裏MENU 2

「こんばんは、ひぃさん」


 扉を開くと、ひぃさんがカウンターの拭き掃除をしているところだった。来客の訪れにひぃさんは顔を上げると、「あら、功志くん」と親しみが込められた笑みを浮かべた。


「今日は一人ですか?」

「後から合流するんです。オススメの店を紹介するって言っておきました」

「嬉しいな。テーブル使います? それともカウンター?」

「カウンターで」


 俺は迷わず答えた。あいつと二人きりで料理を楽しんでもいいけど、『えん』で食べる食事はひぃさんの人柄があってこそ味も倍増する、気がする。


 カウンターに座ると、ひぃさんは慣れた手つきで水を前に置いてくれた。


「連れの方はいつ来られるの?」

「仕事が終わってから、って言ってました。なんか最近不調を乗り越えたみたいで、仕事をバリバリ任されるようになったらしくて。悔しいから、仕事が終わったって連絡が来るまで、『えん』の名前は出さないでやりました。あいつの驚く顔が楽しみですよ」

「あはは、初めて来た時の功志くんが嘘みたい」


 ひぃさんは楽しそうにコロコロと笑ってくれた。そして、話の流れを遮らないようにさり気なく、


「はい、今日のお通し」


 小鉢に入ったお通しを、すっと俺の前に置いた。今日のお通しは、小松菜のおひたし。ただの小松菜のおひたしなのに、なんでこんな美味そうに見えるんだろうなぁ。

 単純な料理にこそ、その人の実力が垣間見える。だから、ひぃさんの料理の腕は、相当に確かなんだろう。


 俺は「いただきます」と手を合わせてから、箸を伸ばした。


「どう?」

「すっげー美味いです」


 口をもごもごさせながら言ったところ、「いつもお上手なんだから」と、ひぃさんは笑みを零した。


 岩上に紹介されてから、何度か一人で足を運んでいるが、ひぃさんが振る舞う『えん』の料理はいつも美味しい。


 最初はどこでも食えるような料理に辟易してしまったけれど、どの料理も平凡な名前に反して、通常では食べれない奥深い味だった。そして、味覚を刺激するだけでなく、俺の心までも刺激してくれた。


 漠然として抽象的な話になるが、ひぃさんが作る料理を食べながら話を聞いていると、今まで気付かなかった自分の内面を見つめ直すことが出来た。まるで今まで慣れ親しんでいた料理でも、ひぃさんの手にかかれば、まるで違う料理になるかのように――、だ。


 たとえば、初めて『えん』で肉じゃがを食べた日だって、俺の口数が多いことを再認識させられた。思ったことをすぐ言葉にする減らず口によって、昔から余計なトラブルが発生していたが、これも俺の性格の内だと割り切っていた。

 けれど、この日は違った。何故か、この肉じゃがのように取捨選択しなければいけないのではないかと痛感してしまった。しかも一度だけではなく、ひぃさんの料理を食べると、似たような経験を多々した。


 このままではいけないと察した俺は、自分の言葉を意識することにした。

 すると、自分がどれだけ余計な言葉を口にしていたのかが分かった。そして、余計な言葉は、会話の質を下げる要因となる。


 だから、まずは言わなくてもいいことを口にしないことから始めた。

 気になって聞いたことだとしても、不躾で真っ直ぐな俺の言い方は誰かを傷つけている可能性がある。


 そして、言わなくてもいいいことを抑えることが出来るようになったら、言ってあげたら嬉しいだろうことを言えるようにしていこう。


 そうやって、段階を踏んで変わっていくことにした。


「お連れの方は、いつ頃来られそうなんですか?」

「さっき仕事が終わったらしくて、『えん』の場所を伝えたところなので、もう少しで着くと思います。真護、あ、そいつの名前なんですけど、割と近いらしくて……」

「真護……?」


 この後合流する連れの名前を口にすると、ひぃさんは料理の手を止めて、俺の方を向いた。


「真護って、もしかして……」


 ひぃさんの言葉は最後まで紡がれることもなく、ガラガラと引き戸が開けられる音によって遮られた。


 ひぃさんは「いらっしゃいませ」と入口に向けて言った。俺もひぃさんの視線を追うように、入口を見ると、


「オススメしたい店って、『えん』のことだったのか」


 旧友である真護が、息を切らした姿で立っていた。課長という役職を得たせいか、前に会った時よりも顔つきが変わったように思う。

 真護は慣れたように、ひぃさんに会釈をすると、俺の隣に腰を下ろした。


「あら。やっぱり、功志くんの連れって真護くんだったんだ。お久し振りです」

「はい、ご無沙汰してました」


 ひぃさんの接し方は、常連に対するそれと同じだった。真護は嬉しそうに挨拶を交わす。


「え、もしかして既に知ってた?」

「うん。一年くらい前に、一度上司に連れて来てもらったんだ。そしたら激ハマりして、常連になっちゃって。まぁ、ここ二、三か月くらいは、仕事が忙しくて来れなかったんだけどさ」

「で、その真護くんがいない間で常連さんになったのが、功志くんなの」

「なんだ、驚かせようと思ったのに、俺が一番驚かされてるじゃん」

「いやいや、僕も十分に驚いてるって。でも、本当に早く『えん』に来たかったから、今日来れてすごく嬉しいよ」

「相変わらず、真護くんは言葉が上手ですね。高野さんは元気?」

「はい、元気ですよ。部長の席で、めっちゃ大声で笑ってます」

「あはは、すごく想像出来ちゃう」


 どうやら真護は『えん』にかなり通う常連だったようで、俺の知らない人物の名前を、ひぃさんと楽し気に語り合っている。何だか置いてけぼりになった気分になって、隣に座る真護に肩をぶつけた。


「なんだよ、俺と来るの不満みたいじゃんか」

「いやいや、そんなことないって。久し振りに幼馴染の近況を聞けるのは、すっげー嬉しいよ」

「なら良いけどさ」


 そう言うと、俺は水を一口飲んだ。水を飲む間、ずっと視線を感じていた。隣を見ると、まるで肩透かしを喰らったかのような素っ頓狂な顔を浮かべる真護がいた。


「どした?」

「いや、今までの功志なら、もう一言か二言言ってたよなって思ってさ」

「……ああ」


 真護の指摘に、合点がいった。


 それもそうだ。『えん』に通うようになってから、言葉を吟味して、無意識で誰かを傷つけないように言葉遣いに気を付けている。


 俺は反射的にひぃさんに目を向けた。全てを分かっているかのような穏やかな目を、俺に注いでくれていた。


 俺が変わることが出来たのは、『えん』でひぃさんと話をしたおかげだ。直接的には関係ないことばかりかもしれないけど、素材に味が染み渡るように、俺の腑に落ちて来た。


 俺が変わることが出来た話を、真護に話してみよう。


「不必要なものを取り除いた方が、上手くいくって気が付いたんだよ。料理のようにな」

「へぇ、その話聞かせてよ。僕にも似たような話があるんだ」


 真護は目を輝かせながら、俺に続きを催促してくれた。


 それから、ひぃさんの日替わりメニューが振る舞われるまで、お互いの話に花を咲かせた。

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