怒りの仕訳


 昼過ぎ、私は憤怒していた。

 しかし私は、怒ること、そして怒りそのものが大嫌いなのである。それが腹の内に燻っている感覚だけで、二日酔いの朝のように眩暈がして吐き戻したくなる。惨めな気持ちになる。愚かで、情けない人間だと誰かに責め立てられているような気にさえなる。明確な理由は分からない。おそらく自己嫌悪だとか、自己肯定感が乏しいだとか、青臭い病が長引いているのだろうが、この怒りに対する不快感の起点については未だ分からぬままだ。私は苦悶の末、"怒り"単体と真摯に向き合うことでこの吐き気を抑えることにした。


 最初に、終着点は"怒りとされていた感情を正しく処理すること"とする。何故怒っていたのかを判明させ、少し無理矢理でも、他の感情に言い換えることで怒りを失くそうという試みだ。落胆や焦燥感などに振り分けられ、ひとまず対処法を自分に与えることができるだろう。それでは怒りと向き合っていく。

 まず、怒るに至った出来事を並べる。例えば部下のミスで慎重に進めていた契約が白紙に戻ったとする。並べるなら、私が仕事を慎重に進めていた・部下がミスをした・契約が白紙に戻った・自身の評価に影響がでる、となるだろう。細かい点を各自補充しても良いが、前提・出来事・結果・影響の四つがあるくらいがいいのかと思う。瑣末なことを蒸し返していくと、起点が不明瞭になる可能性があるからだ。

 次に、何が心を怒りたらしめる引き金になったのかを考える。上記の場合だと、「白紙に戻った」「評価に影響がでる」のどちらか、もしくは両方になるだろう。ここは、何故ムカついたか、などとフランクに捉えていただいて構わない。見つけることができるのならば、できるだけ多い方が良い。ここで格好をつけて怒りを隠しても、後ほど耐えきれなくなってまた噴き出すだけだ。ちょうど地震のメカニズムと同じである。

 そして、感情を"怒り"以外に整理していく。自分が頑張って取り組んだことが台無しになって悔しい、残念だ。時間を無駄にしたという喪失感がある。私が原因ではないのに評価が下がるなんて、理不尽だ。あいつだけを責めるべきだろう。評価するべき人間の間違いではないか?など(君がもし"監督責任"とやらを感じているなら、そもそも怒ってはいないだろう)。いくら言ってもいいが、"怒り"に落ち着かないよう気をつけていただきたい。

 そうして最後に、"整理"と"処理"をする。整理、とは、先ほど振り分けられた感情ごとにすべき行動を導き出し、一つ一つ整えていくことだ。悔しさはどこかで取り返さねばならぬ、残念だと思ったのなら仕方がない、できるだけ多くの燃え滓を集め、自分を慰めるしかない。理不尽には仲間を連れ、(一人ならば一人だっていい)反旗を翻すべきだろうし、間違いは訂正すべきだ。こうしていくと、感情なんてものは一時のもので、直後の行動が結果を支配するのだと理解していくことができる。

 もう一つ残った"処理"とは、怒りを処理することである。上記の仕訳を終えたとて、怒りが残る時は残るのである。残ってしまっては不快であるし、とにかく消化したい。そうして私は、この残った怒りには迅速に対応することにした。自身の手が動くこと、脚を踏み出すことを肯定する。これまでの処理から分かっていることは、瞬発的な処理はただ怒りを快楽で塗りつぶすにすぎないということである。長期的な方が、ゆっくりと火が消えていくのを感じる。線香花火が落ちるあの瞬間のように、全てが一コマ一コマ、カチ、カチ、と終焉に向かっていく。処理を完遂しても良いが、途中で消えるのも美しい。消える瞬間はいつだって感傷を、また歳を取ったことを感じさせる。

 あまり不快なものを引っ付けていては、身動きが取りづらくなる。余計なものは取り除いてしまった方がいいだろう。これは、あくまでも感情の話である。それ以上でも以下でも無い。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る