第一印象は、重厚な美人、といった感じだった。

 よく覚えている。初めて会ったのは大学二年生の夏、サークル活動後の飲み会だ。それも終盤、少し話すことに疲れていた私は、同じ学科の友人、ヤキバを一服に誘い出そうと探していた。ぐるりと見回しても姿が見えない事が分かった私は、すでに吸いに行っているかお手洗いだろう、と思い、周りに軽く断って喫煙所へと向かった。

 喫煙所はお店を出て右に2回曲がる、勝手口近くにある。近づくにつれてヤキバの声が聞こえ、一安心して歩みを進めた。角を曲がる直前、ヤキバ、と声をかけて身を乗り出し、大変驚いた。

 なにやら美女と二人で話していたではないか。これは邪魔をしたか、と反省しつつ、声を掛けてしまったものは仕方がないので簡単に手を振った。背をこちらにしていたヤキバは、パッと明るい表情で私を手招きし、短くなっていたタバコを灰皿へ押しやった。

 酒が回っていたのもあって、彼女が自身のことをなんて紹介したのかは覚えていない。長い長いまつ毛と大きな目、周りの灯を全て映した黒い瞳、そしてその全てが一体となって瞬きの度に揺れるのが、イトマキエイが優雅に泳ぐ様子を想い起こさせた。軽やかに紡がれる言葉には品と教養が織り交ぜられ、好きな作家の引用をよく使い、いかに芸術に触れてきたか——つまり、豊かさを感じさせる。煙草を吸う指先さえも良い育ちのお嬢様のよう、かと思えば舌を出して華奢な中指を立てたり汚いハンドサインを用いたり、子供のような一面もある。そう、彼女は幾重にも印象が折り重なる、重厚で、なにか底の見えない魔力のある人だった。彼女の印象は以上であり、今でも記憶から褪せない。

 彼女とは学科が違うのもあり、それ以降接点は無かった。お互いサークルに参加するのも稀であったし、あの日初めて互いを知ったくらいであったので、キャンパス内で見つけられるほどよく覚えてもいなかった。


 サークルへの意識が低かった私たちがよく話すようになったきっかけは、それから一ヶ月後、夏休みのことである。

 アプリで出会った可愛らしい人と適当に呑んで、会うのも三回目だしな、と思ってホテルに誘った。向こうもどこか緊張はあれど、いいよ、と軽く了承してくれた。相手の汗ばむ首筋にドキドキしたりしながら、ゴミの転がる狭い道を歩く。途中で水を買った際に、タバコを買わなかったことを後悔した。あと一本か、と後悔しつつも相手を思って、手を握りホテルを探しに出た。渋谷の少し入り組んだ所へ吸い込まれた私たちは、どこがいいんだろうね、などとお互い意味のない会話をしながら歩いていた。

 歩く途中、前から来るカップルを邪魔しないようにと少し左に寄ったところで、ふと男の肩に軽くもたれながら左を歩いている女性が、先月の美人だと気がついた。干渉するのもな、と思い、ぶつからないよう左に寄りながら歩いていると、例の美人が男の前をくるりと踊るように回って、男の右側へと移った。美人は相当酔っ払っているようで、こちらに一瞥もくれなかった。

 なるべく避けたつもりだったが、すれ違う瞬間、軽く肩がぶつかった。軽く謝ったものの、美人は一瞬こちらを見ただけで何も言わなかった。私は新品の煙草を開け、ごめん、吸って良い?と手を繋ぐ彼女に断って火をつけた。いつものように吸ったが、少し咽せた。

 選んだホテルはシンプルな外装に油断してしまい、中は小っ恥ずかしい程煌びやかで、部屋も風呂の壁が透明なものしか残っていなかった。相手と苦笑いして、お互いシャワーは目を瞑っておこうか、と安い約束を交わして部屋へ向かった。



 甘く汗をかいて、行きに買った飲み物も足りず、私はコンビニへ買いに行ってくると告げ一旦外に出た。最寄りのコンビニはタバコが置いてなかったので、もう少し先まで行った。

「さっきはどうも」

 コンビニの灰皿で、先月の美人が立っていた。

「どうも……いや、悪かった」

「いいの。あなたに会いたくなったし」

 彼女は買いたての煙草を細い指先でピリピリと開封し、一本取り出し火をつけた。彼女の物と同じ物をポケットから取り出し、火をつけて、

「気を悪くしていないなら良かったけれど……手荒な真似を、してしまったから」

 と一旦謝罪だけ述べた。

「ほんと。人の煙草盗んでおいてメッセージの一つも寄越さないなんて、ね」

 私は先ほど彼女の手から抜いた煙草の箱を見つめながら黙るしかなかった。

「どこで落ち合うのか推理したせいで、せっかくのお楽しみに集中できなかったし」

 彼女の吐く息は、私のものよりずうっと優しく立ち昇る。

「アンタの方が残り一本だったから、こっちに来たんだけど……まあ、会えてよかった」

 彼女はきっと私が自分の好きな煙草を買い直しにくると予想したのだろう。

「君の吸うやつは重すぎる。こんなの吸ってるの、煙草依存のお爺さんしかいないだろう」

「安くて吸いごたえがあるからいいの。煙草依存だし」

「君がいいなら良いんだけどね。そうだ、このあと、どこかで話でもどうかな?」

 なんのために出て来たと思ってんの、と言いながら彼女は短くなった煙草を吸いながら歩き出した。こんな夜中だし、いいか、と思って私も捨てずについて行った。

「アンタ、連れの子は良かったの?捨てて来たんじゃあないでしょ?」

「いいさ。適当に連絡したし。来週穴埋めに服でも買うさ」

 そ、ならいいや、と彼女はクラゲのようにスカートをはためかせ、小さくも清潔そうなホテルへ入って行った。彼女は慣れた手つきで部屋を選んで進み、部屋に入るや否や、するべき事はなにもせず大きな真白いベッドで二人横たわった。

「君、ヤキバやアンジから"マ"って呼ばれてない?」

 少し顔を傾ければ、彼女は彫刻のように整った顔のまま目を閉じて答えた。

「そうね。一文字って不思議だし、それに皮肉っぽい意味だろうから癪ではあるけれど……まあ、あいつらのことは嫌いじゃ無いし、いいの」

 彼らは一時期、この美人に惑わされる者を見るたびに、でたよ、あいつの"魔"がでてきた、と言って揶揄っていた。それ以来、全て縮めて彼女は"マ"と呼ばれている。彼女は気に入らないようだが、よく話す私らのあだ名は全て不名誉なものなので、なんとも言い難い。

「私も呼んで良いかな、マ、のこと」

 彼女は急に私の不格好な鼻を摘んでケラケラ笑い、

「呼びたいように呼んでもいいけどね?」

と細くしなる指をそのまま頬に伝わせ、楽しそうに私を揶揄っていた。

「……それは遠慮するよ、君だって私のことを名前で呼ばないだろう?」

「ふふ。……名前なんて適当でいいのよ。それに、あだ名で呼んだら怒るくせして」

 そうだね、私は自分のあだ名に納得していないし、と溢すように呟いて瞳を閉じた。

 同じ空間、同じベッド、同じ掛布団で眠ったが、いくら互いが寝返ろうと、二人の間には絶対に指一本分の隙間があった。




 

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