第6話 鶯谷

「圧巻ですね……シングルやデュアルの表示は何度か見たことがありますが、トリプルは現時点で四人しか確認されていません。さらにその上を行くクアッドとなると、別のウインドウを見ているようです」


 咲山は落ち着いた口調の中に微かな興奮を含ませた。


「ジョブの選択もしてしまいましょうか」

「今できるんですか?」

「はい。ジョブの選択はいつでも可能です。変更もできます。左上の……このジョブというタブをタップしてください」


 大希は咲山が言った通りに、ステータスウインドウのジョブというタブをタップした。

 別のウインドウが開く。ジョブを選択するウインドウで、七種のジョブが並んでいる。

 大希が格闘術士をタップすると確認ウインドウが開いた。

 迷わず大希はOKをタップした。

 ジョブを選択するウインドウが閉じて、格闘術士のジョブスキルウインドウに切り替わった。

 ジャブ、ストレート、フック、アッパー、ボディブローというボクシングの基本となる五種類のパンチと、ローキック、ミドルキック、ハイキックという三種類のキックが並んでいる。


「随分とオーソドックスですね……」


 地味なジョブスキルを見た大希が、ぼそりと感想を呟く。


「ジョブスキルはスキルの熟練度やレベルに応じて増えます。最初はどのジョブも基本的なものです」

「そうですか……」

「もうそろそろ着きますね。続きは食事の後にしましょう。ウインドウはクローズと言えば閉じます」

「はい。クローズ」


 大希の声に合わせて、開いていたウインドウが瞬時に消える。

 ほどなくして大希と咲山を乗せた高級セダンが銀座に到着した。

 東銀座で車を降りた二人は、みゆき通り沿いの高層オフィスビルの一階が店舗になっているレストランに入った。

 大希はリネン地のサマージャケットにテーパードパンツとレザーシューズという自分の服装に安堵していた。

 もし攻略士としての適性があった場合は面談などに対応できるようにと、オフィスカジュアルを選択して正解だった。普段の休日に着ているようなラフな服装では、とてもじゃないが入れない。

 大希にそう思わせる高級店だったが、咲山は通い慣れた様子だった。


「経費で落としますから、遠慮なく愉しんでください」


 場慣れした様子でウエイターに注文を済ませた咲山は、落ち着いた微笑を浮かべていた。


「攻略士って、ここまで厚遇されるものなんですか?」


 素直な感想を口にした大希に、咲山は微笑のまま答えた。


「三代さんは特別です。クアッド・スキル攻略士への先行投資と思っていただければ」


 特別。そのありふれていながら強い言葉は、自分は何も持っていないんだと日常のリアルに打ちのめされた大希の胸に響いた。

 それと同時に、自分の軽薄さを思い知る。

 状況が変わってしまえば、心の有り様すら簡単に変わってしまう自分。


(俺は、こんなに薄っぺらい男だったのか……? これじゃ洋香に見限られて当然だ……)


 大希は自嘲を抑えながら、繊細なグラスに注がれ立ち上がる一筋の気泡が美しいシャンパンに口をつけた。

 シャンパンの上品な刺激が、溢れ出そうな自責や自嘲を腹に収めてくれるように大希は感じた。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 翌朝。

 大希は三鷹市井の頭一丁目にある自宅まで迎えに来た高級セダンへ乗り込んだ。

 八月十一日はお盆休み前の三連休の初日に当たる金曜日の祝日で、都心へと向う車線は空いていた。

 大希を乗せた高級セダンは、約四十分後にゲートがある台東区根岸一丁目に到着した。

 山手線の駅で最も乗車人員数が少ない駅である鶯谷駅の北口から、徒歩三分のラブホテル街にぽつんと存在していた小さな公園が鶯谷公園だった。

 三月二十三日に突如としてゲートが出現した鶯谷公園は、直後にその敷地と面する細い道が封鎖された。

 公園の所管は台東区から国に移管され、公園廃止の手続きを経て国有地となった。

 周囲のラブホテルと飲み屋なども国が買い取りを進め、現在では常時立ち入りが制限されたエリアとなっている。

 制限エリアの入り口には関係者以外立入禁止という大きな標識が設置されており、四名の警察官と咲山の姿があった。


「お疲れ様です」


 咲山は入り口の前で車を降りた大希をやわらかな笑みで迎えた。

 大希と咲山は攻略士登録証を警察官に提示して、鶯谷公園跡地あるいはゲートエリアと呼称される制限エリアに入った。


「どうしてこんな場所にと思ってしまうエリアですね」


 大希が素直な感想を口にした。


「私もそう思って女神イナンナに聞いてみました。女神イナンナが言うには、東京で谷底にあり清濁が濃く交わっているからだそうです」

「清濁……濁しかないような……」

「寛永寺が近いので、それを指しているのかもしれません」

「何か取って付けたような理由にも聞こえますね」

「そうですね。真意は女神にしか分かりません」


 小さな公園だった鶯谷公園の敷地は、軽量鉄骨造のプレハブで覆われていた。

 そのプレハブに隣接する真新しい五階建てのビルの一階には、地下層宮素材買取所という小さなプレートが掲示されている。

 プレハブと買取所の入り口には、警察官が二名ずつ立っていた。


「ゲートはプレハブの中です。では、入りましょうか」


 プレハブで覆われた、がらんとした空間のほぼ中央にゲートは存在した。

 直径が四メートルほどの円形で青白く発光しているゲートを目前にした大希は、緊張よりも興奮していることに気付き、自分の変化のほうに驚いた。

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