第1部「破王」

第1章「ロズ王国」第1節「破壊の天術使」

第1話「帰天」

  “ 魔法 ” ――物を自由に操り、空を自在に翔け回る。と呼ぶべきその力は、時に『創造主より与えられた奇跡』とも語られた。だがそれをもたらしたのは神ではなく、才あるひとりの人間である。彼女の名はアール・アンロード。魔法が生まれた瞬間から、この世界は動き出した。


 アールは世界を回り魔法を授け、それは大いに人々の役に立った。しかし争いの絶えないこの星では、それもいつしか人を傷付ける為の兵器となる。見かねた神は自身の御業を18に分け、それぞれを選ばれし者に与えた。あらゆる魔法を凌駕するその力は “ 天術てんじゅつ ” と呼ばれ、その使い手である “ 天術使てんじゅつし ” らは神と等しい存在として崇められた。



~翠歴1424年6月28日~



 東の大陸 “ アストレア ” ――〈始祖の魔法使まほうし〉アール・アンロードが生きたこの地は “ 魔法の原点 ” と謳われ、名声や力を求めて数多の術使じゅつしが集う。この大陸の東端に位置する大国 “ ロズ ” 、その東端の町 “ エヴァジオン ” 。そこにひとりの若き青年がいた。彼の名はレイン・セルビアス、此度のである――。


 まだ外も暗い午前4時。太陽より先に目を覚ますと、小さな明かりを頼りに身支度を始める。彼の白い髪は両親譲りで、前は右眼を隠すように伸び、後ろは腰に届くほど長い。手早く荷物をまとめ下の階へ降りると、老夫婦が彼を迎える。


「おはよう、レイン」


「二人共! 起きてたのか」


「当たり前だ、今日はおまえの誕生日なのだから」


「あっという間に18ね、おめでとう」


 そう祝福したのは老夫テリィ・セルビアスとその夫人リリィ・セルビアス。二人は彼の育ての親である。


「ああ。ありがとう」


「わざわざこんな日に出かけてしまう事も無いのに……」


「リリィ、ずっと前からレインが決めていた事だ」


「それは分かっているけれど……」


「ごめん、リリィさん。どうしてもこの国を見て回りたいんだ」


「町の外は危ないからと、おまえには不自由な暮らしをさせてきた……だがそれも昨日までの話。成人したら町を出ていいという約束だ、行ってきなさい」


「ああ、助かるよテリィさん」


 靴を履き大きな荷物を背負い立ち上がるレインに、リリィは居間から持ってきた物を手渡す。それは蓋のついたバスケットであった。


「これは?」


「カスクートよ、お腹が空いたら食べなさい」


「そっか。ありがとう」


 レインは扉を開け、見守る二人に別れを告げる。


「じゃあ、行ってくる」


「待ってレイン!」


 リリィはレインを抱きしめた後、額を合わせて語りかける。


「レイン、覚えていて。はいつだってあなたを見守っている。帰りたくなったらいつでも戻ってきなさい」


「……ああ、そうするよ」


 改めて別れを告げ、駅へと歩き出すレイン。見送る家族に背を向けた彼は二人の為に作っていた笑顔を消し、この旅の真の目的を思っていた。それは憎むべき日の “ 約束 ” 。


「待っていろ、 “ アリア ” ――」



***



 事は8年遡る。レインはセルビアス家に迎えられる前、 “ オズワルド家 ” という一家に属していた。彼らは代々悪魔との契約により力を得てきた “ 悪術使おじゅつし ” の家系で、悪魔召喚の為ならば人殺しさえ厭わないような非道な連中であった。そして一族には『10回目の誕生日に悪魔との最初の契約を結ぶ』という習わしがあった。


 翠歴1416年6月27日。レインの初めての悪魔契約を数刻後に控えた日。嫌がるレインは地下室に監禁され、鎖に繋がれたまま朝を待つ事しか出来なかった。今が何時かも分からぬまま、遂に部屋の扉が開かれる。それは絶望との邂逅かと思われた――しかしそこにいたのは姉であるユニ・オズワルド、ただ一人。周囲を警戒するようにやって来た彼女はレインの拘束を解くと彼の手を引いて走り出す。


「逃げるよ、レイン……!!」


「ユニねえ! どうして?!」


「私はもう穢れてしまったけれど……あなたはまだ、綺麗だから……!!」


 ユニはオズワルド家における唯一の良心であった。非道な行為に対して否定的だったレインは、子供ながら見るに堪えない罰を家族から与えられる事もあった。そんな時、救いの手を差し伸べてくれたのはいつもユニであった。食事を絶たれれば作り与え、夜の森に放り出されれば連れ帰り、罪なき亡骸の処理を命じられれば肩代わりする。そういった弟を想う行いがユニにも罰を与えている事を、レインは知りながら助ける事など出来なかった。


 屋敷を出て、森を抜け、街を外れ、国境を越え――二人は “ 平和の大国 ” ロズへと辿り着く。見知らぬ土地で朝日が昇り、それまで不安と恐怖を伺わせていたユニが初めてまっさらな笑顔をレインに向けた。


「レイン――誕生日、おめでとう……!!!」


 その後レインとユニは “ カームタウン ” という小さな町を訪れた。白い家屋が立ち並ぶこの町で、二人は過去も血筋も隠し静かに暮らす事にした。


 それから1年が経とうとした時、事は起こる。


 翠歴1417年6月27日。町外れまで出かけていたレインは、カームタウンへ戻って即座に異変に気付く。


「……だれもいない?」


 元々人の少ない町ではあったが、それでも日中は誰かしら出歩いていたものだ。しかし影ひとつ見当たらず、声も物音も聞こえない。怪訝そうに帰路につくレイン。彼が町の中心部へ差しかかった時、静寂の正体を知る。


「……ッ――!?!?」


 白い町に無作為に横たわる見知った人々。その全てに目立った外傷は無く、ただ口から零れて固まった一筋の血と開かない瞼だけが穏やかに少年へと死を教えていた。


「――う、うあぁあぁあ?!?!」


 優しい死の数々を辿るうちに、いつしか自身の家の前に着いてしまった。


「あ、あぁ……ユニ姉……ユニ姉――!!!!」


 扉を開け放つと、居間には壁にもたれ項垂うなだれる姉と、それを見下ろす面識の無い少女の姿があった。


「――ユニ姉……?」


 外に転がっていた人々と同じく口元から垂れた血の線と不自然に停止した体、そして腹に突き刺さされたナイフが姉の死を少年へ静かに知らしめていた。


「あ……ああ……――」


 ようやく亡骸の前に立つ者に焦点が合う。彼女はゆっくりとこちらへ振り替えり、レインへ語りかけた。


「 “ これ ” はあなたのお姉さん? ……ならあなたも “ オズワルド ” なの?」


「あ……あああ!!! おまえが!!! おまえがユニを――」


「答えなさい。あなたは何者?」


 目の前で最愛の家族の屍が転がるこの状況で、幼き少年に質問に答えられる程の余裕は無かった。


「ユニ姉も……みんなも、おまえが……?」


「オズワルド家は “ 世界最悪の一族 ” として、数百年に渡って忌み嫌われてきた血族……それを隠した町の住民も、等しく大罪人よ」


「ちがう……みんなはおれたちのことを、なにも……」


「 “ 魔法協会 ” へ通報があったわ。知っていた人間がいたはずよ」


「……そんな――」


 いくつもの命を奪ったというのにやけに冷静な少女は、チェストの上に置かれた写真立てへと視線を移す。そこにはこの町に来たばかりの頃に隣人に撮ってもらった、ユニとレインの微笑む写真が飾ってあった。


「ユニ・オズワルド……一緒にいるあなたも、やはり――」


 少女はレインを囲うように数多の魔法陣を所狭しと展開する。


「答えて、あなたの名前は?」


「なまえなんてどうでも――」


「どうでも良くないわ。オズワルド家が処されたのは有史以来初めての事なの。あなたが2人目か否かは、世界に大きく影響する――」


 立ち尽くし涙を止めることも出来ないレインは、もはや自暴自棄であった。そして幼いながらにして『早く姉と同じ場所へ行きたい』と、そう思ってしまったのだ。


「おれは――レイン……レイン・オズワルドだ!!!!」


「そう……レイン、生まれ変わったら正しく生きなさい」


 辺りの魔法陣が音と光を発し始め、遂にレインへと術式を放つ――寸前、決死の覚悟で敵を威嚇したレインから、少女は異質な魔力を感じ取る。


「―― “ 天使 ” と “ 悪魔 ” ……!」


 何を思ったか少女は術式を自ら消滅させてしまった。そして崩れ込むレインへと歩み寄ると両手で彼の頬に触れ、脱力した首を上げさせて無理やり自分と目を合わせさせる。


「レイン。私が憎い?」


「え……」


「憎みなさい。恨みなさい。いかりなさい。そして私を殺しに来なさい」


 頬に触れる手から伝わる彼女の体温に、少年は戸惑う事しか出来なかった。


「私はアリア・ベル・プラチナム。近いうちに世界を獲る。18歳の誕生日に王都へ来なさい。最高の座で、私はあなたを待ち続けるわ――」


 レインの額に口づけをして、立ち上がるアリア。ユニの腹に刺さったナイフを勢いよく引き抜くと、アリアめがけて返り血が飛んだ。しかしそれはアリアにかかる前に彼女を囲うように生じた筒状の光に阻まれ、床へ流れ落ちる。血飛沫の撒かれた部屋に不相応な程、アリアの装いは未だ洗いたてと変わらぬ眩さだった。


 引き抜かれたナイフは雑に投げ捨てられ、それはちょうどレインの手元の床に突き刺さる。一矢報いようとナイフのつかへ手をかけようとしたその時――。


「やめておきなさい、今のあなたでは私に届かないもの。 “ これ ” はよ」


 こちらへ目をくれずとも確かに心をほふってくる圧に、レインの手は再び床へ着く。一方アリアは変わらず冷静なまま、その場でしゃがむとユニの顔に優しく触れ、右耳から結晶を吊るしたピアスを取り外す。眼前で結晶を軽く揺らしてみせ、窓から射し込む光を反射するそれを眺め終わると自身の右耳に付けてみせる。そして壁に魔法陣を展開すると、彼女はその中へと消えていった。レインは追うことも出来ないまま、魔法陣が消えた後の赤く染まった壁をただ眺めていた。


「……うめなきゃ――人がしんだら、そうしてた……」


 姉の遺体を引きずり、家の外へと出る。この日の空は、やけに眩しかった。


 町を出て花が咲き乱れる野原までやってきた。埋める為の穴を掘ろうにも、初めての事で戸惑った。


「うめるの、てつだっておけばよかったかな……」


 その時、少年の肩に誰かの手が触れる。


「! だれ……?」


 町の生き残りではない、初めて見る男女二人組。それがセルビアス家との出会いであった。後で聞かされたが、二人は仕事で偶然近くを通りかかり、遠くに亡骸を引きずるレインを見つけて追いかけてきたのだと言う。


「……この子は君の大切な人かい?」


「そう……」


「手伝うわ」


「え……」


 テリィとリリィの力も借りてユニを埋葬し、その流れでレインはセルビアス家に住まう事になった。片田舎での暮らしは次第にレインの心をほぐしていったが、彼がこの日の約束を忘れた事は一度だって無い。王都へ行きアリアと再び相見える、それだけを胸にこれまで生きてきたのだ。



***



 そしてその約束の日――赤と青が混ざり合い白い月が浮かぶ空の下、レインはエヴァジオンの駅へとやってきた。切符を買う為、駅員の大柄な男性に声を掛ける。


「王都 “ ラフコン ” 行きを1枚」


 そう言われると駅員は眉をひそめる。


「あ〜兄ちゃんよ、王都に行きたいなら直通はやめておいた方がいい」


「? 何でだ?」


「あんた、新聞は読まないのかい? ほれ」


 そう言うと駅員はレインに今日の朝刊を手渡す。


「なになに……? 『相次ぐ列車襲撃事件、犯人は魔獣か』……こんな事が?!」


「被害は決まって王都付近で起こるそうだ。悪いことは言わねえ、途中でバスにでも乗り換えな」


「仕方ねぇか……ちなみに途中で乗り換えると王都にはどれくらいで着く?」


「安全な地点で降りたら半日以上はかかるな。遅い時間になれば交通手段も無くなるから、どこかで一泊する必要がある」


「そんな……」


 その時、アリアの言葉を思い出す。


――『18歳の誕生日に王都へ』


 誕生日――つまり “ 今日 ” 来いとアリアは言った。詳しい事は分からないが1日でも遅れるわけにはいかない――そう考えたレインは駅員の善意を受け止めつつ、自身の思いを伝える。


「……そうだな、ありがとう。あんたの言う通りにするのが得策なんだろうな。でも、俺はどうしても今日中に王都に着かなきゃいけない。直通の切符を貰うよ」


 駅員は「うーん、うーん……」と頭を悩ませていた。自身の選択が目の前の青年の未来を決めてしまうのだと、その責任感に葛藤しているようだ。


「……わかったよ。こんな状況でも列車が走っているのは、王都付近を王国騎士団が警護してくれているからだ。ロズの騎士団は相当強ぇと聞く、いざとなったら奴らがどうにかしてくれるだろう」


 男は王都直通の切符をレインに手渡す。


「兄ちゃん、無事を祈ってるぜ! 良い旅を!」


「ああ、ありがとう!」


 午前5時、レインを乗せた機関車が王都ラフコンへ向け走り出した。



***



 機関車が煙を噴いてから早数時間。幾百もの町を駆け抜けるも、先の襲撃事件を案じてか乗り込んでくる乗客はほとんどいなかった。この車両でたった一人揺られ続けているレインは、リリィに手渡されたカスクートを食べ終えると車窓に肘を掛け景色を眺めていた。今は午前9時を回った頃だろうか、あと1時間もすればこの足は王都の土地を踏んでいる。


「あと少しだな……」


 そんな事を考えていると、列車は次第に減速し終点ラフコンから一つ前の駅に停まる。これまでほとんど人の乗り降りは見られなかったが、突如ぞろぞろと数名乗り込んでくる。鎧を纏い、ベルトに剣を携えた集団――。


(『王国騎士団』! そうか、これがさっき言っていた警護か……!)


 男達を乗せ再び走り出す機関車。流れる景色は街から王都の間、しばし野原に差し掛かる。車内は緊張感が渦巻いているが、慣れれば車窓の向こうの穏やかさに心は奪われた。のどかな景色に心地よい揺れも相まって、次第に重くなるまぶたが閉ざされた時――。


 何かがぶつかる音がした、天地がひっくり返った、列車がいてはいけない場所に飛ばされた――。


 瞬きをしただけだった、暗くなり、次に目を開けた時には空を観ていた。屋根があるはずなのに、車内に土は無いはずなのに、そもそも座っていたはずなのに――列車はひっくり返っていた。線路から大きく外れ、草原の中で横たわっている。レインは中途半端に窓から放り出され、下半身だけが車両の下敷きになっていた。動けない、動かせない、そもそも――背中に伝うぬるい染みが、腰から下の有無を嫌というほど理解させてくる。


「……あぁ……」


 ただ嘘みたいに澄んだ空を眺めていた。も同じくらい晴れていた気がする。そんな事を思うレインの顔に、雲も無いのに影が差す。視界一体を覆ったそれは、恐竜のような魔獣の大きな顔だった。白い体に黒い斑点、鬼のような二本角。赤い瞳をレインの目に無理やり合わせ、じっくりとこちらを観察している。十中八九こいつの仕業だろう、だが怒りは無い、痛みも無い、恐怖も無い、ただ少しだけ眠たかった。魔獣は口を大きく開ける。ゆっくり近づく死に合わせ、青年のまぶたも完全に閉じようとした――。



***



 王都近郊、青いマントを纏った集団が馬に跨り駆けていた。彼らは今回の件を受け警護に当たったロズの『王国騎士団』、その一個小隊である。列車に乗り合わせた中で唯一逃げ延びた団員より要請を受け、増援として向かっていたのだ。先導する二頭のうち、一頭に股がった若い男がもう一頭に跨った男へ息巻いていた。


「だから俺と貴様を同じ配置で固めるなと言ったんだドロス!!!」


「確かに私のミスだ。これまではもっと王都のすぐ近くで仕掛けてきたから、今回もそうかとばかり……」


「しかし俺たちの配置を読んだというのか? 魔獣にしてはやけに頭が回る、偶然なら良いが……」


 快晴の下を曇り顔で駆け抜け、いよいよくだんの場所へ到着した。先程まで鬼気迫っていた王国騎士団であったが、そこで見た光景に思わず立ち止まり息を呑む。


「……これは――」


 一行が目にしたものは、横たわる巨獣の亡骸とその上に立つ青年の姿であった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る