、丁寧に重なり合ったひだを開くように樹皮を剥いて、蜜の入った壺のような部分を傷をつけることの無いように優しく扱わなければならなかった。ひだの折り重なった奥には、弁のようにぴっちりと閉じた硬い樹皮がもう一層あり、そこを撫でてあたためることにより、蜜への入り口が開くという、なんとも繊細な造りになっている。
ある時、どうしてもその蜜を味わいたくなったクマが、蜂やリス、狐など様々な動物に蜜の獲り方を尋ねた。しかし皆、クマの手の分厚いこと、爪の尖っているのを見て、木が喜んでいれば自然に蜜をくれるよ、などと適当にあしらっていた。すっかり信じきったクマは、その大樹に寄りかかり、幹の小さなコブをくりくりと撫でたり、枝分かれの曲線を爪の先でくすぐったりして、大樹の機嫌を取ろうと試みた。しかし相手は樹、返事などはしてくれない。痺れを切らしたクマは、その凶悪な腕でガッと樹皮をひん剥いて、無理矢理に太い指をひだに突き入れた。無理に押し込もうと腕を押したり引いたりしているうちに、なんと蜜がこぷこぷと垂れてきたではないか。クマは、大樹が喜んでいるんだ!丁寧に、だなんて必要なかった、これが樹の"喜び"なんだ!と歓喜に震えた。大樹は、これ以上太い腕が樹の繊維を裂かないようにと蜜を出し続けた。しかしクマの動きの方がはるかに激しく、樹は蜜の溜まった空洞ごと壊れ、すでに折れかかっていたが、クマはそんなことはつゆ知らず、蜜を分厚い舌で穿り舐めては口を付けて啜ったりしていた。
クマが満足した頃には、大樹はすっかり傾き、次の年にはとうとう自重で折れてしまった。動物たちはクマを責めたが、クマは首を振って、「だって喜んでいたんだ!証拠に蜜が出ていただろう!」との一点張りであった。
この童話の解釈は諸説あるが、私は「物事を良くしようと無理をこさえれば、より悪い事態への道を作ってしまう」という教訓の織り混ざった可愛らしいお話だと受け取っている。
言い訳の、会話をつなぐ役割や、自問自答における会話数を増やすこと——言い換えれば、自分の心のうちにある信念や所以を言語化する動きが、「無理をこさえた」ように見えてしまうのだろう。無理をこさえるかどうかは本人次第であり、言い訳という手順、手段には、何の悪もないことをここに記しておきたい。
まあ、この"可愛らしい"童話を記してみたかっただけだろう、と思われてもかまわない。言い訳なんぞはどうだっていい、この童話を知ったからには、蜜を味わうならば丁寧に繊細に、愛を持って接した方が良いということだけを覚えていてもらえれば、私のように失敗することもないだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます