禁断も芯だけ食うては意味がない

 食べ物、とは取り込まれ、空腹を満たして初めて「食べ物」になるだろう。そして出たものが「堆肥」になるか「その他」になるかも然り。全てのものは大体、きっとそうなのだ。今私が片手に持つものが本であるか、紙束であるか、のように。

 名前、名付けに関しては人々はさまざまな言葉を残した。検索バーに入力すれば数秒もしないうちに数多の名言が画面を埋め尽くす。しかし皆思うことは同じなのだろう、つまりは、「名前」なんてものは識別のための音に過ぎない。その音を言葉と呼んだり名前と呼んだりするわけだ。

 私は「意味」という言葉が好きであり、誰がどの立場で何を、どうやって「意味」たり得るものにしていくのか、隙あらば観察してしまう。


 友人らが「殺人が禁止される意味ってあるのかな」と話していたので、「馬鹿か。せっかく増えたヒト科が減るんだぞ」と答えたが鼻で笑われてしまった。ハムスターのように一度にたくさん種を残せたらいいが、こちとら交尾にも一苦労だ。わざわざ高いディナーを払ったり、豪勢な個室を借りたりする。ま、草むらでするのも乙なもんだろうが。とかくこんな苦労をかけて増えた一匹が減るのは種の存続を考えると……。


 昔、実業家のせがれと気に入ったアートの話をしていて、私はいつもの癖で懐古主義を奥に押しやらぬまま話し出してしまった。ドガやカラバッジョなどの話を、彼らの作品に想いを馳せ、星の瞬く空でも見るかのように話したような気がする。(それについては、少し自重すべきであった)

「そんな古くさいの見て、意味ある?今は——」

 そのせがれは私の言葉をこうして遮り、右手元に伏せられたリンゴマークの素晴らしい板の話を初めた。彼曰く、最も美しい、と。


 私は一瞬、彼の喉奥にその板切れを突き刺してやろうかと思ったが、彼が手元のフライドチキンに巻かれた紙ナプキンが口に入ってしまったのを見て思いとどまった。

 ああ、そうだな、彼にとってはこの紙ナプキンも「食べ物」だろう。あまり気にすることはない。

「おいおい、食べ物だけをきちんと口に入れるんだろう、違うか?」

 せがれは口からペッと紙を出し、口に入ってきやがった、と笑った。私らは互いに笑い合った。

 せがれとは二度と会わなかった。

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