強制収容所の先には自由はあるのか

私は、特殊な高校時代を過ごしたと我ながら思う。

どのような真面目な人も、「今は良かったと思えるが、戻りたいとは思わない」

と口々にいった。

先生までもが「ここは強制収容所とメガネの量産場だな」と自らが言う。

うまいこと言ったものだ。と当時の私は思ったものだ。


私はいつも自由を渇望していたように思える。小学校からずっと。

授業中でさえ、窓の外が大好きで、ここからもし出られて自由に外を飛び回り、私の心が解放されるときがいつか来るのではないかと言う希望を胸に刻んでいた。

だから、私は昔からキャビンアテンダントになって、世界を見て回る人になりたかったのだ。

しかし、なぜかその真逆をいく、翼を折るような高校を「厳しい環境にいなくてはいけない」と急き立てる自分自身の何か。と塾の先生の勧めによって決めてしまったのだが、不自由な環境は私にアンマッチし、物の見事にならず者のようになり過ごした。

しかし、だからこそ余計に自由を渇望した。ここを出れば、早く卒業すれば自分の自由が得られるとその時は思っていたのだ。

この世界の向こう側にはきっと、素晴らしいものが待ち受けていて私は囚われているから気が付いていないだけだと。

しかし、出てから気が付いたのは他人との経験の差であった。

浦島太郎状態に自分がなっていることに気が付きもしなかった。

自由の中には幸せなど眠ってなどいなくて、その幸せの開拓方法まで収容所によって奪われたまっさらのただの人間であることが証明されただけであった。

キャビンアテンダントも大学生になったときその様なバイトが存在したので、応募し、少しの間グランドスタッフをしてみたことがある。

全然自由ではなかった。むしろ相手のことを思い、体力仕事で凄く窮屈な中で過ごす仕事だった。あの笑顔の裏には積み上げられた男勝りさをきれいに隠していて、私は表面しか見えていなかったことに気が付いた。


世界を知るときに世界を知れなかった。

自分を狭めて窮屈な檻の中にいた生物はそれに慣れきって、また檻の中にたたずむことを、其れしか方法はないのだと思うのだということに何年も費やした。

窓を見ると、あの日見た自由は、どこにもないように感じた。

戦うことをやめた兵士が自分の生きがいが見つけられないように私もこの道で迷ってしまったのかもしれない。

帰路ももうわからず、ただ佇むだけ。

誰かとの共有さえ、その経験はかけ離れていてて話し合うことも難しい。


しかし、叶わない希望であったとしても私は夢をずっと見続けていた。

それを遠くから指し示すように現れてくれた人がいた。

それが今日まで私を生かし続けていた生命線である。

人の文を読んで感動したあの時、お前は自分を信じろと言ってくれたあの時、わからない中抱きしめてくれたあの時、君には才能があると言ってくれたあの時、ただ訳の分からない話をして笑ったあの時

その小さなパーツが束となって私に自由を指し示してくれた。

まだ、希望は存在するのだと。



私ができることは何かと問われたとき、その環境における研究である。それは誰よりも知っているし、苦しみも人一倍理解できる。

高校へ戻った際、そこに通う学生を見た時悟った。前よりはましだが、苦しみの連鎖はまだ続いているのだと。

誰かは「考えすぎだ」とちゃかしたが、私はむしろそれしかない。

未だに自由は私の中には存在しないが、それでも自由を獲得するために最後までもがき続けたいと思う。

あの瞬間のきらめきを私も誰かに指し示すことが出来るように。

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