夜になると寂しい
夜になると無性に寂しく感じるのは私だけではないと思う。
今まであったものがなくなったぽっかりとした喪失感を全て一身に引き受ける様なそんな重い石を私はきっと背負っている。
だからと言ってむやみやたらに寂しさを埋めるために人と話すのも私は出来なくてメッセージを溜める一方だ。それをするだけのエネルギーがない。
私は自分の体が時々憎く感じて、魂だけであったらきっと幸せだったのにと感じることもある。私は、免疫が元々弱い上に、熱にも弱い。だからこそ人一倍一生懸命に努力しているのに、どれだけ頑張っても他の人達には数歩遅れている様なそんな悲しみを抱く。団体競技も興味があったが、私はこの様な事情でコンスタントに出来るわけではないので選べなかった。だから、その様なアニメや漫画を見るたび良いなあと毎度思う。
私みたいな人間を助けてくれる人もいるけど、それをずるいと捉える人もいる。
私だってこんな体に生まれたくて生まれたわけではないのに。必死に努力を重ねてやっと、他の人と足並みをそろえた活動が出来るのに、その努力は目に見えないから私はその背景には何にもなかった様に映る。
ここまで来るのも簡単に手に入れたわけではないのに、準備を人一倍して初めて同じ位に渡り合えるのにそれが出来ない環境だと、
「なんで?こんな簡単な事なのに」
と驚いた様に目を見張られる。
いつもはその様な人もいると受け入れることができるが、たまに今日の様な夜はそれが反芻して涙が出る。
それよりもわざと自分の能力を下げたり、サボったりする人の方が私はもっと辛い。
私があなたならもっと自由にこの世界を歩き回れるのに。好きなところへ行って、自分の足で歩き回れるのに。その資格を簡単に得られるのになぜそういう風に振る舞うの?と。
要らないなら、私にちょうだいって。
喉の奥から手が出るほど欲しいそれは、私には何時も遠くの希望にしか見えない。
だからたまに私の言葉の語調は強くなる。
本来というとおかしい表現かもしれないが、
私はもっと、ボケーっとした人である。
しかし、そうしなければ自分の出来なさに甘んじて助けを得る一方になってしまうから、私なりに努力を続けた。その思いが、全てこの言動に繋がっているのかもしれない。
それでも諦めたくないから、今日も勉強をする。論文もまだまだ途中なので、仕上げていかないといけない。私は主に認識論が題材なのだが、これがまた読むのがややこしくて面倒くさい。サルトルの理論は意識についての考えが理解に苦しむ。フランス語は難しい上に例外多過ぎやしないだろうか。フランス人の脳と入れ替えたい。
最近はエレクトーンの新しい曲を練習し始めて、まあまあ聴けるかな…くらいには上達した。私の好きな岩内さおりさんの曲である。彼女の曲で好きなのは rhythmic junction 香港である。いつか行ってみたいと思うほど素敵な曲である。この曲は大きなフライパンをふるコックの姿やハイヒールで歩き回るウェイトレスの姿、路地の市場で様々な人が大きな声を掛け合ってる姿、目配せをしてちょっと不穏な雰囲気の中にニヒルに笑う勝者の余裕。
香港のストリートを想像させる騒々しさの中にどこか品を感じる岩内さんの世界観が広がっている。
是非聞いてみてほしい。
題材と逸れていったのも否めないが、とりあえずこういう夜は寂しいので簡単なハグが私にあれば良いのにと思う。
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