第6話

 少し落ち着いたのか、桜介がほうっとため息を付く。

「大丈夫?何があったの?」

 眞規子が尋ねると、少し迷ってから桜介が口を開き、先ほどあったことを話し始めた。

「外に出て、川岸に立つと、向こう岸に男の人の姿が見えたんだ。顔はよく見えなかったけど、なぜだか俺と同い年くらいだってわかった。半袖半ズボンで雨に濡れながら立ってるんだ」

 更に桜介は話続ける。

「そんなの絶対おかしいだろ?ヤバい奴かなと思ってさ。こっちに向かってきたらすぐに眞規子を連れて逃げられるように目を離さないように注意してたんだ。しばらく見てるとソイツの隣に何かあるんだよ」

 そこで桜介は話を止めた。どう話そうか迷ってるようにも見えた。

「そいつから目を離さないでいるとさ、向こう岸から呼ばれている気がして、どんどん向こう岸に渡りたいって気持ちが強くなったんだ。でも、なんていうか本能的にそっち側へ行っちゃいけないってわかるんだよ。でも行きたくてさ」

 表情の抜け落ちた顔で一点を見つめて淡々と話す桜介に眞規子は恐怖を覚えた。まるで知らない誰かが目の前で話している、そんな気さえした。

 そんな眞規子の様子を知ってか知らずか、桜介は尚も淡々と話続ける。

「でも、結局誘惑には勝てなくてさ、どんどん勝手に足が向こう岸に向かってしまってさ。行きたくないって頭では思っても、体は勝手に動いてたよ。それでさ、とうとう向こう岸まで渡りきってしまってさ。」

 それ以上聞いてはいけない、眞規子はそう感じ、今すぐここを離れようと思った。リュックの位置を確認するためにテントの中を目線だけで見て回る。桜介に勘付かれてはいけない。ただ、運の悪いことに眞規子のリュックは桜介の後ろに置かれていた。

 リュックは諦め、今すぐ飛び出そう。幸い、位置的に眞規子の方がテントの出口に近い。靴は履くのを諦めて手に持って逃げよう。ここへ来る途中にあった交番に駆け込んで助けを求めよう。そう決意した。桜介の話しはもう頭に入ってこず、逃げることだけを懸命に考えていた。

 

 ふと、桜介の話し声が止んだ。桜介の方を見ると、眞規子の顔を凝視している。眞規子が怯んだその瞬間、桜介に腕を掴まれる。眞規子はその手を振りほどこうともがくが、すごい力で掴まれ振りほどけない。

「そいつ等が嬉しそうに言ったんだ」

 桜介が眞規子の顔を正面から見据えて話続ける。

「来タ来タ来タ来タ来タ来タ来タ来タ」


 眞規子は掴まれていたのとは反対の手でそばにあったランタンの取っ手を握り、振り回して桜介の頭にぶつけた。その衝撃で桜介の手が緩んだ。その隙に眞規子はテントの外へ飛び出し、裸足のまま駆け出した。先程の大雨が嘘のように止み、今は月さえも出ている。月明かりがあることで暗闇が和らいでいるのが眞規子はとても嬉しかった。

 後ろで桜介がテントから出てきた気配がしたが、眞規子は振り返ることなく走り続けた。しかし、急に足が止まる。目の前に人影が見えた。どうやら先ほど桜介が話していたような半袖半ズボンと言う格好のようだ。一瞬、テントに逃げ帰ろうと思ったが、あの状態の桜介のいるテントには戻りたくない。目の前の人物も何者かわからない。眞規子は涙を流しながら恐怖に耐えていた。 


 ギ、ギギィと扉が開く音がした。見ると人影の側にあるのは扉のついた箱のようだ。扉が開き、その隙間から小さな人の手が出てきた。その手が地面についた、箱の中から這い出して来ようとしている。

 眞規子は咄嗟にその場から逃げ出し、対岸に渡る。少しでも彼らと距離を取りたかった。眞規子は無意識に、川という障害物を挟むことで心理的な安心感を求めていたのかもしれない。その時、桜介の声が響き渡った。


「越エタ越エタ越エタ越エタ越エタ」


満面の笑みの桜介が対岸から眞規子を見つめていた。

 

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