夏だ!遊園地だ!③

 少しは顔の火照りも冷めてきた。アトラクションを物色している最中、目に入った建物は──


「あ、お化け屋敷」


 楓真が声をあげる。ひ、と陽真くんから引き攣った一音が漏れた。外観だけで十分怖かったようだ。たしかに、病院を模したそれはおどろおどろしい。


「ねえ、陽……」


 そわそわした様子で、優真さんが声をかける。そういえばお泊まり会でホラー映画を見たときに、こういうのが好きだと楓真が漏らしていたっけ。


「……大丈夫?」


 声をかけてみるが明らかに大丈夫ではなさそうだ。絶望が瞳に滲んでいる。この状態で入っても、彼にとって大きな負担になってしまうだろう。顔を覗き込んで、声をかける。


「陽真くん、無理しなくても──」


「行きます」


 え。

 きっぱりと言い切られたそれに、目を見開く。顔を上げた彼の瞳には、若干の後悔が浮かんでいたが──眉を寄せて、また口を開いた。


「……行きます……! 怖くなんかないですから!!」


 あ、無理してる。

 しかし、そう決心した陽真くんをそれ以上に引きとめることもできず。どこか重い足取りの彼とともに、俺たちは待機列の最後尾へと並んだのだった。




「きゃああああ!!!!」


「ひっ!」


 突然中から甲高い叫び声がする。恐らく前に入ったグループがあげた悲鳴だろう。陽真くんが大きく肩を跳ねさせた。


「やっぱいきなり出てきたりするんだろうねー、怖いな……」


 正直、俺もかなり恐ろしい。憂鬱だ。恐怖を苦笑いで誤魔化して、不安げに言葉を紡いだ楓真へ口を開く。


「ビックリ系苦手なんだよな、俺……」


「陽も苦手だよね、そういうの」


「苦手というか、当然です! そもそも、急に目の前や後ろから出てくるならお化けだろうがなんだろうが驚くでしょう……!!」


 それは確かに。仮に出てくるものが子犬のような可愛らしい生き物でも、飛び出して吠えられれば叫び声も出るだろう。それが病院を模したお化け屋敷なら尚更だ。失神することも正直おかしくはない。


「ここ、実際にお化けが出るっていう病院の備品も使ってるんだって。本物が出るかもね」


「なんでそういうことを言うんですか!?」


「えっ、あ、ごめん……パンフレットに書いてあったからワクワクしちゃって……」


「それでワクワクできる兄さんが俺は怖いよ……」


 体感温度が5℃ほど下がった気がする。なんだそれ。初めて聞いた。本当だとしたら流石にまずいだろう。入る直前に、優真さんはとんでもない爆弾を落としてくれた。陽真くんから出る怯えのオーラがより一層強くなってしまった。


「はーい、お次は……四人ですねー! どうぞー!」


「ありがとうございます」


「うわー、こわ……」


 ……とうとう、俺たちの番だ。俺たちの様子とは真反対に、スタッフのお姉さんは陽気に案内をして、優真さんは笑顔で道中の光源となる懐中電灯を受け取った。楓真も少しは怖がってはいるようだが、陽真くんほどではない。最年少の彼は気の毒なほど顔を真っ青にしている。

 そんな姿を見かねて、俺は──彼へ、手を差し出した。


「陽真くん、嫌じゃなければだけど……手、繋ぐ?」


 お泊まり会を思い出す。あのときは不可抗力で彼から俺の腕を掴むことになったが、今回は自分から。ほんの少し勇気を振り絞って口にすれば、出した手を見下ろして彼は瞬きを繰り返した。


「……へ、」


 言ってから気がつく。手は、流石にまずかっただろうか。子ども扱いをしているように思われても仕方がない。誤解させないよう、慌てて口を開く。


「あ、裾を掴むのとかでも全然いいけど!」


 手を引くと、眉を寄せた陽真くんは俺の目を真っ直ぐ見つめた。まずい。地雷を踏んだか。


「……手を貸してください」


 予想外の言葉に、面食らう。


「え、いいの」


「……裾よりも、この方が転ばないでしょう」


 きゅ、と結ばれた手は、僅かだか安心感を与えてくれる。


「……ありがとう、ございます」


 視線を逸らして。少しだけ気恥しそうに、彼が呟く。……なにがあっても、俺が彼を守らなければ。年上としてのプライドと責任感が、胸に芽生えるのを実感した。




 それから。


「ワーッ!!!」


「わああああ!!!」


 受付。待合室。診察室。それに、手術室で。何度も大声で驚かされては、陽真くんがそれ以上の声量で叫んで。追いかけられては、俺が固まる彼を引っ張ってなんとか逃げて。恐怖と疲労で、どうにかなってしまいそうだった。


「どっちが驚かしてるのかわからないね」


「……どうしても叫び声が出るんです」


 疲労困憊した様子で、不服そうに吐き捨てる。陽真くんは喉が酷使されているせいか、幾分か声が枯れてしまつていた。後で飲み物を奢ろう。


「あはは、陽真が叫んでくれると怖さが紛れるからありがたいよ。……うーん、ここは……」


「入院するときの部屋、かな」


 やっとの思いで逃げ込んだ部屋の中。そこには、茶やくすんだ紅で汚れたベッドがいくつか並んでいる。患者が入院していた部屋を模しているようだ。

 手術室が大トリかと思っていたが──そうではなかったらしい。順番としては、手術室が最後の方がキリが良いようにも思えるが、またなにか仕掛けでもあるのかもしれない。……それにしても、どうも、空気が張りつめているように思える。過度な緊張がそう感じさせるのだろうか。


 がた、と音がする。どうもベッドのひとつかららしく──端に置かれた、膨らみのあるそれ。まるで、人でも潜り込んでいるかのようで──


「あ゙ーーーーーー」


「うわあああああああああ!!!!」


 やけに間延びしたしゃがれている低い呻き声とともに、緩慢な動きで患者らしき男性の幽霊がベッドから這いずり出た。血まみれの入院着が恐怖を煽る。

 大きな叫び声とともに、ぎゅ、と抱きしめられた。誰に? ……陽真くんにだ。


 幽霊がべちゃりと床に落ちる。ゆっくりと這っているため、追いつかれることは無いだろう。しかしその演技は妙に真に迫るものがあって、確かに恐ろしい。……俺の足が、動かなくなるほど。金縛りにあってしまったかのように、男を見つめることしかできなくて。にじり寄るそれから、視線が、動かせない。


「あ゙ーーーーーー」


「にっ、にげ、逃げましょう!!! 早く!!!」


 ぐい、と手を引かれる。俺の体は、まるで石になってしまったかのようで。


「っも、茂部さん! 早く……!」


「……茂部くん?」


「え、も、茂部くん? おーい、大丈夫?」


 まさか金縛りにでもあっているのだろうか、なんて。せめてこの建物の中だけでも年上らしく振る舞うと決めたのに。情けないことこの上ない、と頭の中でどこか冷静な自分が吐き捨ててくる。


 男のぽっかり空いたように見える眼窩が、恐ろしいはずなのに視線を惹きつける。ひしゃげた指先が、床を引っ掻く。恨みがましい不気味な声が、鼓膜を震わせて──


「茂部さん、しっかりしてください!!」


 ぱん、と軽く両頬を叩かれて我に返る。陽真くんの瞳が、真っ直ぐに俺を見上げていた。

 視線が合うと、彼は俺の手首を力強く掴んで。周りに目をやったかと思うと、引っ張られる。


「っ出口はこっちか! 走りますよ、ほら!!」


「あはははは! 走れ走れ!!」


 陽真くんの促す声。優真さんの楽しげな声。やっと現実に戻った心地で、俺はなんとか足を動かす。今度は、ちゃんと走れるようだった。


「っ、楓真転けるなよ!!」


「りょうかーい!!」


 暗い道を、一心不乱に走る。廊下を走って走って、やっと出口が見えて──ようやく外の、目に痛いほどの眩しさが俺たちを迎えてくれた。


「っ外、だ……!!」


 へたりこむ。疲れた。


「おかえりなさーい! 懐中電灯を回収しますね~!」


 視界の端で、息ひとつ切らさずに平然とした優真さんがスタッフさんと会話している。なんなら楓真も会話に交じっていた。すごい兄弟だ。


 俺は、すっかり疲れ果てた様子の陽真くんの肩を叩いた。涼しいところにいたはずなのに、汗を拭った彼が顔を上げる。冷や汗だろう。俺も同じだ。


「さっきはありがとう。俺、全然動けなくなっちゃってさ」


「ああ……そうでしたよね。反応ありませんでしたし」


 誰よりも怖かっただろうに、陽真くんには申し訳ないことをした。


 だけど。


「カッコよかったよ」


 あんな状況で、微動だにしない年上の男をなんとかしないといけないなんて、勇気が必要だっただろう。それを振り絞った彼へ、素直に格好いいと思ったのだ。

 はあ、そうですか。陽真くんのことだから、そういったさっぱりした感想が来るだろうと思って、率直な気持ちを告げると。


「っ、え……」


 ただ、それだけを発して。ぶわ、と耳が赤くなった。もしかしなくとも、照れている、のだろうか。意外と耐性がなかったり。可愛らしい。


「わ、陽真の顔真っ赤! 日陰行こ!」


「……は、い……」


 弟の異変を察知したらしい。楓真に連れられる陽真くんの姿を微笑ましく見つめていると、後ろから声がかかった。


「お疲れ様ですー! ちなみに、本物の曰く付きの備品、どこにあるかわかりましたか!?」


「いや、全然……逃げるのに必死で……」


「あはは! 足速いし怖いですよねー!」


「それも怖かったんですけど、ゆっくり床を這ってくるお化けが怖かったですね。あー、ってガラガラの声出して……」


 スタッフのお姉さんが、不思議そうな顔をする。


「……? 床を這う幽霊とかは、いないはずですけど……」


「……え? あ、冗談……ですよね?」


 引き攣る声で、問いかける。しかし、スタッフさんはいよいよ真剣な表情で重苦しく口を開いた。


「……いえ……申し訳ありません、中の様子は把握しているのですが、本当に心当たりが……」


「……最後の、ベッドが置かれた大部屋です。スタッフさん、ひとりくらい配置してますよね?」


 話を聞いていたらしい優真さんが、いつになく真剣な声で問う。それを聞くと彼女は目を見開いて視線をうろつかせ。躊躇いがちに口を開き、あの、と固い声を発した。


「……あそこには、誰もいませんよ。だって、曰く付きの備品が置いてあって……みんな気味悪がって避けてますから」


 卒倒しそうなのを、寸でで堪えた。じゃあ、あれは。ひしゃげた指先の、眼球が無い血まみれの男は。


 そこから先は、何も考えないようにした。ただ、優真さんとアイコンタクトをした。


 ──このことは絶対、楓真たち。特に、陽真くんには言わないようにしよう、と。

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