タレルファ・カード愛好会


「ね、絵画棟の方にいかない?」

 サークル活動の最中、横にいた睫毛の長い美人が突然尋ねてきた。そのまま美人は首を鳴らしながら溜息を吐いて、つかれた、とさくらんぼみたいな唇から溢した。

 この美人は、マ、と呼ばれている。漢字で表せば"魔"であり、私もそう呼んでいるのだが、機嫌の悪い時にそう呼べば足を踏まれかねない。今日は、よしておいた方が良いだろう。

「いいよ、鞄は持ってく?」

「そうね。じゃ、先行ってる」

 マが立ち上がっただけで半分ほどの部員が——ほとんどが男だが——マが出ていくのを察し、彼らの視線がふわりと揺れる黒髪を追いかける。どうしたの、課題?先輩行っちゃうんですかあ、など行く手を阻むように次々と掛かる声も気にせず、マは重たそうなトートバッグを持ち上げ、また来週!と眩い笑顔で去っていった。マと二人で帰ったと思われると厄介事になりそうなので、十五分くらい適当に喋って時間を潰し、私も絵画棟へ向かった。



 絵画棟は構内でも一番奥の隅にある。キャンパスの中央、一階がガラス張りの新築棟から歩いて、ちょっとした森のようなエリアに入り、暗澹とした通路を通った先にやっとある。なんだかいるだけでも鬱屈とした人間になりそうな場所だ。私らの仲間が待ち合わせ場所を口にしない時は、大概喫煙のできるところにいる。なんとも時代に反した暗黙の了解たることか。入口のちょうど裏にある喫煙ブースで会えるか、と思い足を運べば、そこにはマだけでなく、ヤキバとオモテも一緒にいた。

「来た来た、さ、行こ」

 マに軽く手を振られ、返した。彼女は持ち手ギリギリまで短くなった煙草を吸い殻入れに落とす。綺麗に塗られたネイルが光をちらちらと反射し、心の奥の童心が、ついそれを追いかけた。

「待って……私も、一本だけいいかな」

 マは下唇をむんとあげて、だめ、と放り投げるように言った。

「ハンディファンがある、窓を開けてこれをつけながら吸えば部屋でも吸えるさ。行こう」

「仕方ないよな、俺が横で持っておくよ」

 私はヤキバとオモテの優しさに、そしてマの機嫌に揺られ渋々了承した。まあ、校門が閉まるまでそれ程時間も無い。出しかけたタバコを押し込んで後についた。


 私ら三人はマにどこへ向かうのかも聞かぬままついて行った。オモテとは学科が違ったが、ちょうど学科混合授業が始まったところであったので、互いの進捗や授業内容などを話し合う。

「お前ら二人はいいよな。出席確認が金曜だけってさ……あー、俺もそこ見とくんだったよ」

 ヤキバが眉を下げて言った。足元に転がる絵の具の蓋が蹴られ、跳ねて転がった。

「オモテは何とったの?インテリアデザイン系?」

「いや、素描とったよ。なんか久々に、やりたくてさ」

 うわ、もう俺やりたくないよ、とヤキバが大袈裟に驚いたところで、マがピタリと足を止めた。そのまま、黒と青の途中のような色のドアに向かって問いかける。

「アンジ?起きてる?」

 しばらくは返事がなかった。ヤキバが絵の具の蓋を蹴り遊ぶ音だけが長い廊下に響く。

「……また寝てるんじゃあないかな。私が行こう」

 アンジは過眠症なので、約束も無しに押しかける時は大抵寝ている。ドアノブを回して重たいドアを開けた。

「……アンジ?」

 本人の安否より先に、大きな大きな絵——それも色面を大胆に使って描かれた巨大な瞳が目に飛び込んできた。しかしその目はこちらを見ているようで、見ていない。なんとも不思議な作品だ。宇宙とは違う、しかしとてつもなく広大な、苦しいほどの重さを持った色が遠く遠く広がっている。

 その絵の真ん前に小さなダンボールを数枚重ねて敷き、その上につなぎを着たまま身体を丸めてアンジは眠っていた。手に筆が、反対の指にパレットが軽く引っかかっていることから、描いている途中で眠ったのだろう。彼がクーラーで腹を壊さないかが心配であった。

「……アンジ、おはよう」

 彼は意識が戻ってきたようで、呻きとも音とも取れない低い声を喉で潰して目を擦った。筆が落ち、手に残った絵の具が彼の眦を彩る。

「……今、何日?」

「まだ今日だよ」

「…………ああ、ありがとう……」

 何か言いたげな口元のまま、頭をくしゃりと掻いて彼は起き上がった。目が覚めたようなので、三人を中に呼び入れた。

「アンジ。遊びにきたんだけど」

 カツ、コツ、と低めのヒールで床に散った彼の習作を跳ねるように避けて、マは立ち上がらぬアンジと目を合わせるようしゃがんで自身の膝に頬杖をついた。スカートの裾が床の半乾きの習作を擦ったが、気に留めていないようなので黙っておく。

「…………へえ。うん……?」

「アンジ、お湯沸かす?」

 彼の目が一瞬、乱雑に置かれたケトルを探したので先回りしてみる。彼はお茶が大好きで、喋る時は何か飲みたがる。彼曰く、飲んでる間は喋らなくてもいいしな、とのことだったが、彼がこの面子の前で無口な性分を気にしている節は無かった。

「……君、ああ、いいさ、大丈夫。というか…………何しに来たんだ」

「あなたたちともっと仲良くなりたいと思って。手始めに、私の相談に乗ってもらえない?」

 急にマが立ち上がって、くるりと回って言った。私とアンジだけが集められた理由を知らないのかと思っていたが、ヤキバとオモテの表情を見るに、彼らも知らされてないようだ。

「私はね、少し疲れちゃったの」

 アンジが、マが来たか、と呟いたのも無視して話は続いた。

「自分が世間一般で言う、美人、に含まれる顔立ちであることは認めるの。ハーフだし。その上私は好きな人以外と喋るのが億劫だから、すぐ聞き手に回るフリをして考え事をする悪い癖がある。自身が招いたことだけど、あのサークルの人達にはもう疲れた……私はマスコットキャラ?後輩たちは性格も知らずに盲目に慕って。同期や先輩も"私と話している自分"を演出したいだけ。話の中身がまるでない癖にだらだらと話しかけてきて嫌になる」

「私らは、そうではないと思うのかい?」

「うん」

 単純で明快な返答であった。

 続いた話曰く、気の、話の合う人たちだけと喋りたくて、サークルの時はあなたたちの側にいてもいいかって聞いておこうと思った、ということだった。その後、そしてもう一つ、と彼女が重たそうなバッグから可愛らしい巾着に入った十数枚のカードを取り出し、

「タレルファ・カード愛好会を結成しない?メンバーはこの五人だけ。新規は原則認めない。何か面倒なことがあったら、この会を理由にみんなで逃げようかな、って!」

 私たち——アンジ以外の三人は、なにそれ、と言いながら巾着から出てくるカードを眺めていた。どうやらタロットカードのようなものらしく、シンボリックな絵が描かれている。曲線の感じからして彼女自身の描いたものだろうか。不思議に思いながら少し厚いカードを目に近づけた。

「…………マ、誰かを騙そうとしてるのか?それとも……ええと、頭が古代インドに戻ったか」

 アンジが訝しげにカードを一枚持ち上げる。

「…………あれだろ、タラ……タル……くそ、ええと、イタリア語で亀と象だろう。そして……カードのシンボル、きっとこのカードが重要なんだろうな、これに蛇を使った。これはあの……ほら、地球が四体の象と、大きな亀の上に乗ってる絵、あるだろう。あれのメタファーか?そうして……タロットとも、オラクルともカードのシンボルや意味になりそうなものが異なる。……こういうのが、他にあったらすまないが……自作、だと、思っている。ああ、いや、悪い、騙くらかすなんて言い方は………悪い」

 私らはゆっくりと萎んでいくアンジに注目して、彼が言い終わると同時にマの長い睫毛が楽しげに煌めき揺れるのを見つめた。

「ふふ!アンジなら分かると思ってた!そう、これは私の作った最強のカード。嫌なこと、面倒ごと、全て解決するカードになる……けど、まだ全て埋まりきってないの。だからみんなの案を借りたいなと思って!」

 いつも以上にキラキラした瞳を見開いて喋るマは、大層美しかった。嬉しそうに笑う美人ほど人を幸せにするものも無いな、と改めて思った。

「俺は面白そうだし、絵を描くのは好きだから参加しようかな。ヤキバもこういうの好きだろ?」

「……まあ、いつ"魔"に獲って食われるか分からないけど。やるよ」

 マは機嫌がいいのか、怒るでも機嫌を損ねるでもなく、ふふ、と綺麗に笑った。私も続いて口を開く。

「私ももちろん。けど、要になりそうなアンジが参加するかを……」

「…………ここまで来るんだったら、一緒にやろう、と思う」

 決まり!と飛び上がり、すでに絵の描かれたカードを浮かれて話すマのことを見ていたら、煙草のことなんてすっかり忘れていた。吸いたいな、と思ったと同時に用務員の方が来て、帰るよう告げられる。

 マは一人で、オモテとヤキバはサークルに戻り仲間と、そして私はアンジと一緒に帰ることにした。アンジは、厄介な奴だな、でもあいつの考えることは、惹かれる、まさに"魔"だよなあ、とため息のように言葉を落としながら歩いていた。

 

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