第2話「天職」

 ここは夢の中だろうか。辺り一面が影で覆われる中、一筋の光の中に誰かが立っている。見覚えのある後ろ姿――。


「――アリア・ベル・プラチナム!!」


 無我夢中で光へ走り出すレイン。あと少しで触れられる距離まで近づくと、唐突に視えない壁に阻まれる。触れた箇所だけ発光し侵入を阻む壁――。


「くそ……!!! アリアァ!!!」


 それでも尚叫び続ける。続けているとようやく人影は振り返り、あの日と同じ毒を吐く。


――『あなたじゃ私に届かない』


「な……!」


 それだけ言うと彼女は背を向け、遠くへと歩き去って行く。右耳に揺れる姉のピアスを睨みながら、レインは追おうとするもやはり光の壁に阻まれて叶わない。まるでその先が不可侵のかの如く――。


「待て!!! アリア……アリアァァ!!!!!」



***



「――ハァ……!!! ハァ、ハァ……!! スゥー……――」


 何回も見た夢。いつもそこに居て、いつも届かない。何度も同じ結末を辿っているというのに、今日は一段と濃くうなされる。


「ハァ、ハァ……――ここは……?」


 地面は冷たい石レンガ。手首足首には枷が付けられ、鎖で背後の壁と繋がっているようだ。服は穴だらけ、ズボンに至ってはブラウンだった筈がまるで多量の体液が染み込んだかの如く赤黒に染め上げられていた。服に空いた穴から覗かせる胴体や二の腕を見ると血が至る所に見受けられるが、不思議と自分の体には傷の一つすら付いている感覚が無い。


「……どーなってんだこりゃ」


 どれだけ思い返してみても、王都へ行く途中突如横転する列車――その車中の光景で記憶は途切れている。


「お目覚めかの?」


「――?!」


 老父の声の位置を辿り、視線で正面20歩ほど離れたところにある階段を伝いその先を見上げる。下ばかり見ていて気が付かなかったが、そこには人影が5つ立っていた。この仄暗く果てしない空間の中で、長方体の形に沈んだ広い窪みの中にレインは縛られているようだ。


「だ、誰だ……?!」


「ワシはロズ王国 “ 国王 ” 、ミルドレア・バルハライト」


「国王……?! 一体何のつもりで――」


「口を慎まんかァ!」


「うおっ?! ご、ごめんなさい?!」


 国王の隣に立つ男が突如声を荒げたが為に、思わず謝ってしまった。ミルドレア王は男をなだめ、レインへ向き直る。


「いいんじゃディヴァン、彼は混乱しておる……すまないの、こちらは国務大臣のディヴァン・チョッツォ」


「一体俺が何したってんだ……?」


 なだめられたディヴァン大臣が再び大声でレインに告げる。


「貴様には相次ぐ “ 列車襲撃事件 ” 、その主犯としての容疑がかけられている!! これはその為の “ 王直おうちょく審判 ” !!」


  “ 王直審判 ” ――読んで字の如く国王直々に裁きを下すこの審判は、懲役にして軽く100年は超すような歴史的大罪人にのみに設けられるものだ。


「――は……? いやいや、容疑って一体なんの事――」


「とぼけても無駄だ、この “ 悪術使おじゅつし ” がァ!!!」


「 “ 悪術使 ” ……?」


「そう熱くなるでないディヴァン。すまない、順を追って説明しよう」


「陛下、もしよろしければ私からお話し致しましょう」


 自ら役目を買って出たのは糸目の風格ある男性。


「初めまして、私はロズ王国騎士団 “ 団長 ” ドロス・リーデルだ。さて簡潔に概要を説明しよう。」


 そう話しながらレインの元へ歩き出すドロス。階段を降りながらゆっくりと抜刀した彼の瞳は、確かにレインを映し続けていた。


「一連の事件は初めから全て魔獣の仕業と考えられてきた。理由は簡単、車体には爪痕、犠牲者には歯形、地面には足跡が毎回残されていたからだ。我々は都度痕跡を辿り害獣の駆除に努めたが、毎度異なる種の群れが森から現れては王都へ辿り着く少し前に列車を倒していく。流石に我々もこれらは魔獣の本能では無く何者かの手引きにより起こされた騒動だと考えた。そして前回の襲撃で遂に黒幕の手がかりを掴んだ――」


 レインの眼前に立ったドロスは、自身を見上げる青年の顔の寸前まで剣先を突き出す。


「 “ 魔性魔力ましょうまりょく ” ――つまり、悪魔の魔力だ」


 レインの心臓が胸を突き破りそうなほど暴れ始める。 “ それ ” は忌々しい前の家で、嫌というほど見聞きしたものだ。


「ようやく群れの内の一体の生け捕りに成功したんだ。調査の結果、魔獣の “ 魔修磨路ましゅまろ ” は魔性魔力で満ちていた」


 ドロスはそのまましばらくレインと目を合わせた後、ベルトの鞘へ剣を納め背を向ける。


「 “ 魔修磨路 ” は生物の体中に張り巡らされた『視えない魔力の通り道』……ヒトと同じく “ 無性魔力むせいまりょく ” しか流さないはずの魔獣に魔性魔力が溢れていれば、悪魔に魔力漬けにされて使役されていると考えるのが妥当だろう」


「?! 俺は人間だ……!!」


「そう、君は人間だ――」


 再びレインの方へ振り向くドロス。


「だが君のなかに “ 悪魔 ” の存在を感じる」


「?!」


 告げられた己の不純、それは一切身に覚えの無いものであった。何故ならあの日姉が自分を逃してくれたのは、『悪魔と関わらせない』為だったはずなのだから――。


「悪魔というのは人の記憶に在る限り不滅の存在! 特有の魔力構成を持つ故、古来から確認されている個体は魔力から判別できるものだ――」


 か細い瞼の隙間から覗かせる彼の瞳は、より一層したたかに青年を見つめる。


「〈暴食の悪魔〉ハットベル――君に宿る悪魔の名だよ」


「ハットベル……?!」


 ロズ王国民で――否、世界でその名を知らぬ者はいないだろう。それは神話の時代の大悪魔、かの〈始祖の魔法使〉アール・アンロードを喰い殺した紛うことなき最強生物。


「 “ 悪術使 ” には2種類いる。『悪魔との契約により “ 悪術 ” を使う者』、『悪魔そのものを宿す事で “ 悪術 ” を得る者』……君は後者、 “ 暴食の悪術使 ” に当たる」


 駆け抜ける事実に必死に頭を追いつかせようとすると、初めて聞く声が広間に響く。


「貴様はあのマグプスを殺した!」


「!! マグプス……?」


 黒い長髪をなびかせる若い男、彼もドロスとよく似た装いを纏っている。


「白い体に黒い斑点、二足歩行の魔竜 “ マグプス ” ……奴らの種族等級は “ Aクラス ” 、並の術使では束になっても敵わない。それをで狩れる悪術使、生かしておく訳にはいかない!!」


「待てよ、ドロスの話だと悪魔は魔獣を利用して列車を襲わせたんだろ?! なんでその魔獣を殺した俺を疑うんだ!!」


 若い男を睨むレインを遮り、再びドロスが話し始める。


「すまない、彼は王国騎士団 “ 副団長 ” メイクルポート・マルカトロス。口は悪いが根は正義感に溢れた男でな、今回の一件で特に気が立っている……それで言い忘れていたのだが、魔獣らの目的は『機関車に積まれた魔力貯蔵庫』だ。あれには動力として多量の魔力が詰め込まれている。国の端から中央まで列車を走らせられるほど膨大な魔力を魔獣に回収させ、そしてそれを間接的に吸収することが悪魔の目的なのではないかと我々は考えた」


「つまりマグプスに魔力を回収させ、そのマグプスを殺すことで貴様が魔力を得る、俺たちの推論通りだ」


「だが襲撃地点でそれをやるくらいなら何故わざわざ最初から魔獣を使役したのか、という疑問はあるんだがね……」


 ぼんやりと頭を悩ませるドロスを見て、レインに一つの思考が浮かぶ。


「……あんた、本当は俺がやったと思ってないだろ」


 レインの発言にドロスは一瞬静止したが、特に驚いていた訳では無かった。


「まあ、私だけじゃなくここにいる全員が同じ考えだがね」


「なに?!」


 玉座のような椅子から腰を上げたミルドレア王は、もうひとつの秘密を語り出す。


「まず君を縛らせてもらっているのは容疑者故ではない、またハットベルが目覚めて暴走されると困るからじゃ」


 ミルドレアも階段を伝いこちらへ降りてくる。王の目は優しくレインを捉えていた。


「君には悪魔とは別に、 “ 神 ” も宿っているのぉ……」


「神……?」


「ほお、無自覚とは。君は自分の “ 右眼 ” を見たことは無いかの?」


「右眼?」


「天術使は、皆体のどこかに “ 印 ” を持つ――」


 ミルドレアはレインの右眼にかかる長い前髪をたくし上げる。


「青い瞳に刻まれた『ひび割れたガラスのような紋様』―― “ 破壊紋 ” じゃ、つまり君は “ 破壊の天術使 ” 」


  “ 天術 ” 、それは選ばれし者にのみ授けられる神々の力――。レインに再び衝撃が走る。天術という言葉自体は知っている、昔おとぎ話で読んだから。だが意図してかオズワルド家もセルビアス家も自身にそれを教えようとしたことは無かった。右眼の “ 印 ” にしてもたまたま柄のように線が入っているだけなのだと言われてきた。天術使である事を自覚させたくなかったから? 何のため? レインの頭には疑問符が詰め込まれる。


「よくわかんねぇけどよ、神様にしては酷い扱いされたもんだな?」


 しばらく沈黙を貫いていたディヴァン大臣が再び口を開く。


「当たり前だ、神と言っても “ 破壊神 ” !!  “ 破壊 ” は “ 死 ” と並んで忌み嫌われてきた天術!! 大悪魔と破壊神を併せ持つなど、おぞましい……!!」


 毎度厭悪を飛ばしてくるディヴァンを威嚇するようにレインが睨むと、「ひっ!」と椅子の後ろに隠れてしまった。


「……破壊の天術はおおよそ700年もの間、出現しなかった力なんじゃ。長く時を経たとはいえ、根付いた恐怖は中々拭えないもの。すまないのぉ」


 都度謝罪する国王の低姿勢に対し申し訳なさすら覚えたレインは、怒涛の真実を無理やり理解し話を進める。


「それで、天術使であり悪術使でもある俺にどうしろと?」


「この国には『齢18を迎えた天術使を名誉最高騎士 “ ロズハーツ ” に命じる』という習わしがある。一連の襲撃事件には真の黒幕がおるはずじゃ。君にはそやつを倒してもらい身の潔白を証明して欲しい。そして “ 名誉最高騎士ロズハーツ ” の座を任せたいのじゃ」


 相変わらずの急展開。


「ほっほっほ、色々急ですまないの。ところで君の名も歳も聞いていなかったの」


「……レイン・。歳は18だ」


「ほお! ちょうどよいのぉ」


 口を噤んでいたドロスも続いて質問をする。


「そして君が『なにゆえ王都へ来たのか』も聞いていなかったな」


「なにゆえって……あ!!! そうだ、今、何日だ?!」


「今日は翠歴1424年6月28日だよ、誕生日おめでとう。君がマグプスを殺し気絶してからおよそ半日経った頃だ。誰かと会うでもしていたのかな?」


「それは……」


  “ なぜ王都へ来たのか ” ――その質問でレインは思い出した、自分が何のため列車に乗ったのか、遠いこの地へやって来たのか。聞いた話だけでは一向に仇に近づける気がしない。自分から動かなければ意味が無い。理解し難い事実が濁流のように押し寄せたのだ。この際全て話してしまおうと、レインは覚悟を決めた。


「俺は――」


 広間を照らす灯りが揺れる。


「――レイン・……?!」


「 “ 最恐の天術 ” に “ 最強の悪魔 ” 、更に “ 最悪の一族 ” とは……!! や、やはり危険……!!」


「姉の仇……それがかの “ アリア ” とは……」


「知っているのか、アイツを!」


 オズワルドの名が恐れられるのは当然。しかし仇の名を知っているようなのは意外であった。


「もちろんだとも」


 皆が動揺を露わにする中で、変わらず平静を保っているのは流石大国の国王といったところ。


「 “ 魔法協会 ” は知っとるの?」


  “ 魔法協会 ” 、別名 “ アール・ソサエティ ” ――翠歴1年、〈始祖の魔法使〉アール・アンロードにより結成された組織。魔法の管理・教育、人材の斡旋、行政、治安維持……他にもその機能は多岐に渡り、この世界の中枢を担っていると言っても過言では無い。中央大陸モノリスの中央区 “ アルフォート ” に本部を構え、協会に加盟する世界8割の国々に支部・ギルドを置く。


「協会に属する数万の職員、彼らを束ねる9人の “ 局長 ” 、そして世界最高戦力 “ 四天王 ” ……それら全てをたった一人で従えるのが、協会最高責任者である “ 代表 ” ――」


「まさか……?!」


「〈魔王〉アリア・ベル・プラチナム――魔法協会第198期 “ 代表 ” じゃ」


――『近いうちに世界を獲る』

――『最高の座で、私はあなたを待ち続ける』


 アリアのその言葉の意味がようやく理解できた。


「それで! 今、どこに?!」


「モノリス大陸の本部じゃろう、代表に会うのは非常に困難じゃぞ。とても今すぐにというわけにはいかん」


「そんな……!」


「7年前、オズワルド家を倒す功績を史上初めて打ち立てた英雄……あの日倒されたのが、まさか君の姉だったとはのぉ……」


「陛下、これもでしょうか」


「そうじゃの……」


 ドロスとミルドレアが意味深長に顔を見合わせる。


「?」


「いやぁすまないの。実は以前、協会上層部にロズ王国出身の者がいたのじゃ」


「5年前、協会を退いた彼の勇気ある告発により我々は代表アリアの本性を知り得た」


 ドロスは無念そうに顔をしかめた。


「彼女もまた悪術使だったんだ。〈堕天の悪魔〉と呼ばれる大悪魔、シュヴァルツを宿す!」


「!!」


「もちろん公表されてはいないが彼女のやり口は少し度が過ぎるとも聞いた。目的遂行の為ならば対象の命の有無はおろか、無関係な人々の犠牲すら厭わないと……」


「まさか “ あの日 ” のような事を他の街や国でも……?!」


「とは言え、彼女を “ 世界の王 ” の座から引きずり下ろすに足りる証拠などは一切無い」


「それでも、代表アリアの心が闇に呑まれればいずれこの国も危ぶまれる事は確かじゃ……」


 段々と曇る王らの心を晴らしたのは、鎖に繋がれた青年の覚悟であった。


「なら、ちょうどいいじゃねえか!」


「「!!」」


「俺がアリアとケリをつける。そんで白黒ハッキリさせてやろうじゃねえか」


「……道は険しいぞ」


「さっきは急でよく理解出来てなかったけどよ、つまり俺はこの国いちばんの騎士になる “ 運命 ” だったって事だろ? だったらその立場を利用してやる、俺の目的の為、この国を護る為!!!」


「……はっはっはっ!! 流石、天術使に選ばれるだけの事はある。気に入ったぞ、レイン君」


「実に頼もしい。しかしレイン君、君には最初にやらなければならない事がある」


「ああ……本来ここに縛られてるべき悪魔をぶっ飛ばす!! まずは俺自身の白黒をハッキリさせてやる!!」


「そう、その意気じゃ」


 ミルドレアの目配せを受け、ドロスは胸のポケットから取り出した鍵でレインを繋ぐ枷を順番に外していった。晴れて一時いっときの自由を得たレイン。


「いくら天術使と言っても、今までそれを自覚した事が無い程の経験値では一人で戦場に出すことは出来ない。」


 するとドロスは階段の上、マルカトロスやディヴァンと共にこちらを見つめるもう一人の影に呼びかける。


「オルビアナ! しばらくレイン君に付いてくれ!」


「?! はっ、はい……?!」


 先程から沈黙を貫いていた金髪の青年。その様子はどこかおずおずとしており、どうやらこの中でただ一人詳しい状況も事前に知らされていなかったようだ。鎖から解かれ立ち上がるレインの前にオルビアナがやって来る。


「紹介しよう、オルビアナ・キルパレス。歳は君と同じ、若いがその力を見込んで一個小隊を率いる隊長の座を任せている。彼には君の相棒になってもらう」


「隊長……すげぇんだな!」


「ぼ、僕はその……」


 たじろぐオルビアナにレインは手を差し伸べる。


「レインだ。よろしく頼むぜ、オルビアナ!」


「よ、よろしくお願いします、レインさん……」


「? 同い年だろ? それに “ 相棒 ” らしいからな。お互い、ゆるくいこうぜ」


「あ……じゃ、じゃあ。よろしく、レイン……!」


「おうっ!」


 二人が交わした固い握手がほどけた時を見計らい、国王ミルドレアがレインの側へ寄る。


「さて、レイン君。君はではあるが、今日から “ 名誉最高騎士ロズハーツ ” の座を担う事になる。それにあたり、君には習わしに従ってセルビアスともオズワルドとも異なる姓で名乗ってもらう」


 レインの眼差しを見つめるミルドレア王は、どこか感慨深い面持ちであった。


「レイン・。今日から君が名乗る名じゃ」


「ロズハーツ――」


  “ ロズの心臓 ” を名に冠し、騎士レインの冒険の幕が上がった。

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