甘美なる瞬き
すまない、待たせたね。少し電車が遅れていたようで。駅は迷路みたいに広い、おまけに工事やら改修やらで数ヶ月ごとに形が変わるだろう?まるでメイズ・ランナーだな。その上、湘南新宿ラインで人身事故が——いや、こんな話はいいんだ。早く例の話をしよう。
「甘美なる瞬き」、君はこれについてしばらく研究していると聞いた。いやあ、嬉しいものだな。若い子らがこう、化石のように掘り起こしてくれるとは思わなんだ。
それは、目を閉じている——と言っても仮眠や瞑想じゃない、瞬きの合間にだけ起こる。したがって、視覚以外の五感、ハハ、変な言葉だ、「四感」のみを用いて享受できる幸福である。そこまではいいかね?まあ、流れ星のちょうど逆だと思ってもらって構わない。その幸福は、いや、幸福なんて言葉じゃ足りないんだが……大きな声で言えることじゃあないが、オーガズムや、トリップに近い感覚である、と体験者は皆述べている。そしてその瞬間、自分に必要なことが全て頭の中に浮かび、電子回路のように次々と接続され、まるでパァっと道が開いたようになるという。そうして財を成した人もいる、ほら、いくつか本が出ていただろう。まあ、つまり全ては、甘美なる瞬き、と言う言葉に収束される。
それが起こる確率は天文学的な数字になるが故に、人生のうち必ず起こるといったもんでもない。あ、君、目薬が落ちたぞ。そう……ええと、なんだっけか……ああ、そう、だから人類皆その時を逃す訳にはいかない、というわけだ。
……ほう、いいからこの呪いを解いてくれと言いたいんだな、君は。大変申し訳ないが、君のように若い患者は治せないんだ。なんせ信仰が早い。そうして弱さゆえに蝕まれやすい。そう、こんな石頭のコウマンチキが作った冗談を易々信じて心の中で縋り奉ってしまうのだから。信仰、ね。
そうか……もう君は、目を瞑るすべての瞬間に期待と絶望を感じてしまうのだね。ドライアイにも……ああ、悲しいな……ふふ、いやあ、すまない。君はこの瞬間が来る方法をネットで調べ、大学の三年間を棒に振った、と……え?なあに、そんなこと言わないでおくれ。君にはあと一年あるだろう、就活くらいなんでもないさ。接待の練習とでも思ってやれば……お、おい、分かった分かった。すまない、嘘をついていた。甘美なる瞬きは、今にきっと君にくるさ。君には予兆がある。詳しくは——長くなりそうだ、この本を読んでほしい。たった一万二千だ。うん、一万と、一、二。ありがとう。君の早い回復……ああいや、早く「甘美なる瞬き」がやってくることを願ってるよ。それでは、少し私は急いでいて。お会計は済んでるから——え、いつの間に、と?……ふふ、道は開けたかい?じゃあね、田中先生にもよろしく頼むよ、あと、伊藤くんや、斉藤くんにも。じゃあ。
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