夏だ!遊園地だ!④

 なんだか、酷く疲れた。それは三人も同じだったらしい。特に陽真くんは精神力もかなり消費しただろう。見かけた屋内の食事処で休憩ついでに、早めの昼食をとることにした。

 好きな席に座り、レジに行って注文と商品を取りに行くらしい。フードコートのようだ。財布を持ち、じっとメニューを見つめる陽真くんへ声をかけた。


「陽真くん、何食べるの?」


「ええと……ハンバーガー、かな」


「了解。楓真は?」


「俺も同じので! ポテトもあったらつけて欲しいけど……俺も行くよ?」


「大丈夫、俺が行くよ。ふたりは荷物番しててね」


 優真さんが席を立つ。いつもの癖で、楓真の分も買いに行こうとしていた。さすがに無理があったことに気がついたのは、優真さんが手伝ってくれる運びになってからであった。

 レジへ向かう途中、財布を持った俺を見て何を思ったのか、優真さんは「財布、置いてきてよかったのに」と言葉を切り出す。


「ここは俺が出すよ?」


 そこまでさせられない。俺の分はもちろん──陽真くんの分は、出してあげたいのだ。


「いやいや。せめて俺の分と──あと、陽真くんの分くらいは出させてください。陽真くんにお礼したいんで」


「……ふふ、そっか。わかった」


 笑って、それ以上は何も言わなかった。俺の気持ちを汲み取ってくれたのだろう。


 商品を受け取って、俺たちは席へ戻った。陽真くんの前にトレーを置くと、驚いたように目がまん丸になる。


「え、このクレープは……」


「あ、ごめん。他のが良かったかな」


 甘いものは好きだろうが、もしかしてこれは苦手だったりするだろうか。アイスは乗っていないから、溶けることはないだろうと思ったのだが。一応俺の分として他の味も買っては来たため、あまり好きではないようなら交換しよう。


「い、いえ。大好きですけど……」


「よかった。さっき助けてもらったから、そのお礼」


 言うと、え、と一音が彼の口から漏れる。


「溶けないから、ゆっくり食べてね」


 表情には現れないが、纏う雰囲気が明るくなった。ああ、やはり甘いものを買って正解だった。思わず頬がだらしなく緩む。少しは、先輩らしい姿を見せることができただろうか。


「よかったね、陽真」


「……はい……」


 頷く彼は、また僅かに頬を染めて。俺たちはその可愛らしさに顔を見合わせて笑う。そうして和やかな雰囲気のまま、昼食を口へ運ぶのだった。


 ***


「……コーラうま……染みる……」


「いっぱい走ったしねー。にしても結構怖かった……」


「……本当にな……」


 結構どころではない。なにせ、本物が出ていたのだから。霊感なんて今まで縁がない話だったのだが、あの出来事をきっかけに芽生えたりしないことを祈るばかりだ。恐ろしい風貌が脳裏によぎって、慌てて思考を霧散させた。

 陽真くんの予備のために買っていたデザートをひとくち食べる。優しい甘みが広がって、幸福感が心を癒してくれた。


「茂部さんの方は、ストロベリーですか」


「うん。食べる?」


「は、はい。……ん、おいし……!」


「俺も頂戴?」


「俺も食べたい……ポテトと交換しよ?」


「はは、どうぞ」


 揃って甘味に舌鼓を打つ。すっかり食べ終わってしまい、適度な満腹感で、ふわ、と欠伸が漏れてしまった。


「っふふ、眠いんですか?」


「あはは……ご飯食べたから、ちょっと」


「……ふわあ……俺も伝染っちゃった。ふふ」


 同様に欠伸をした優真さんを見て、笑ってしまう。欠伸が伝染るのは仲がいいから、なんて嘘か本当かわからない話を聞いたことがあるが──本当だったら、嬉しい。

 ぽん、と何かを思いついたように楓真が手を叩いた。


「じゃ、眠気覚ましにジェットコースター乗ろっか!」


「え」


 発した声は固くなった。


 ***


「こわいこわいこわいこわいこわい」


「や、やっぱりやめとく?」


 眼前にそびえる、ジェットコースター。コースは途中で垂直に近い落下を挟むらしく、時折聞こえてくる恐ろしい悲鳴が鼓膜を大きく震わせる。今でこそ心配してくれてはいるが、前へ着いたときに楓真はわあ、と楽しそうな声を漏らしていた。全く理解できない。


 そうだ。陽真くんはお化け屋敷が怖かったのだ、刺激が強いジェットコースターも苦手な可能性がある。


「っは、陽真くんは? あんなの入った後だし、こんな刺激強いの乗るとか、ねえ!?」


「いや、僕こういうのは得意なので」


 終わった。

 一縷の望みはあっけなく砕かれた。死の覚悟とともに顔が真っ青になるのを感じていると、陽真くんは眉を下げて口を開いた。


「震えてますけど、大丈夫ですか……?」


「深呼吸しようか。ほら、吸って、吐いて……」


 優真さんに優しく背をさすられる。暖かい手の温度で、多少体の震えは収まった、が。


「すー……はー……、……こわい……」


「……わあ、やば……」


 ヤバいのはわかっている。俺だって潔く乗りたい。見上げた優真さんの顔は、複雑な表情を浮かべている。俺も見苦しいのはわかっているのだ、本当に。

 楓真が顔を覗き込んで、唇を開く。


「……そんなに、怖いの?」


「こわい」


 恐怖で声は揺れた。こう言ってしまうと、心優しい親友はきっと心配してしまうだろうけれど。今の俺には、取り繕うほどの余裕は持ち合わせていなかったのだ。


 しかし──楓真の反応は、予想していないものであった。


「……へえ……」


 楓真が見たことのない顔をしている。なにか、得体の知れない熱を、僅かに眇めた大きな瞳が孕んでいるように見えて。ぞく、と背筋が凍る。少しだけ──怖い。まるで、知らない人のそれのようで。

 見間違いかと思いながら、恐る恐る声をかけた。


「ふ、楓真……?」


 呼びかければ、はっと息を飲む音とともに目の色が変わった。安堵が広がる。ああ、いつも通りの楓真だ。


「あ……、ご、ごめんね! 茂部くんがそんなふうに怖がるの、初めて見たから。びっくりしちゃって、ね!」


「そっ、か。ごめん、俺も怖すぎて……」


 ああ、なるほど。確かにここまで取り乱したことはない、かもしれない。……自分が情けない。

 胸を押さえて恐怖心を無くそうと奮闘していると、楓真は心配そうに口を開いた。


「やめとこうか。一緒に乗れたら楽しそうだと思ったけど──」



「……乗る……」



「え」


 確かに怖いが──そう言われたら、男として引くわけにはいかないのだ。古臭い考えだろうが。


「俺だって、乗ってやる……」


「む、無理しないでね……?」


 陽真くんだって怖いはずのお化け屋敷に入ったんだ。それも自分で足を進めないと終わらない、お化け屋敷に。彼の置かれた状況と比べれば、乗っていればいつの間にか終わるジェットコースターなんて怖くないはずだ。……はず、なんだ。


 俺だけ乗らないといって空気を壊すのも不本意だ。結果的に──俺は周りの心配を押し切って、待機列へと並んだのだった。


「お次のお客様どうぞー!」


 死刑宣告が来た。コースターに乗り込んだ瞬間、ばくばくと騒がしかった心臓がもっとうるさくなった。


 こわい。こわいにも程がある。落ち着くはずのない精神をなんとかしようと虚空を眺め、深い呼吸を繰り返していると、隣に楓真が座り込む。


「隣座るね」


 大丈夫、俺がついてるよ。


 そう言って手を握られる。……優しい。少しだけ、心が落ち着いたような気がした。


 かたり、と無機質な音とともに動き出す。励ましてくれる楓真のためにも、乗り切ってみせるのだと覚悟を決めた。

 そして、覚悟は数秒で折れた。


「ああああああああああああ!!!! あああああああああああああ!!! むり!!! むりこれ!!! しぬ!!!! たすけて!!!!」


「っあははははは!! 茂部くん大袈裟すぎ、ふ、あはははは!!」


「っわあ、あはは!! ふふ……!」


 後ろから優真さんの笑い声が聞こえる。聞いたことがないほどに声をあげて笑っている。陽真くんは、控えめに叫びながら楽しそうに笑っていた。

 どうしてふたりともそんなに元気なんだ。こわい。こわい。こわすぎる。浮遊感と引っ張り回される感覚で内蔵がしっちゃかめっちゃかになってしまいそうだ。


 楓真の手を強く握りしめる。痛いほどに掴んでしまっているのはわかっているのだが、どうしても緩めることができない。余裕が無いのだ。彼はと言うと──叫び声のひとつもあげずに、黙っていた。


「おかえりなさい! お足元お気をつけてお降り下さいねー!」


 よた、と未だ残る浮遊感でおぼつかない足を何とか動かす。突然、後ろから体を支えられた──楓真だ。いつもとは立場が逆になったようだ。


「危ないよ」


「おわ、おわった……」


「うん。大丈夫だよ、茂部くん。もう終わったから」


 一定のリズムで、軽く背を叩かれる。アトラクションの最中、楓真はずっと黙っていたがもしや俺がうるさすぎて邪魔だっただろうか。申し訳なさを覚えて、おずおずと口を開いた。



「楓真、声あげてなかったけど……楽しめた? 俺、うるさかったろ。邪魔してたらごめん……」



「まさか! ……すごく、楽しめたよ」



 にっこり笑って、彼は言う。なら、良いのだけれど。


 一安心したあと──はっと我に返る。そうだ。手を強く握りすぎたのだった。慌てて彼の手を見れば、若干赤らんでしまっている。


「そうだ、ごめん、手強く握りすぎて……! 痛くなかった!?」


「……ううん、全然だよ。これくらい。ふふ……」


 目を眇めて笑う。なんだか、寒気がする。楓真の表情は──ほんの少し、恐怖を覚えたあのときと同じ表情だった。





 ***


「……楓真兄さん、茂部さんの前で出てましたよ」


「へ、なにが?」


「うーん……なんだろ、うっとりって感じの顔。茂部くんが怖がってたときにそういう顔してたの、自覚無い?」


「……あー、うん。えへへ、茂部くんが可愛すぎて……。もう一回、あの顔みたいなあ……手も強く握ってくれて……ふふ……」


「僕も怖かったです。兄さんが」


「俺もだよ」


「ひどい!」

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