柔らかな語句らが芽吹き新時代


 語彙を多く持つわけでもない、言葉に詳しいわけでもないが、略称や誤用を見かけると、少しワクワクする。言語の変化、すなわち時代の流れを感じるような気がするのである。


 五年に一度くらい、万葉集や古今和歌集などの和歌を読みたくなる。既に中学の古典分野すら怪しく、現代語訳を並べないと読めなくなったが、それでもなお古き感性やかつての風景をぼんやりと空想し思い描くのはいつだって心地が良い。きっと私らが想像することには、無意識に文明や科学の進歩を含ませてしまっているだろう。思い描いた風景から、それらを一つ一つ答え合わせをするように弾いていく。(答えなんてついぞ分からぬものだったが)ああ、衣服はこうじゃあないか、なんでそんなに鋭利な鍬なんか持っているんだ、など。ぼーっとしてる時なんかは、田畑で男がコンバインに乗っていたりするから自分でも笑ってしまう。


 現代。感嘆は文字ではなく記号で表されているのを六歌仙が知ったら嘆くだろうか、驚くだろうか。言語に関して知らぬ私は、言語に進化も退化もない、人間と脚を結んで二人三脚で歩いてきたと夢を描く。きっといつだって、手を繋いだ私らを映すように音を変え形を変えていくのだ。共に踊るように、息を合わせて。

 ああ、生きる時間は短い。言語を使わないなんて勿体無い。頭の中だけでいいのだ、1秒の沈黙も無い、思考の賜物、数珠のように連なった言語を手に取り眺めてみないか。きっと語句が脳内を滑り互いを弾く音が心地よい。時を経て、端折り、短縮され、違うルーツを取り入れて伸びやかに形を変えていく。魅力的だ。深く根を張る大樹の先に、まだ青い新芽を見つけた気分だ。可愛らしいだろう、ワクワクするだろう。今日は何を見つけることができるだろうか。

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